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第一話 休息、森林の街アイン・アル・ハルトへ


アーリヤの小さな墓標に最後の別れを告げ、一行が次の目的地であるアイン・アル・ハヤトへ向けて出発しようとしていた時だった。トッサカンの迷宮から解放された避難民の中から、一人の年老いた男性がミツキたちの前に進み出た。

 

「旅のお方々。次の街へ行かれるのなら、どうか、お待ちくだされ」

 

深く刻まれた皺と、日に焼けた肌。隊商を率いる長のような、威厳のある佇まいだった。彼は、ミツキたちの前で深く頭を下げる。

 

「我らを……いや、この街に残された者たちを救っていただき、なんとお礼を言えばよいか。あなた方が魔王を退けてくださらなければ、我々はあの不思議な迷宮から出ることもできず、いずれ力尽きていたでしょう」

 

ミツキは静かに首を振った。

 

「あたしたちは、誰も救えなかった。一人の仲間さえ、守れなかったから……」

 

その声には、アーリヤを失った痛みが色濃く滲んでいた。

老人は、それでも穏やかに顔を上げた。

 

「いいや、あなた方は希望をくださった。憎しみと炎に呑まれたこの街で、最後まで人のために戦う姿を見せてくださった。……どうか、これを受け取ってくだされ。我々からの、せめてもの感謝の印です」

 

老人が手招きをすると、彼の仲間が数頭のラクダを連れてきた。砂漠の旅に慣れた、屈強で賢そうなラクダたちだった。

 

「あなた方の旅は、まだ続くのでしょう。この砂漠を徒歩で越えるのはあまりに過酷です。この子たちが、きっとあなた方の助けになるはず」

 

「そんな、わけには……」

 

エリシェヴァが戸惑いの声を上げる。しかし、老人は力強く言った。

 

「どうか、受け取っていただきたい。これは、あなた方が繋いでくださった我々の『未来』からの、ささやかな贈り物なのですから」

 

その真摯な瞳に、一行はもう断ることができなかった。

ミツキは深く頭を下げ、感謝の言葉を述べた。

 

「……ありがとう。大切にするよ」

 

一行は老人に教えられながら、慣れない足取りでラクダの背に乗る。ライラは少し怖がっていたが、ルークが静かに手綱の引き方を教えると、やてその高い視点に驚きの声を上げた。

 

「さあ、行こう。アイン・アル・ハヤトへ」

 

ミツキの号令で、ラクダたちはゆっくりと歩みを進め始める。

避難民たちに見送られながら、四人の少女は、砂漠の彼方へとその姿を消していった。

ラクダの背に揺られて二日が過ぎた。

 

見渡す限り続く砂丘と、遮るもののない灼熱の空。肉体的な疲労は歩くよりずっと軽かったが、延々と続く単調な景色は、精神を少しずつ削っていく。

 

――唯不思議なことに、広大な砂漠で道に迷うことはなかった。ラクダたちが確かな足取りで、まるで目に見えない道を知っているかのように、黙々と歩き続けたからだ。

 一行の水筒が空になる寸前、まるで導かれたかのようにしてたどり着いた岩陰には、偶然にも清水が湧いていたことさえあった。

 

「……ねぇミツキ、本当にこっちで合ってるの?」

 

ラクダの揺れにぐったりしながら、エリシェヴァが不安げに尋ねる。

 

「うん……。翁が言っていた通りなら、もうすぐのはず。この子たちも、何かを感じてるみたいだし」

 

ミツキはラクダの首筋を撫でながら答えた。その言葉通り、ラクダたちの歩みは心なしか力強くなっている。

 

(もしかして翁が……あるいは、この土地のジンたちが、導いてくれているのかな)

 

ミツキは、翁がくれた希望を胸に、前を見据えた。

その時だった。先頭を行くルークが、ぴたりとラクダを止めた。

 

「……ルーク?」

 

