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第十二話 埋葬

瓦礫の街に、ふいに空気がねじ曲がる気配が走った。

 石畳の上に黒と金の文様が浮かび、そこから人影がぞろぞろと現れる。トッサカンの迷宮に避難したカルデア・ザフラーンの民たちだ。――皆怯え、疲弊しながらも、確かに息をしていた。


 その最後に、ひょっこりと迷宮の亀裂から飛び出したのは、緑色の衣をきた少年――トッサカンだった。

 彼は大きく手を振り、息を切らしながらも、いつもの調子で笑ってみせる。


「ふぅ~っ……やっと全部送り届けたよ。あの人たち、重くてさぁ。ご飯抜きで2つも迷宮を維持するの、ほんと無茶だったんだから!」


 軽口を叩きながらも、その額には汗が光り、顔色は青ざめていた。長時間にわたって迷宮を維持し、生存者を守り続けた疲労が隠しきれない。


「……助かったよ、トッサカン」

 

 ルークが剣を収め、低く礼を言う。


「この街の様子…どうやらイブリースを無事人間界から追い出せたみたいだね。ふふん、任務完了~ってやつだ!」

 

 肩をすくめ、両手をひらひらと振るトッサカン。


 しかし、その軽口とは裏腹に、彼が迷宮の奥でどれだけ命を抱え、どれだけ緊張の中で人々を守っていたかは、全員が理解していた。


 エリシェヴァは静かに頭を下げる。

 

「……ありがとう。あなたがいなければ、私たちの帰る場所はもう残っていなかった」


「や、やめてよそんな真面目に言わないで! 照れるだろ~!」

 

 トッサカンは頭を掻きながらも、どこか誇らしげに胸を張った。


 だが、その場に横たわるアーリヤの亡骸を見た瞬間、彼の笑顔は凍りついた。

 

「……そっか。間に合わなかったんだね」


 短い言葉。けれども、そこには悔しさと、守れなかった命への痛みがにじんでいた。

 ライラは唇を噛み、アーリヤの冷たい手を握りしめてうつむいていた。

彼女の頬を伝う涙は止まらない。


 ――アーリヤ、彼女はかつて街を壊した「魔女」だった。だがその最期は、必死に抗い、未来を口にしようとした少女のものだった。


「……っ」

 

 ライラは震える唇を噛み、俯いたまま、冷たい手を握りしめていた。頬を伝う涙は止まらない。


「違うんです……」

 

 彼女はか細い声を振り絞った。

 

「アーリヤは……最後まで抗っていました。イブリースに囚われても……自分の罪を理解して、それでも……未来を歩きたいって……!」


 すすり泣く声が、避難民の列に広がる。信じられない、と顔を見合わせる者もいれば、両手を合わせて祈る者もいた。


 ルークは剣の柄に手を置いたまま、低く呟く。

 

「……あの矢さえなければ、彼女は……」


 エリシェヴァはうつむき、震える声で言葉を継いだ。

 

「……彼女の命を奪ったのは、イブリースでも、彼が起こした炎でもない。人の手によるもの……それが、いちばん悔しい……」


 ミツキは拳を握りしめ、必死に顔を上げた。

 

「アーリヤは……生き直そうとしてた。それを証明できるのは、あたしたちだよ。だから……この街の人たちに伝えていかなきゃいけない」


 避難民の中から、ひとりの老人が震える声を上げた。

 

「……あの子が……本当にそう言ったのか」


「ええ」

 

 ライラは涙をぬぐい、強く頷いた。

 

「私は聞きました……。あの子の願いを。だから……忘れないでほしい。アーリヤが最後まで人であろうとしたことを」


 沈黙が流れる。

夜風が吹き抜け、砂の上に散った血の跡をかすかに揺らしていた。


「――やはり魔女は魔女だ!」


 避難民の列の中から、苛立ちを押し殺したような男の声が響いた。

 顔に煤をつけた壮年の男が、震える手で息子を庇いながら吐き捨てる。


「未来を語ろうが、街を焼いた事実は消えない! 何百人も死んだんだぞ! その手がどれだけの命を奪ったか、忘れろというのか!」


 他の避難民たちもざわめき始めた。

 

「やっぱり信用できない……」

「魔女は結局、災厄を呼ぶだけだ……」

 

