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第九話 対決、業火の魔王イブリース

 ――砂漠に沈んだ都、カルデア・ザフラーン。


 かつてそこに広がっていたのは森だった。果実を垂れ下げる枝、清らかな泉を宿す木陰、そして人間が「ジン」と呼び畏れた精霊たち。

 イブリースは今もその光景を覚えていた。だが今、目に映るのは黒く焦げた瓦礫と、赤砂に埋もれた廃墟だけ。


(……全ては焼き尽くされた。天上の使いが“穢れ”と断じ、森も精霊も滅ぼした。そして人間どもは生き延びるために我に縋った……くだらぬ)


 胸奥には、燻り続ける怒りと倦怠があった。


 ここしばらく、奇妙なことが続いている。

 幾度も試みた。炎で地を穿ち、黒き風で天を裂き、街の外へ進もうとした。

 だが見えぬ壁に阻まれる。どの方角へ進もうとも、気づけばまたカルデア・ザフラーンの中心に引き戻されていた。


「……誰だ。誰が、この我を閉じ込める……!」


 探知を繰り返しても、正体は掴めない。魔王とも人間ともつかぬ気配が街を覆い、彼を縛り付けていた。

 苛立ちは積もり、炎の吐息と共に吐き出される。

拳を握りしめた瞬間、頭の奥から声が響いた。


『お願い……やめて……もう誰も殺さないで……!』


 器――アーリヤの声。

 必死に抗おうとする弱々しい心音。


「まだ生きているか、娘……」


 嘲りの笑みを浮かべる。


「無駄な足掻きだ。お前の声が、我を止められると思うのか?」

 

