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第十三話 死の権能

石の回廊に黒と金の文様が脈打ち、空気が震える。

その中心に、戦争の魔王アスタロトと、豊穣の魔王ベルゼブブの姿が現れた。


イブリースに勝利はしたものの、二人とも完全に無傷という訳ではない。アスタロトの軍服は所々端が焦げ、長剣の刃には細かなひびが走っている。ベルゼブブの歪んだ翼は焼け焦げた痕を残し、羽音にかすかな乱れがあった。

それでも魔王の威容は揺るがず、ただそこに立っているだけで空間が支配されるような圧を放っていた。


「……よく無事に戻ったね、転生者たち」


ベルゼブブが静かに微笑む。声音は甘く粘るようだが、今は翳りを含んでいた。


「お前たちがいなければ、イブリースを人間界から追い出す事はできなかっただろう。……礼を言う」


アスタロトの低い声が響く。冷厳な響きだが、その奥に確かな感謝が滲んでいた。


その隣で、迷宮を開いたトッサカンが控えていた。

彼は肩を竦めて「いやいや、僕が案内しただけだよ」と軽口を叩いたが、その顔には緊張が張り付いている。


ミツキは一歩前に出て、思わず問いかける。

 

「……二人とも、本当に無事だったの? あの時……迷宮が崩れ落ちて……」


「おや、心配してくれるのかい?」


ベルゼブブは小さく羽を揺らし、口元に微笑を浮かべる。

 

「大丈夫。崩壊の直前、アスタロトと力を合わせて脱出したさ。……魔王はそう簡単に死なないよ」


アスタロトも頷く。

 

「むしろ、お前達の方が心配だった。……イブリースの力を受けながら、よくぞ生き延びたものだ」


「ね、ね? 僕の迷宮がなきゃ危なかったでしょ?」


トッサカンが口を挟む。強がった声だったが、誰よりも彼が安堵しているのが分かった。


ベルゼブブが目を伏せる。

 

「……成る程……結局、あの子は救えなかったみたいだね」


アスタロトも短く言葉を落とす。

 

「無念だな。最後に未来を語ったというのなら……せめてその意志を、誰かが継がねばならん」


ライラはうつむき、唇を噛み締める。ミツキは彼女の肩に手を置き、深呼吸をひとつした。


「実は、アーリヤを救おうとしてイブリースからシギルを奪ったとき……新しい権能に目覚めたみたい。でもあの時は戦闘に忙しくて翁の声を聞き取る余裕もなくて…どういったものなのか分からなくて……」


そう言って剣を抜く。刃の奥に、紅とも黒ともつかぬ光が脈打っていた。


「分かった。どれ、見せてみろ」


アスタロトがミツキの手に自身の手をかざし、ミツキの能力を読み取った。


「これは――“死の権能”だな。触れた命を、一瞬で絶つことの出来る力だ。……だが翁とは違い、不死を殺すことはできない。制約があるようだ」


「………………!」


アスタロトの言葉に空気が張り詰める。ベルゼブブは目を細め、優しい声で囁いた。

 

「死……ね。いよいよ翁の本質に近い権能を授かったんだね」


「危うい力だな」


アスタロトは腕を組み、低く告げる。

 

「だが同時に、この世界を変える鍵となるやもしれぬ。……使い方を誤れば、敵味方なく死を振りまくことになるがな」


「死……が翁の本質?」

 

ミツキは剣を握りしめたまま、視線を逸らさずに問う。

 ベルゼブブは答える。


「ああミツキ、君はまだ知らなかったね。君に力を与え導く彼の正体を」

 

 その声音は一瞬和らいだが、すぐに鋭さを帯びる。

 

「――翁という存在が、本当はどれほど異質か。……彼はかつて、天上神達にすら“死”を与えた。皆が彼を恐れ、決して触れようとしない唯一の存在だ」


ミツキは言葉を失い、胸の奥で何かがざわめいた。

 

(翁が……神を殺した? あの翁が……?)