 恐怖と怒りが混じった囁きが、瓦礫に囲まれた空気をさらに重苦しくする。


「違う!」

 

 ライラが立ち上がり、涙で濡れた顔を上げた。

 

「アーリヤは……最後まで抗ったんです! イブリースに囚われて、自分の罪を知りながらも、それでも未来を歩きたいって言った! 私はその言葉を聞いたんです!」


 彼女の必死の叫びに、一部の人々は動揺し、視線を逸らした。だが、頑なに腕を組む者もいる。

 エリシェヴァが静かに言葉を継いだ。

 

「……確かに、街を焼いたのは事実。誰も否定できません。けれど……アーリヤの最期は違いました。彼女は人として戻ろうとしていたんです。

 自分の罪から逃げず、それでも未来を望もうとしていた。その姿を、私は確かに見ました」


 すすり泣きが再び広がる。信じられないと首を振る者、黙って祈る者――反応は分かれた。


 ――その光景を見た瞬間、ミツキの脳裏に別の姿が浮かんだ。

 

 『魔女狩りと称して理不尽に殺された沢山の罪なき少女達の為に奴らに天誅を下してやるの!』


 『――あなたたちもいずれ分かるわ。この世界で少女が生きるためには、神も教会も皆滅ぼさなければならないことを』



 黒い衣をまとい、「聖女エヴァ」の名を掲げた魔女たち。サンクタ・エヴァ。

 彼女たちは確かに憎しみを力に変え、人々を屈服させる道を選んでいた。


(……だから、あの子たちは復讐に走ったんだ。目の前のこの絶望に耐えきれなかったから……)


 一瞬だけ、胸の奥でざわめく。


 ――憎しみを力に変えれば、人は従う。

 アーリヤのように否定されることもなく、踏みにじられることもない。


 けれど、すぐに頭を振った。


(違う……それじゃ同じだ。サンクタ・エヴァと同じ道を選んだら、アーリヤの願いを踏みにじることになる……!)


  ミツキは深く息を吸い、剣の柄に手を添えながら、避難民一人ひとりを見渡した。

 

「……みんなの気持ちも分かる。家族を失った人だっているだろうし、憎しみが消えないのも当然だと思う。あたしだって、もし立場が逆なら……きっと同じことを言う」


 声が震えたが、それでも彼女は続けた。

 

「でも……アーリヤが最後に選んだのは、破壊じゃなかった。未来を望むことだった。それだけは、本当なんだ。だから……憎むのも、許さないのも自由だけど、どうか忘れないでほしい。彼女が“生き直そうとした”ことを」


 沈黙が落ちた。

 炎に焼かれた街の廃墟の中で、誰も反論の言葉を紡げなかった。

 ただ、砂に散った血痕が夜風にかすかに揺れ、残された者たちの胸に重く突き刺さるだけだった。


 



 ――――――




砂漠の風が止み、夜の帳が静かに降りていた。

 瓦礫に囲まれた街の外れ――小さな丘の上に、人々が集まっていた。


 そこには怒りや罵声ではなく、深い沈黙があった。

 集まったのは、アーリヤの最期を聞き、彼女の願いを信じようとした者たち。数は決して多くなかったが、その眼差しは確かだった。

 やがて一人の中年の男が、重い口を開く。

 

「……俺の家族を焼いたのは、あの子だ。……それでも、本当に未来を望んでいたのか?」


 ライラが顔を上げ、赤く腫れた目で叫ぶ。

 

「そうです。私は聞きました……! アーリヤは最後まで抗ったんです。罪を理解して、それでも……未来を生きたいって!」


 沈黙。

 すると年老いた女が杖をつきながら進み出る。

 

「……私の息子も、炎で命を落とした。でも……あの子の言葉を聞いて、胸が揺れたよ。あんな未来を語れるのなら、せめて……眠る場所くらいは与えてやってもいいんじゃないか」


 中年の男は歯を食いしばり、視線を逸らす。

 

「……手伝うさ。ただし、俺は許したわけじゃない。……けど、死んだ者にまで背を向けるのは……人として間違っている」


 ミツキは土まみれの手を止め、その男を見つめた。

 

