第三話 太陽を失った街
アイン・アル・ハヤトを出発し、ラクダに揺られて数日が過ぎた。
あれから「終わらない夜」は続いており、一行は凍てついた星空の下を、ただひたすらに東へと進んだ。方角は、ルークが持つ星図盤と、時折立ち止まっては風の匂いや砂の流れを読む彼女の鋭い感覚だけが頼りだった。
「……見えた」
先行していたルークが、ラクダを止めて静かに告げた。
砂丘の向こう、地平線の先に、巨大な城塞都市の影が浮かび上がっている。
「カラート・シャムス」――太陽の城塞。その名とは裏腹に、街は夜の闇に沈み、城壁の頂で焚かれた無数の松明が、まるで巨大な獣の歯のように不気味に揺らめいていた。
街に近づくにつれ、一行は異様な雰囲気に気づいた。
アイン・アル・ハヤトを包んでいた「夜が明けない」ことへの不安や混乱が、この街にはまるでないのだ。人々は静かに行き交い、その表情には奇妙なほどの落ち着きと、そしてどこか熱に浮かされたような狂信の色が浮かんでいた。
「……なんだか、気味が悪いわね」
エリシェヴァが、不安げにライラの腕を庇うように引き寄せた。
街の門をくぐり、中へと足を踏み入れる。建物は白亜で統一され、壁には太陽を模した緻密な彫刻が施されている。しかし、永遠の夜の下では、その神聖さもどこか禍々しく見えた。
その時、一行の目の前で、一人の少女が母親の手を引かれて歩いていた。
ふと、道の脇に立っていた神官風の男が、その少女の腕を掴んで引き留める。
「……待て。その子、年はいくつだ」
「は、はい……先日、七つになりました……」
母親が、怯えた声で答える。
神官は少女の顔をじろじろと眺めると、懐から取り出した黒いインクを指につけ、少女の額に禍々しい太陽の紋章を乱暴に描きつけた。
「ひっ……!」
少女が小さく悲鳴を上げる。母親はその場に泣き崩れたが、抵抗する素振りは見せない。周囲の人々も、同情と恐怖が入り混じったような、しかし諦めに満ちた目で見ているだけだった。
「……なにあれ……? 子供に、何をしてるの……?」
ミツキの声が、怒りに震える。彼女が思わず一歩踏み出そうとしたのを、ルークが腕を掴んで制した。
「待て。騒ぎを起こすな」
ルークは一行を促し、近くの路地の影へと素早く身を隠した。そこから、住民たちのひそひそと交わす会話が聞こえてくる。
「……また、穢れの印が付けられたな。あの子も次の太陽の儀式で……」
「しっ、声を落とせ。ウリエル様の御心だ。我々が口を挟めることではない……」
「だが、あの子はまだあんなに小さいのに……」
「……街の清浄のためだ。我らも、そうやって生きてきたではないか……」
「生贄……儀式……ウリエル……」
聞こえてきた言葉を、エリシェヴァが青い顔で繰り返す。
ライラは、ザビール家の記憶が蘇ったのか、恐怖に体を固くしていた。
(この街では……子供が、神官に、生贄にされてる……?)
ミツキは、目の前の現実が信じられず、固く拳を握りしめた。
「……なんだか、気味が悪い街ね」
エリシェヴァが、不安げにライラの腕を庇うように引き寄せた。
「うん……あ、あっちに人集りがある」
ライラが指した街の大通りでは、神官たちが人々を集め、祈りを捧げさせていた。しかし、彼らが祈っているのは「太陽の帰還」ではなかった。
「我らが祈りを怠ったために、天は穢れを洗い流すための試練をお与えになったのだ!」
「太陽――智天使ウリエル様の帰還を望むならば、まずは我らが清浄であれ! 穢れし者を見つけ出し、神に捧げよ!」
その狂信的な叫びに、ミツキたちは顔を見合わせた。
――どうやらこの街では、「終わらない夜」は天罰であり、その解決策は「穢れし者」を排除することだと信じられているらしい。
「異邦人か……?」
街の男が、一行に不躾な視線を向ける。よそ者に対する警戒心が、街全体に満ちている。
「長居は危険だ。情報を集めて、早く宿を探そう」
ルークの冷静な声に促され、一行は人目を避けるように裏通りへと足を踏み入れた。
すると、表通りの狂信的な雰囲気とは一転、そこには人々の苦悶と絶望が満ちていた。
家の壁に寄りかかり、多くの人々が荒い息を繰り返している。誰もが、アイン・アル・ハヤトで見た隊商の者たちと同じように高熱に浮かされ、虚ろに呻いていた。
