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第十五話 休息の町へ


カルデア・ザフラーンの惨劇から、半日程経った。

 

背後では、陽炎の中に沈む廃墟が蜃気楼のように揺らめいている。やて陽が落ち、砂漠の空が深い藍色に染まる頃、彼女たちは小さな岩陰を見つけて腰を下ろした。

パチ、パチ、と乾いた薪が爆ぜる音が、夜の静寂に響く。


焚き火の小さな炎が、四人の少女の顔をぼんやりと照らし出していた。誰もが口を開かず、ただ揺れる炎を見つめている。疲労と悲しみが、重い空気となって一行を包んでいた。


沈黙に耐えかねたように、ライラが震える声で口を開いた。

 

「あの……私、剣も使えないし、魔法も……。足手まとい、ですよね……?」

 

俯いた彼女の小さな肩が、不安に揺れている。アーリヤという唯一の光を失い、今はただ強力な魔女たちの中にぽつんといるだけの、無力な元奴隷。その現実が、彼女を苛んでいた。


その声に、エリシェヴァが静かに首を振った。

 

「そんなことないわ。私も、ミツキと会ったばかりの頃はそう思ってた。ただ守られているだけで、何もできないって……でも、一緒にいるだけで支えになることもあるのよ」

 

彼女はそっとライラの隣に寄り添い、その冷たい手を握る。

 

「……腹が減っては、何も始まらない」

 

ぶっきらぼうな声と共に、ルークが火で炙った干し肉を無言でライラの前に差し出した。その隻眼は炎を見つめたままだが、その横顔には確かな気遣いが滲んでいる。

 

「……でも……」

 

ライラが戸惑っていると、ルークはぽつりと続けた。

 

「……何もできなかったと、後で悔やむのはもうたくさんだ」

 

その言葉には、セレスティアを救えなかった彼女自身の過去が重く響いていた。

ミツキは、仲間たちのやり取りを静かに見つめ、そしてライラに向き直った。その瞳は、リーダーとしての決意に満ちていた。

 

「足手まといなんて、この仲間には一人もいないよ」

 

ミツキの声は、静かだが力強かった。

 

「ライラには、ライラにしかできないことがある。……これから、色々教えてほしい。アーリヤのこと、奴隷として生きてきた子たちのこと。あたしたちが知らない世界を、あなたは知ってる。その知識と……アーリヤの未来を繋ぎたいっていうあなたの意志が、あたしたちの新しい力になる」

 

「私の……意志が……?」

 

「うん」とミツキは頷く。


 「あたしたちは、教会や神様が決めた正義と戦う。でも、何が本当に正しいことなのか、時々分からなくなるかもしれない。そんな時、ライラが『それは違う』って言ってくれなきゃ困る。アーリヤが見たかった未来を知っているのは、あなただけなんだから」

 

ライラの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。それは、先ほどまでの絶望の涙とは違う、温かい雫だった。

彼女は差し出された干し肉をゆっくりと受け取り、小さく、しかしはっきりと頷いた。

 

「……はい」

 

焚き火の炎が、再びぱちりと音を立てる。

少女たちの間には、まだ悲しみの影が色濃く残っている。

けれど、そこには確かに、新たな絆が生まれていた。砂漠の夜空の下、四人は静かに、次の朝へと向かう覚悟を決めていた。


 ――



 その夜、ミツキの意識は再びあの異空間へと引き込まれた。

 

虚空にそびえる黒い大樹。その根元には、血のように咲き乱れる彼岸花。

 風もないのに揺れる花弁が、疲れ果てたミツキの魂を迎えていた。

大樹の根元に、翁が静かに佇んでいる。

 

「……戻ったか、ミツキ」

 

黄金の瞳が、真っ直ぐに彼女を見据える。

 

ミツキは、その場に崩れ落ちるように膝をついた。

 焚き火の前では気丈に振る舞っていたが、この夢の世界では、心の重さを隠すことはできなかった。

 

「……翁。イブリースのシギルは、手に入れたよ」

 

その声は、かろうじて絞り出したものだった。

 

「でも……アーリヤは……救えなかった。あたしは、あの子に仲間だって言ったのに……目の前で……」

 

言葉が詰まり、唇を強く噛みしめる。脳裏に焼き付いて離れない。

 浄化官の放った無慈悲な矢、アーリヤの最後の微笑み。

 

「あたしは、新しい力を手に入れた。『死の権能』だって……。触れた命を絶つ力なんて、何のためにあるの? あたしは、誰も殺したいわけじゃない! 守りたかった……! アーリヤみたいに、生き直したいって願った子を、ただ守りたかっただけなのに……!」

 

それは、翁を責める言葉ではなかった。

 自分自身に与えられた、あまりにも残酷な力への問いだった。


――そして、その叫びを翁は静かに受け止めていた。

 

やがて彼はゆっくりとミツキの前に歩み寄り、その声は常よりもずっと優しく響いた。

 

「……ああ……辛かったな、ミツキ。お前はよく戦った。そして、一人の少女の心を確かに救った。……だが、お前の力をもってしても、今の世界の理の前では、命を繋ぎ止めることはできなかった」

 

翁はそっとミツキの頭に手を置いた。不思議と、温かい感覚がした。

 

「だが、決して希望を捨てるな。お前が今流す涙も、その苦しみも、決して無駄にはならない」

 

「……どういう、こと……?」

 

ミツキが涙に濡れた顔を上げる。

翁の黄金の瞳が、遠い未来を見据えるように細められた。

 

「そうだな。お前がシギルを集める本当の意味を、まだ話していなかったな。シギルは、天上界への扉を開くための鍵だ。そして、扉の先にある理を書き換えるための力でもある」