「……皆んな、本当にありがとう。それで十分だよ」


 ルークと街の人々が協力して地面を掘り、固い砂を剣の背で砕く。

 エリシェヴァは傍らで小さな光を灯し、暗闇を照らした。

 ライラはずっとアーリヤの傍に付き添い、冷たくなったその手を離そうとしない。


 やがて浅い墓穴が掘り上がる。

 ミツキは膝をつき、静かにアーリヤの身体を抱き上げた。軽い――命を失った少女の重さは、ただ哀しみだけを背に残していた。


 ライラは涙を拭い、微笑もうとした。

 

「……ありがとうございます。本当に……」


 やがて浅い墓穴が掘り上がり、アーリヤの身体がそっと横たえられた。

 街民の一人がぽつりと呟く。

 

「……彼女の願いが本当なら……俺たちも、忘れちゃいけないな」


 砂をかける音が夜に響く。

 ミツキは胸に手を置き、静かに誓った。

 

「アーリヤが望んだ未来を……ここで終わらせない。私たちが必ず繋いでいく」


 夜空の星々が、その誓いを見守るように瞬いていた。


「……ごめんね、アーリヤ。あたしたちが、もっと早く気づいていれば……」


 彼女の顔は安らかで、ほんの数刻前まで未来を語っていたとは信じられないほどだった。

 ミツキはそっと彼女を土の上に横たえ、目を閉じさせる。


 街の老人が震える声で祈りの言葉を捧げた。

 

「……どうか、この子の魂が安らかに眠れるように。神でも教会でもなく、人の願いを信じて逝けるように」


 ライラは堪えきれずに嗚咽を洩らしながら、アーリヤの胸元に小さな布切れを置いた。二人で過ごした日々の、唯一の形見だった。


「……絶対に、忘れないから」


 涙に濡れた声は、夜空に吸い込まれていった。


 やがて人々が手を合わせ、静かに土をかけていく。

 ザラリ、ザラリと音を立てて砂が覆いかぶさり、未来を夢見た少女の姿を、ゆっくりとこの世界から隠していった。


 最後にミツキは剣を杖代わりに立ち上がり、土に手を置いた。

 

「……あたしたちが覚えてる。どんなにこの世界が残酷でも、あなたが望んだ未来を、ここで終わらせたりしない」


 夜風が吹き抜け、星が砂漠の空に瞬いた。

 それは、アーリヤの願いを見守るように静かに輝いていた。


 瓦礫に覆われた街の外れに、小さな盛り土が残された。

それはアーリヤの墓。砂をかけ終えたミツキたちと数人の街民は、しばし黙祷を捧げていた。


夜風が止み、星々が静かに輝く。

その沈黙を破ったのは、ひょっこりと背後に現れた少年だった。


「……えっと、その……みんなお疲れさま」

 

頬を指でかきながら、トッサカンは所在なさげに笑う。だがすぐに表情を改め、低く告げた。

 

「――伝えたい事があってね。魔王たちが、待っているんだ。僕の迷宮を経由すれば、“座す空間”に繋げられる。……来る?」


ミツキは驚いたように瞬きをした。

 

「魔王たち……ああっそうだ!ベルゼブブやアスタロトは無事なの?」


イブリースとの死闘の後、彼らと分かれたままだった。迷宮が崩壊しかけた光景が脳裏をよぎり、不安が胸を締めつける。


「うん。あの二人なら大丈夫。……さすが魔王だよ。迷宮が限界を迎える直前、自分たちの力で脱出して一度魔界に帰還したんだ」

 

トッサカンの声には、確かな安堵が滲んでいた。

ルークが短く息をつき、剣の柄に手を置く。

 

「……ならば行くしかないな」


ルークと共にエリシェヴァもうなずく。ミツキの方へ視線を向けた。

ミツキは拳を握りしめ、小さく答えた。

 

「……分かった。案内して、彼らにアーリヤのことを伝えなきゃ」


トッサカンが片手を掲げると、地面に黒と金の文様が広がる。

空気がきしみ、空間がねじれ、光が反転する。


――その途端視界が暗転する。

 

廃墟の赤砂は掻き消え、代わりに石の回廊が姿を現す。

壁一面に奇怪な文様が走り、黒と金の光が脈打つ。上下の感覚さえ曖昧な異空間――“魔王の座す空間”。

ミツキは息を呑み、仲間たちと共にその中心へと足を踏み入れた。

 

 

 

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