ミツキが声をかけると, 彼女は答えずに、ただ真っ直ぐ前方を指さした。

 その指の先、陽炎で揺らめく地平線の彼方に、黒い線のようなものが見える。

 

「蜃気楼……じゃないわ」とエリシェヴァが呟く。「あれは……緑……?」

 

その言葉が、一行の心に確かな希望を灯した。

彼女たちは顔を見合わせ、ラクダの歩みを少しだけ速めた。

 

一歩、また一歩と進むにつれて、幻だと思っていた光景は、確かな現実としてその姿を現していく。

まず、乾いた風に、湿った土と草いきれの匂いが混じり始めた。

 

次に、微かな水のせせらぎが聞こえてくる。

そして、砂丘を一つ越えた瞬間――彼女たちの目の前に、信じられない光景が広がった。

 


―――― 

 

広大な砂漠の真ん中に、ぽっかりと空いた巨大な泉。エメラルドグリーンに輝く湖が、太陽の光を静かに反射している。その湖畔を囲むように、青々としたナツメヤシの木々が茂り、その木陰に寄り添うように、白壁の家々が立ち並んでいた。

 

窓辺には色とりどりの布がはためき、家々の間からは子供たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。市場らしき場所では、商人たちが瑞々しい果物や野菜を山と積んでいた。

 

「着いた! ここが、アイン・アル・ハヤト!」

 

ミツキの声が、安堵に弾む。

カルデア・ザフラーンの焼けた廃墟とは、あまりにも違う。命に満ち溢れた、穏やかな光景。

 

「まぁ……。なんて、綺麗な場所。」

 

エリシェヴァは胸に手を当て、深く息を吸い込んだ。

ルークも、険しい表情をわずかに緩め、静かに頷いた。

だが、ライラだけが、街の入り口で立ち尽くしていた。

 

彼女の瞳は、目の前の光景を信じられないというように、大きく見開かれていた。市場で母親に果物をねだる子供。井戸端で談笑する女たち。当たり前のように存在する、穏やかな日常。

 

それは、奴隷として生まれ、生きるためだけに耐え忍んできた彼女が、一度も見たことのない世界だった。

眩しすぎて、あまりにも綺麗すぎて、自分のような者が足を踏み入れてはいけない場所のように思えた。彼女は無意識に、アーリヤの形見である布切れを強く握りしめる。

その震える肩に、そっと温かい手が置かれた。ミツキだった。

 

「行こう、ライラ」

 

ミツキは、ライラの不安を見透かしたように、優しく微笑んだ。

ミツキの優しい言葉に背中を押され、ライラは震える足で一歩、街の中へと踏み出した。

 

目に映るすべてが、彼女にとっては驚きだった。

水路を流れる水のきらめき、市場で交わされる穏やかな会話、子供たちの屈託のない笑い声。ザビール家の館で聞こえた怒声や悲鳴とは全く違う、平和な音で世界は満ちていた。


一行は街の小屋でラクダ達を休ませると、湖畔に立つ一番大きな宿屋「生命の木陰亭」の扉を叩いた。

温厚そうな宿の主人は、砂と埃にまみれた一行の姿を見ても嫌な顔一つせず、すぐに部屋と温かい食事、そして何よりも湯浴みの準備を整えてくれた。

 

「さあ、ライラ、まずは汚れを落としましょ。新しい服も買いに行かないとね」

 

エリシェヴァが、まだ戸惑っているライラの手を優しく引く。

生まれて初めて入る、香りの良い湯。

砂と血と涙でごわついていた髪が、指通り滑らかになっていく。

湯浴みを終え、ミツキが市場で買ってきた簡素だが清潔なワンピースに着替えたライラは、鏡に映る自分の姿を信じられない思いで見つめていた。奴隷の焼き印も、汚れも、今は服の下に隠れている。

 湯浴みを終え、髪から湯気の立つライラに、ミツキは満面の笑みで宣言した。

 