 

翁の声には、静かだが、神々の世界すら揺るがすほどの確信が込められていた。

 

「理を……書き換える?」

「そうだ。今の世界は、天上神どもが作り上げた歪なものだ。だから魔女狩りのような悲劇が起きる。……だが、全てのシギルが揃った時、我々はその理を破壊し、世界を再構築することができる」



翁はミツキの瞳を真っ直ぐに見つめ、囁くように言った。

 

「――そうすれば、アーリヤや、これまで教会に理不尽に処刑された魔女たちが、もう一度笑って暮らせる世界を作ることも、夢ではない」

 

「……!」

 

ミツキは息を呑んだ。信じられない、というように目を見開く。

 

「本当……なの? そんなことが……本当にできるの?」

 

「できる。そのために、私はお前をこの世界に呼んだのだから」

 

翁は静かに頷くと、ミツキから手を離した。

 

「だが、それは全ての戦いが終わった後の話だ。今のままでは、お前も仲間たちも心身ともに擦り切れてしまうだろう」

 

翁が手をかざすと、ミツキの脳裏に新たな光景が浮かび上がった。

それは、砂漠を抜けた先にある、青々とした森と、穏やかな湖畔に佇む小さな街だった。

 

「次の街アイン・アル・ハヤトで、しばし羽を休めるがいい。お前たちには休息が必要だ。……仲間と共に、傷を癒やしなさい。ともを失ったばかりの、ライラの心の傷もな」

 

その言葉は、厳格な導き手としてではなく、仲間を想う優しい響きを持っていた。

ミツキの胸に、アーリヤを失った悲しみとは違う、温かい光が灯った。

それは、あまりにも遠く、けれど確かな希望だった。

 

「……分かった。ありがとう、翁」

 

ミツキは涙を拭い、強く頷いた。

 

(待ってて、アーリヤ。あたしが、あたしたちが、絶対に……!)

 

その決意を見届けた翁は、満足げに微笑むと、静かに姿を消していった。

 

夢の世界が崩れ、ミツキの意識は現実へと戻っていく。

胸には、新たな誓いと、翁がくれた温かい希望を抱いて。



――



ミツキたちがアーリヤの小さな墓標に静かな誓いを立てていた頃、街の反対側――黒く焼け爛れたザビール家の宮殿跡では、別の儀式が執り行われていた。

 

月明かりすらない闇の中、宮殿の中庭に巨大な魔法陣が紫黒の光を放って脈打っている。

 

――それはインクで描かれたものではない。イブリースの炎で死んだ者たちの亡骸の「灰」を触媒にして描かれた、禁忌の術式だった。

 

その魔法陣の中心に向かい、サンクタ・エヴァの魔女たちが、炭化した死体を次々と投げ入れていた。

 

「ふん、こいつはザビール家の番兵の一人ね。奴隷の少女たちを鞭打っていた男よ。死してなお、私たちの世界のために役立つなんて、光栄に思いなさい」

 

赤髪の魔女イザベラが、嘲るように言って死体を蹴り入れた。死体は魔法陣に触れた瞬間、じゅ、と音を立てて溶け、禍々しい怨念の叫びとなって光の渦に吸い込まれていく。

 

「イザベラ、感傷は不要よ」

 

青髪の魔女ソフィアが、冷ややかに告げる。彼女は儀式の進行を冷静に分析していた。

 

「ザビール家の人間や奴隷商人たちの魂は、生前の罪が深いほど良質な燃料となる。彼らの断末魔の絶望と、焼き尽くされた肉体……魔王を復活させるには、これ以上ない贄ね」

 

魔法陣の光が強まるたびに、中庭には言いようのない悪寒が満ちていく。


 その光景を、祭壇のように崩れた噴水の縁から、一人の少女が静かに見下ろしていた。

 

白いドレスを纏ったサンクタ・エヴァのリーダー、アヤメ。

 その純白の姿は、眼下で繰り広げられる冒涜的な儀式とはあまりにも不釣り合いだった。

 

「そうねソフィアの言う通りよ。これは復讐ではないわ、イザベラ。感傷に浸るのはおやめなさい」

 

アヤメの声は、夜の静寂に凛と響いた。

 

「彼らの死は、無意味だった。欲望の果てに、ただ炎に呑まれただけ。私たちは、その無価値な死に『意味』を与えているの。我らが同胞……虐げられた魔女たちの新世界を築くための、礎という名の意味をね」

 

彼女の言葉は、まるで祈りのように聞こえた。その黒い瞳は、目の前の死体ではなく、遥か未来を見据えている。

 やがて、最後の死体が魔法陣に捧げられる。

アヤメがそっと手を掲げると、魔法陣の光が天に昇る柱となり、ザビール家の者たちが蓄えた怨念と、街に満ちる悲しみを根こそぎ吸い上げていく。

 渦巻く紫黒のエネルギーは、アヤメが掲げた手のひらの上にある、黒曜石の宝珠へと収束していった。

やがて光が収まった時、魔法陣はただの灰の模様となり、中庭には静寂が戻った。アヤメの手の中にある宝珠だけが、集められた魂魄で鈍く、禍々しく脈打っている。

 

「……これで、器は満たされた」

 

ソフィアが報告する。

アヤメは宝珠を懐にしまうと、ふと、ミツキたちがいるであろう方角へ視線を向けた。

 

「怨念も、悲しみも、死体も集まった。けれど、これだけでは足りない……。“かの魔王”を完全に復活させるには、もっと純粋な力が必要よ」

 

その唇に、静かな笑みが浮かぶ。

 

「急ぎましょう。次の街へ。……私たちの『聖戦』は、まだ始まったばかりなのだから」

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