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第二話 それぞれの夜

「終わらない夜」が始まって、一日が過ぎた頃。

 ミツキ達がカラート・シャムスへと向かうと同じく、砂漠の道に白亜の軍勢が進軍していた。

 教皇アダムス直属の浄化官と神官兵たち。

 彼らは自らの神力を結集して巨大な光の結界を展開し、夜の闇と砂漠の寒気から身を守りながら、一糸乱れぬ隊列で砂丘を越えていく。

その中心に位置する、ひときわ大きな天幕の中。

地図を広げた作戦会議のテーブルを前に、教皇アダムスが椅子に深く腰掛けていた。

 

「――以上です。猊下」

 

浄化官の隊長が、各地の支部から届いた報告を終え、恭しく頭を下げる。

 

「『終わらない夜』の現象は、大陸全土で確認されております。今のところ、原因は依然として不明。しかし、異変の中心地は、ほぼ間違いなくカラート・シャムスかと」

 

アダムスは静かに頷き、地図の上で「カラート・シャムス」と記された一点を指でなぞった。

 

「あの街には、太陽を司る熾天使ウリエル様が赴任されていたはず。彼が天上の秩序を守護する地で、太陽が昇らぬなどという異変が起きるとはな……」

 

その声は静かだったが、側に控えていた神官は息を呑んだ。

 

「ウリエル様が……失敗されたと? まさか……」

 

「あるいは、ウリエル様の『浄化の儀』に、何らかの横槍が入ったのかもしれん」

 

アダムスは冷ややかに告げる。

神官は戸惑ったように問い返した。

 

「浄化の儀……と申しますと、あの街に古くから伝わる……その、穢れし子供を……」

 

「そうだ」とアダムスは頷く。「忌まわしき風習ではあるが、ウリエル様は、あの土地に根付く古き神々の穢れを祓うため、限定的にその儀式を許容されていた。全ては、より大きな厄災を防ぎ、天上神の秩序を守るため。……その神聖な儀式を妨害する者がいるとすれば、それはまさしく神に牙を剥く異端者だ」

 

その時、天幕の外から偵察兵が駆け込んできた。

 

「ご報告します! カラート・シャムスの街に、最重要監視対象の反応を確認!」

 

「誰だ」

 

アダムスの鋭い問いに、偵察兵は緊張した面持ちで答えた。

 

「マーロウ村の異端者――セレスティアです!」

 

その名に、天幕の中の空気が凍りついた。

セレスティア――数年前にマーロウ村で、調査に赴いた天使の一団を皆殺しにした「無敵の聖女」。教会にとっては、その存在そのものが冒涜であり、最も危険な異端者の一人として記録されている少女。

 

「……そうか。あの化け物も、そこにいたか」

 

アダムスの唇に、冷たい笑みが浮かぶ。

 

「太陽の天使ウリエル様のいる街で、夜が明けない。そしてそこには、天使殺しの異端者セレスティアがいる。……偶然にしては、出来すぎているな」

 

アダムスはゆっくりと立ち上がり、傍らに立てかけてあった黄金の槍『ロンギヌス』を手に取った。

 

「全軍に伝えよ。これより、進軍速度を上げる。カラート・シャムスは、神に仇なす者どもが集う異端の巣と化した。――我ら自らの手で、その全てを浄化する」

 

その碧眼は、獲物を見つけた狩人のように、絶対的な確信の光を宿していた。

彼の視線の先には、ミツキ、セレスティア、そして魔王たちが集う、運命の舞台――カラート・シャムスが待っていた。


――



アイン・アル・ハヤトを出発して、初めての夜が訪れた。

いや、「夜が訪れた」という表現は、もはや正しくないのかもしれない。世界は、あの日からずっと夜のままだからだ。

 

一行は小さな岩陰に身を寄せ、焚き火を起こしていた。ぱちぱちと爆ぜる音が、四人の少女の顔をぼんやりと照らす。

空を見上げれば、そこには凍りついた星空が広がっていた。瞬きもせず、位置も変えず、ただ不気味なまでに美しく輝き続けている。

 

「……やはり、気味が悪いな」

 

最初に沈黙を破ったのは、剣の手入れをしていたルークだった。

 

「この動かない星空の下では、方角も、時間の感覚も狂ってしまう。……厄介だ」

 

「ええ……」とエリシェヴァが同意する。


 「アイン・アル・ハヤトの人たちも、とても不安そうにしていたもの。太陽が昇らないなんて、作物も育たなくなってしまうわ……」

 

世界の終わりが、静かに始まっているかのような錯覚。その重い空気に、ライラがぽつりと呟いた。

 

「……アーリヤも、星を見るのが好きでした」

 

三人の視線が、そっと彼女に集まる。

 

「ザビール家の館の、一番高い場所にある小さな窓から……二人でこっそり、抜け出して。いつかあの星の下を、自由に歩いてみたいねって……いつも話してたんです」

 

その瞳には、もう涙はなかった。ただ、深い哀惜の色だけが揺らめいている。

エリシェヴァは、何も言わずにライラの隣に座り、その肩にそっと毛布をかけた。

その光景を見つめながら、ミツキは夢の中での翁との対話を思い出していた。

アヤメの悲劇。そして、彼女を絶望から救えなかったという翁の後悔。

 

「……あたしの前にね」

 