「うん、さっぱりしたね! でもライラ、その服はあくまで湯上がり用の『とりあえず』のものだからね」

 

「えっ……?」

 

ミツキは満面の笑みで宣言した。

 

「これからの旅で着る、ライラだけの『新しい服』を買いに行こう! 奴隷の時のボロボロ服はもちろん、その仮の服ともおさらばして、新しい門出を祝うんだよ!」

 

ミツキは有無を言わせずライラの手を引き、エリシェヴァとルークもそれに続いた。

アイン・アル・ハヤトの市場は活気に満ち、色とりどりの織物や衣類を扱う露店が軒を連ねている。その光景に、ライラは完全に気圧されていた。

 

「わー、見てライラ! この服なんてどうかな!?」

 

ミツキが目を輝かせて手に取ったのは、踊り子が着るような、金糸の刺繍が施された真っ赤なドレスだった。布の面積が少なく、あちこちにスリットが入っている。

 

「ひっ……!」

 

ライラは悲鳴に近い声をあげ、ぶんぶんと首を横に振った。

エリシェヴァが困ったように微笑む。

 

「ミツキ、気持ちは分かるけど、それは少し刺激が強すぎないかしら……。それに、私たちの旅にはあまり向いていないと思うわ」

 

「うーん、そっか。じゃあ、こっちは!?」

 

ミツキが次に持ってきたのは、貴族の令嬢が着るような、フリルとレースで幾重にも飾られた淡いピンクのドレスだった。

 

「こ、こんな綺麗な服……私が着たら、汚してしまいます……!」

 

ライラは後ずさり、壁と一体化しそうなほど縮こまってしまった。

 

「大丈夫だって! 汚れたら私が洗うからさ!」

 

「そういう問題じゃないと思うの……」

 

ミツキとエリシェヴァがそんなやり取りをしていると、これまで黙って腕を組んでいたルークが、露店に並ぶ無骨な革鎧を指さした。

 

「……いっそ、これを着せてはどうだ? 防御力も高いし、耐久性もある。合理的だ」

 

「もうっルークまで! ライラは戦士じゃないんだから!」

 

ミツキがツッコミを入れる。三人のやり取りを前に、ライラはオロオロするばかりだった。

そんなライラの視線が、ふと、店の隅に掛けられた一着の服に留まった。

それは、エリシェヴァが着ているような、茶色とオレンジ基調とした丈夫な布地のワンピースだった。飾り気はないが、裾には素朴な花の刺繍が施されている。

その視線に気づいたエリシェヴァが、優しく微笑んだ。

 

「……ライラ、あのお洋服が気になるの?」

 

「あ……えっと……その……」

 

エリシェヴァは、ミツキとルークの相手をしていた店主を呼び止め、そのワンピースを指さした。

 

「すみません、あちらの服を見せていただけますか?」

 

試着用の簡素な仕切りの裏で、ライラは恐る恐るワンピースに袖を通した。

布地は柔らかく、身体に優しく馴染む。奴隷服の、肌を刺すようなごわごわした感触とは全く違った。

そっと外に出ると、三人が「おぉ」と声を上げた。

 

「うん、すごく良いじゃない! 落ち着いた色合いがライラにぴったりだ!」

 

ミツキが自分のことのように喜ぶ。

 

「ええ、とても素敵よ、ライラ」

 

エリシェヴァも微笑む。

ルークも、一度だけ静かに頷いた。

 

「……ああ。さっきの鎧よりは、いい」

 

「まだ鎧のこと言ってるの!?」

 

仲間たちに褒められ、ライラは戸惑いながらも、生まれて初めて自分の意志で選んだ服の裾をそっと握りしめた。その顔は、まだ俯きがちだったが、口元には確かな笑みが浮かんでいた。

その夜、宿屋の食堂で、四人はようやく人心地つくことができた。

 

新しい服を着たライラは、まだ少し落ち着かない様子だったが、その表情はカルデア・ザフラーンにいた頃とは比べ物にならないほど穏やかだった。

ミツキたちの他愛のない会話と、温かい食事の匂い。


 (アーリヤ……見てるかな……?)