「誰かが呼んで……ああ……苦しい」
「ここでも……!」
エリシェヴァが駆け寄る。
「聖レクス市と同じ病が……! いえ、それ以上に、街中に蔓延している……!」
彼女はすぐに治癒魔法を試みるが、淡い緑の光は病人の体に触れた瞬間、掻き消えるように弱まってしまう。
「駄目……治癒魔法が、奥まで届かない…… 何か、もっと根の深い……呪いのようなものが、この人たちの命に絡みついてる……!」
エリシェヴァは悔しげに唇を噛んだ。
その時、ミツキはあることに気づいた。
病に苦しむ人々には首から奇妙なものを提げている。ライオンや蛇が描かれた札に、感想した薬草が括りつけられた、粗末な「護符」だった。
「あれは……?」
ミツキが指さそうとした、その時だった。
「そこをどけ! 浄化の時間だ!」
神官に率いられた武装兵の一団が、裏通りに乱暴に踏み込んできた。彼らは病人を助けるのではなく、一人一人の顔を検分し、何かを探している。
やがて、一人の神官が、子供を抱きしめる母親の前で足を止めた。
「見つけたぞ。この子には『穢れ』の兆候がある」
神官が宣言すると、兵士が母親から子供を力ずくで引き離した。
「やめて! この子は、ただ病気なだけで……!」
「病こそが穢れの証だ!」
神官は抵抗する母親を突き飛ばすと、懐から取り出した黒いインクを指につけ、子供の額に禍々しい太陽の紋章を乱暴に描きつけた。
「ひっ……ぁ……」
子供は恐怖に声も出せず、母親はその場で泣き崩れた。しかし、周囲の病んだ人々も、他の住民も、誰も助けようとはしない。ただ、諦めに満ちた目で見ているだけだった。
(そんな……これが、この街の日常……だなんて……)
ミツキは、目の前の惨状に固く拳を握りしめた。
「……とにかく、今は人目につかない場所を。まずは宿を探して、落ち着いてから今後のことを考えよう」
ルークの冷静な声に、一行は頷き、再び街の中心部へと歩き始めた。
――しかし、宿を見つけるのは困難を極めた。
最初に見つけた大きな宿屋は、扉を叩いても、主人が扉の隙間から一行の姿をじろりと一瞥しただけで、「あいにく、満室でね」と無愛想に言い放ち、すぐに扉を閉めてしまった。
「……嘘だな。今のぞき窓から見えたが、客なんて誰もいなかったぞ」
ルークが低く呟く。
次に訪れた小さな宿でも、主人は扉を開けようともせず、中からくぐもった声で問いかけてきた。
「旅の方かい? ……近頃は物騒でね。太陽が戻られるまで、よそ者は泊めていないんだよ」
三軒、四軒と断られ続けるうちに、ライラの顔はどんどん青ざめていく。
「……この街の人たち、なんだか……みんな、私たちのことをすごく警戒してる……」
それに「無理もないわ」とエリシェヴァがライラの肩を抱く。
「『終わらない夜』で、みんな不安になっているのよ。見知らぬ人間を、簡単には受け入れられないのでしょう」
このままでは野宿も覚悟しなければならない。ミツキの心に焦りが生まれ始めた、その時だった。
湖畔から少し離れた、ひときわ静かな地区で、一軒の宿屋が戸口のランプを灯しているのが見えた。他の宿とは違い、扉が少しだけ開いている。
「……あそこ、行ってみよう」
ミツキは、藁にもすがる思いでその宿屋の扉を叩いた。
「……はいはい、どなたかね」
中から現れたのは、背の小さな老婆だった。彼女は一行の砂と埃にまみれた姿を見ると、一瞬だけ眉をひそめたが、すぐにミツキたちの背後で怯えるように立つライラの姿に気づいた。その瞳に浮かぶ恐怖と疲労の色を見て、老婆はふっと表情を和らげる。
「……おやおや、こんな小さな子まで。ひどい有様じゃないか。さあ、立ち話もなんだ。中にお入り」
老婆は、それ以上何も聞かず、一行を招き入れてくれた。
温かい食事ができること、そして何よりも今夜、屋根のある場所で眠れることに、ミツキたちは心からの安堵を覚える。
老婆は手早く部屋と湯浴みの準備を整えると、一行に尋ねた。
「あんたたち、一体どこから来たんだい? この終わらない夜の中を、よくもまあ無事に……」
ようやく見つけた人の温かさに、エリシェヴァが代表して、この街に来た経緯を話し始めるのだった