ミツキを絶望から救い出してくれた存在。その翁が、天上神を葬った“異質”だと告げられる。

信じたい気持ちと、心臓を鷲掴みにされたような不安がないまぜになり、足元が揺らぐ。


「ベルゼブブ、それ以上は彼女にはまだ早い」

 

アスタロトの声が鋭く遮った。

ミツキは唇を噛み、剣を胸元に抱き寄せる。

 

(でも……翁は、あたしを導いてくれた。あたしを見捨てず、この世界に転生させて力を与えてくれた。あれが……全部嘘だなんて、そんなこと……!)


その肩がわずかに震えているのを、仲間たちは見逃さなかった。

エリシェヴァは心配そうに一歩踏み出しかけ、けれど声をかけるべきか迷い、ただ唇を結んだまま見守るしかなかった。

ライラは両手を胸の前で組み、祈るようにミツキを見つめていた。


少しして、ミツキは自身を落ち着かせると静かに口を開いた。

  

「分かった。正直怖い…………でも、この力があれば、アーリヤのように誰かを見殺しにせずに済むかもしれない。だから――使うべきときには迷わないよ」


その答えに、トッサカンが目を丸くする。

 

「……ほんとに大丈夫なの? そんな力、下手したら自分まで壊れちゃうんじゃ……」


ベルゼブブが柔らかく笑い、彼の肩に手を置く。

 

「君の心配ももっともだよ。でも……この子は自分の恐怖を理解した上で選んでいる。その覚悟、忘れないことだね」


そしてベルゼブブは、視線をエリシェヴァへと移した。

 

「……君も、よくやったじゃないか。癒やすばかりでなく、最後まで仲間を支えていた」


エリシェヴァは俯き、小さく震える声で答える。

 

「……でも私は……アーリヤを救えませんでした。癒やせる力があったのに、間に合わなくて……」


「まだそんなことを言うのかい?」

 

ベルゼブブは軽く首を振り、彼女に近づいた。

 

「君がいたから皆が立ち上がれたんだ。癒やしたのは傷だけじゃない……その事実を忘れてはいけないよ」


エリシェヴァは息を呑み、涙を拭って小さく頷いた。

 

「……はい。次は……必ず」


ベルゼブブは微笑み、わざと肩をすくめてみせる。

 

「ん、いい子だ。君が折れてしまったら、私まで退屈してしまうからね」


トッサカンが横で「いや、そこで退屈とか言うんだ……」とぼやき、空気がわずかに和らいだ。

その最中、魔王達のいる空間が一瞬クラりと歪みだす。

アスタロトは鋭い眼差しを向けたまま、ゆっくりと背を向ける。

 

「……む、そろそろ時間か。いずれまた会おう。その時まで、剣を鈍らせるな」


ルークが静かに頷く。

 

「……心得た。アスタロト様、次に会う時までに必ず力を磨いておく」


その言葉に、アスタロトはわずかに口元を緩めた。

 

「うむ……それでいい」


そして彼女はライラの方に向き直ると、低く重い声を落とした。


「……結局、アーリヤを救うことはできなかった。未来を語った少女を、この手で守れなかったのは……我ら魔王の落ち度だ」


その声音には冷厳さを残しつつも、わずかな悔恨が滲んでいた。

 ベルゼブブも片翼を揺らし、視線を伏せる。

 

「……私もね、あの子にもう少し寄り添えたんじゃないかと、少し後悔しているよ。……ごめんね、ライラ」


突然の謝罪に、ライラは驚いたように顔を上げた。

迷いの色を浮かべながらも、やがて小さく首を横に振り、涙を拭って微笑んだ。


「……そんな、違います。アーリヤを救えなかったのは……私たち人間の弱さでもあるんです。だから、魔王様達が謝る必要なんて……」


声は震えていたが、その瞳には確かな強さが宿っていた。

 

「むしろ……最後まで一緒に戦ってくれて、ありがとうございました」


ベルゼブブは目を細め、柔らかく笑う。

 

「君は本当に強いね。……ありがとう」


アスタロトも短く頷き、剣の柄に手を置いたまま低く言った。

 