 

ライラは、この温もりを決して忘れないと、心に強く誓った。



――




その夜、宿屋の食堂で、四人はようやく人心地つくことができた。

テーブルに並べられたのは、香辛料の効いた羊肉の煮込み、焼きたてのパン、そして瑞々しい果物。カルデア・ザフラーンで口にした干し肉とは比べ物にならない、温かい食事だった。


 

「んー、おいしい! このお肉、すごく柔らかい!」


 

ミツキが頬張りながら目を輝かせていると、食事を運んできた恰幅の良い女将がにこやかに話しかけてきた。

 

「お嬢ちゃんたち、旅の人だね。もしかして、カルデア・ザフラーンの方面から来たのかい?」

 

その名に、一瞬空気が張り詰める。エリシェヴァが代表して、慎重に頷いた。

 

「……ええ。酷い有様でした。でも……不思議なのです。あれほどの惨状だったのに、この街はとても平和で……教会の浄化官の方も見かけません。何か理由があるのでしょうか?」


 

その問いに、女将は「ああ、なるほどね」と深く頷き、声を潜めた。

 

「そりゃあ、あんたたちが通ってきたあの街と、このアイン・アル・ハヤトは、似ているようで全く違う運命を辿ったからさ」

 

彼女は窓の外、月明かりに照らされてきらめく湖を指さした。

 

「昔々、この辺り一帯は広大な森でね。カルデア・-ザフラーンも、この街も、人々は天の神様じゃなくて、森や泉に宿るジンたちを敬って暮らしていたんだ。……そう、天の使いが、空から降りてくるまではね」

 

女将の目に、一瞬だけ遠い過去を懐かしむような、それでいて厳しい光が宿った。

 

「天の使いは、ジンを『穢れ』だと言って、森を焼き払おうとした。だからカルデア・ザフラーンは……その炎に呑まれて、ジンも森も、全部失っちまった。だから、教会の力に頼るしかなくなったんだ」

 

「…………」

 

一行は、歴史の裏側を垣間見た気がして、息を呑んだ。

 

「だけど、この街は違った」と女将は続けた。


 「天の使いが襲ってきた時、偶然にも、一人のそりゃあ強い旅の戦士がこの街に立ち寄っていてね。そのお方が、たった一人で天の使いを迎え撃ち、追い払ってくれたのさ」

 

「たった一人で……天の使いを!?」


 ミツキが驚きの声を上げる。

 

「ああ。だからこの街は、森もジンも、そして何より自分たちの暮らしを守ることができた。古き精霊たちの力が残るこの土地じゃ、教会の連中が振りかざす『神力』ってやつも力が弱まるらしくてね。おかげで奴らも寄り付かず、面倒な魔女狩りとも無縁に暮らせてるって訳さ」

 

女将は誇らしげに胸を張った。

 

「ま、そういう訳だから、ゆっくりしていきな。旅の疲れを癒やすには、美味しいご飯と平和な時間が一番だからね!」

 

言い伝えと現実が混じった話。だが、一行にはその言葉が何よりの真実に聞こえた。

 

この場所の平穏は、ただ奇跡的に与えられたものではない。名も知らぬ英雄が戦い、勝ち取ったものなのだと。

ライラは、温かいスープを一口含んだ。ザビール家の館で食べた、冷たい残飯とは全く違う味が、ゆっくりと身体に染み渡っていく。

 

――アーリヤが夢見た「自由」とは、きっとこういう温かい場所のことだったのかもしれない。

彼女はそっと、胸に抱いた形見の布切れを握りしめた。

新章・スタートです。

いわゆる日常回みたいな感じです。

感想等いただけるとありがたいです。

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