ミツキは、焚き火の炎を見つめながら、静かに切り出した。

 

「あたしと同じように、この世界に来た子がいたんだって――翁から聞いたの」

 

その唐突な言葉に、エリシェヴァたちが顔を上げる。

 

「え……? ミツキと同じって……どういうこと?」

 

エリシェヴァが戸惑いながら尋ねる。

 

「カルデア・ザフラーンで会ったサンクタ・エヴァのリーダー、アヤメのことだよ。……翁が教えてくれた。あの子は、あたしより先にこの世界にやってきた、『第一の翁の巫女』なんだって」

 

「「「えっ!?」」」

 

エリシェヴァ、ルーク、ライラの三人が、同時に驚きの声を上げた。

 

「ミツキと同じ……?? じゃあ、あの子も別の世界から……?」


エリシェヴァの声が震える。

ルークも、普段の冷静さを失って目を見開いた。

 

「……なるほどな。だからあれ程の異質な力を持っていたのか。ようやく納得がいった」

 

ライラは「別の世界……?」と、ただ呆然と呟くことしかできなかった。

ミツキは、仲間たちの驚きを受け止めながら、静かに頷いた。

 

「うん。そして、その子も……きっと最初は、あたしたちみたいに仲間を救いたいって、必死に戦ってたんだと思う。『白き勇者』って呼ばれるくらいにね」

 

「あの白き勇者が……どうして、あんな……」

 

エリシェヴァの問いに、ミツキは続けた。

――伝説の白き勇者、かつての魔界戦争にてアダムスと共に人間界に侵攻してきた魔王や悪魔達を打ち倒した英雄だ。

  

「信じてた正義に、アダムスに裏切られたから。……でも、それだけじゃなかった。翁は言ってた。アヤメが絶望して、完全に孤立してしまった心に……別の魔王の影が差し込んだんだって」

 

ミツキの声が、少し重くなる。

 

「その名は、『原罪の魔王』ジャランダラ」

 

その名を聞いた瞬間、ルークとエリシェヴァの表情が凍りついた。

 

「ジャランダラ……だと……?」

 

ルークの声が、驚愕に震える。

 

「馬鹿な……それは、魔界戦争よりもさらに古い、神話の時代の魔王の名だ。……とっくの昔に、天上神によって完全に滅ぼされたと、アスタロト様から聞いているが……」

 

エリシェヴァもまた、青い顔で頷いた。


「私も、聖レクス市の禁書庫で一度だけ……。かつて世界を治めていた魔王としてその名が……。まさか、本当に実在したなんて……」

 

「だから、あたしは絶対にそうならない」

 

その声は、夜の静寂を打ち破るように、力強かった。

 

「ライラがアーリヤの思い出を背負って戦うって決めたように、あたしも、みんなの想いを背負って戦う。アヤメみたいに、一人で全部抱え込んだりしない。絶対に」

 

彼女は、自分の胸をぎゅっと握りしめた。

 

「この終わらない夜も、疫病のことも、きっとすごく大変だと思う。でも、四人一緒なら、きっと大丈夫。……そうだよね?」

 

ミツキの言葉に、エリシェヴァは力強く頷き、ルークもまた、一度だけ静かに目を伏せた。

ライラは、瞳に溜まった新しい涙をぐいと拭うと、かすかに、しかし確かに微笑んだ。

 

「……はい」

 

凍りついた夜空の下、四つの心が一つになった。

焚き火の炎が、彼女たちの決意を照らすように、ひときわ明るく燃え上がった。



――



アイン・アル・ハヤトの街から、一人の青年が静かに姿を消した。

湖畔の街の穏やかな灯りを背に、彼は一人、永遠に続く夜の砂漠へと足を踏み出す。耳に飾られた孔雀の羽根が、動かない星々の下で、微かに揺れた。

 

(しかしこんな夜更けに、子供がならず者に絡まれるとはな。……この街も、もはや完全な聖域ではないということか)

 

先日助けた少女の怯えた瞳を思い出し、彼は小さく息を吐く。

だが、彼の思考はすぐに、より大きな厄災へと向けられた。

数日前から、世界はおかしい。

天の時は止まり、太陽は昇らない。そして、その異変と時を同じくして、不穏な噂が風のように彼の耳へと届いていた。

 

(――魔王ラマシュトゥが狂乱し、人間界の子供を攫っている……。そして、その元凶はカラート・シャムスにある、か)

 

報告によれば、かの街では忌まわしき儀式が執り行われているという。

この「終わらない夜」も、狂った魔王も、おそらく無関係ではない。全ての元凶は、かの地に集約されつつある。

青年は、カラート・シャムスの方角を睨み据えた。その瞳には、夜の闇よりも深い、静かな怒りの炎が宿っていた。

 

「……行くか」

 

誰に言うでもなく呟くと、彼は砂丘を蹴った。

ラクダも使わず、ただ己の足だけで、常人では考えられぬ速度で砂漠を疾走していく。その姿は、まるで夜を駆ける一陣の風だった。

天上神の謀略。

狂った魔王の暴走。

そして、それに巻き込まれるであろう、名もなき人々の悲鳴。

 

(これ以上の悲劇は、俺が止める)

 

孔雀の羽を持つ青年は、ただ一つの決意を胸に、世界の時が止まった砂漠を、ひたすらに東へと向かうのだった。

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