「ならば……彼女の意志を継ぐ者として、これからも剣を振るえ。……それが、アーリヤへの何よりの弔いになる」


ライラは深く頭を下げた。

 

「……はい」


――その後、アスタロトはルークの方へ振り返り、そっと歩み寄る。

 

 「それと――そうだ、最後にルーク。お前に伝えたい事がある」

 

そして誰にも聞こえぬほどの声で、耳元に何事かを囁いた。


「そんな……まさか……」


ルークの瞳が大きく見開かれ、すぐに伏せられる。

彼女は小さく息を呑み、そして短く答えた。


「……分かった」


アスタロト達はそれ以上何も言わず、光の中に姿を消していった。



――――



――魔王たちが消え、空間が静寂を取り戻す。

トッサカンが両手をぱんと打ち合わせ、気まずそうに笑った。


「さぁ、そろそろ帰ろっか。僕の迷宮も限界だからさ」


黒と金の文様が地面に広がり、視界が反転する。

次の瞬間、彼らは再び現実世界――焼け跡の残る瓦礫の街へと立っていた。


「じゃ、ここまでだね」

 

トッサカンは背伸びをしながら、どこか寂しげに笑う。

 

「僕はまた迷宮に戻るよ。……ま、次に会う時まで死なないようにね!」


軽口を叩きながらも、その瞳の奥に未練の色が覗く。

彼は少しだけ視線を逸らし、ぽつりと呟いた。


「……本当は、もう少し一緒にいたかったんだけどな」


ミツキは小さく笑みを返す。

 

「ありがとう、トッサカン。あなたがいたから、私たちはここまで来られたんだよ」


ルークも少し戸惑いながらも短く頷き、答えた。

 

「そうだな。次に会う時は……また力を貸してくれ」


エリシェヴァも微笑み返す。

 

「ええ、必ず……」


「ふん、そんな風に真面目に言われると……逆に照れるじゃん」

 

彼は頭を掻き、ひらひらと手を振って姿を消した。


――残された静寂の中で、ライラが拳を握りしめて一歩前に出る。

涙で赤くなった目を上げ、震える声を振り絞る。


「……私も、一緒に行きます」


「え……?」ミツキが驚いて振り返る。


ライラは胸に手を当て、必死に息を整えた。

 

「アーリヤが望んだ未来を……私が伝えていくために。ここに残って怯えているだけじゃ、また誰かが同じ目に遭う。だから……あなたたちと共に戦いたいんです」


その言葉には痛みがあった。けれど、その瞳には怯えだけではなく、確かな決意の色が宿っていた。


エリシェヴァがそっと彼女に歩み寄り、手を握る。

 

「……ありがとう、ライラ。きっとアーリヤも喜ぶはずです」


ライラは堪えきれず涙をこぼす。

 

「……怖いです。でも……怖いからこそ、立ち止まっちゃいけないんです。アーリヤが最後まで抗ったように……私も逃げたくない」


ルークはその姿を見つめ、口元をわずかに緩めた。

 

「いい覚悟だ。……強がりでも構わない。剣を握る者は皆、恐怖と共に歩くんだから」


ミツキは息を呑み、そしてゆっくり頷いた。

 

「……分かった。でもこれから先は、もっと辛いこともあるかもしれない。それでもいいの?」


ライラはまっすぐに答える。

 

「はい。……私、逃げません」


その言葉に、夜風が吹き抜けた。

焼けた街を包む風は冷たく、それでもどこか温かかった。


ミツキは微笑み、剣を下ろして言った。

 

「……そっか。ようこそ、ライラ。これからは仲間だよ」


エリシェヴァは涙を拭いながら頷き、ルークは小さく肩をすくめて言った。

 

「また賑やかになるな。……悪くない」


ライラは深く息を吸い、胸に手を当てた。

 

「……アーリヤ。あなたが望んだ未来を、必ず私が繋ぐから」


瓦礫の街に吹く夜風が、彼女の決意を祝福するかのように静かに流れていた。

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