 そのとき、遠くで足音が響いた。


「……本当に、誰一人残っていないのね」

「まぁ、あれだけの炎だ。残っていたら奇跡だよ」


 廃墟を踏みしめ、二つの小さな影が現れる。

 一人は長身で、黒衣に剣を帯びた少女。もう一人は金髪を結い、緑の衣を纏った少女。


 イブリースの眼が細められる。

 人間――憎き天上神どもの造りし、脆弱で愚かな存在。だが、今ここに現れた二人は、炎の残滓に焼かれることなく進んでいた。


「……我が領域に、足を踏み入れるか」


 怒りを帯びた咆哮と共に、廃墟の上空に炎が生じた。黒く淀んだ火の奔流が二人を呑み込もうと落ちる。


 ――しかし。


 炎は掻き消えた。

 轟音も熱気もなく、何事も無かったかのように、ただ消え失せた。

 そして少しして後方の砂漠から轟音が聞こえてきた。


「今度はあちらを調べてみましょう」

「そうだな、まだ何か残っているかもしれない」


 二人はまるで何も起きなかったかのように歩を進める。視線すら向けず、淡々と会話を交わしながら。


「……消された? いや、違う……転移……!」

 イブリースの眼が怒りに燃える。人間ごときが、己の術を逸らしたのだ。


 指先から黒炎を散らし、彼は次の手を放った。瓦礫の影から魔物が這い出す。牙を剥いた獣、炎を纏う骸骨、翼を持つ蛇――数多の影を繰り出し、二人を喰らわんと迫る。


 だが、それらもまた忽然と消えた。

 一瞬で別の空間に飛ばされたとしか思え無い。


「……! まただ……!」


「……ここの建物、まだ調べていないわね」

「ああ、行ってみよう」


 二人は怯まず、歩みを止めない。明らかに意図的な無視、露骨な挑発だった。


「……我を、愚弄するか!」


 街から出られぬ苛立ちに加え、炎も魔物も弄ばれ、二度も無視された屈辱。

 怒りは頂点に達した。


「いいだろう……その身を、直に焦がしてやる!」


 炎を纏い、イブリースの姿が現れる。奴隷の少女の姿から漆黒の翼を広げ、廃墟に影を落とす。

 二人の人間はようやく足を止め、正面から彼を迎えた。


「かかったな。イブリース」


 ――その瞬間、石畳に黒と金の文様が焼き付くように走った。

 大地が揺らぎ、世界そのものが裏返る。


「何……!?」


 抗うように炎を放った。だが火すら文様に飲み込まれ、消え失せる。

 視界は歪み、瓦礫の街並みが崩れ去った。


 代わりに現れたのは、歪んだ迷宮の回廊。光の届かぬ異空間。

 トッサカンの迷宮――彼は知らぬまま、その領域に引きずり込まれたのだ。


 ――視界が反転し、廃墟の赤砂は消え失せた。

 代わりに現れたのは、石の回廊。壁一面に奇怪な文様が走り、黒と金の光が脈打つ。空はなく、上下の感覚さえ曖昧な異空間。


「……っ、これは……!」

 イブリースが翼を広げた。だが羽ばたきは鈍く、空間そのものが彼の動きを制限していた。


 迷宮の奥から、足音が響いた。

 白い軍服に大剣を携えた長身の女――戦争の魔王、アスタロト。

 その隣には、歪んだ翼を広げた男――豊穣の魔王、ベルゼブブ。

 そして、二人の背後に立つ小柄な少女。黒髪に赤色ドレスを纏い、瞳に決意の光を宿す。


「……小癪な。ベルゼブブとアスタロトに、…人間の小娘か」

 イブリースの声は低く、だが怒りの熱を帯びていた。


「久しぶり。ようやく姿を現したね、イブリース」

 

 ベルゼブブの声音は甘く粘つき、だがその瞳は鋭い。


「この場は我らの布陣だ。貴様に逃げ場はないぞ」

 

 アスタロトの言葉は冷ややかに響き、迷宮の壁に反響する。

ミツキは震える息を押し殺し、剣を握りしめた。


「流石の貴方でも魔王2人に転生者相手じゃ勝ち目はないでしょ?大人しくアーリヤを解放して」


「……戯言を」

 

 イブリースの周囲に黒炎が噴き上がる。

 迷宮の床を這い、壁を焼き、空間そのものを侵蝕しようと広がった。


 だが、アスタロトは大剣を構え、静かに告げた。

 

「――来い、業火の魔王よ。ここが貴様の墓場だ」


 ベルゼブブは微笑を崩さぬまま、羽音を響かせた。

 

「ミツキ、覚悟はいいね? 君が最後の鍵だ」


 少女は息を呑み、剣を胸に掲げた。

 


――



黒炎が奔流のように押し寄せる。


「ふんっ!」


 迷宮の壁を焼き裂く勢いで広がる炎を、アスタロトの大剣が叩き割った。

 火花のように散った炎片を、ベルゼブブの毒気が絡め取って呑み込む。


「豊穣の力を応用すれば……こんなふうにもできるんだよ?」


 甘い声と共に、毒の霞が炎を押し返し、イブリースの身を侵食し始める。


「ぐう……魔界の頂点に立つ魔王の分際で、人間なぞに味方するとは……裏切り者め!」


 怒声と共に、イブリースの漆黒の翼が大きくはためいた。

 次の瞬間、天井ごと空間が裂ける。黒炎の刃が弧を描き、ベルゼブブとアスタロトをまとめて吹き飛ばそうと迫った。


「甘い!」

 

 アスタロトが受け止める。大剣と黒炎が衝突し、迷宮全体が震えた。壁の文様がきしみ、崩落の砂が舞う。


「……っ、空間が……!」

 

 ミツキはイブリースの元へと走りながら砂時計を見下ろした。刻々と砂が落ちていく。その刹那、脳裏に作戦会議の光景が蘇る。


『……持ってこの砂時計の砂が落ちるまでだよ。それまでに決着をつけるんだ』


 トッサカンの声が蘇った。


――――


 

 「ねぇルーク、記憶魔法でトッサカンの空間魔法をコピーできないかな?」

 ミツキはそう切り出した。


「空間ごと作ることは僕の魔力量じゃ無理だ。でも……転移魔法ならできる」

 ルークは即答した。


「よし、それで充分。作戦を思いついたの」


 ミツキは二人に視線を向ける。

「ルークとエリシェヴァには現実世界に行ってもらって、イブリースをおびき出す囮になってほしい。……危険な役だけど、頼める?」


 ルークは躊躇わずに頷いた。

「構わないよ。マーロウ村の時みたいに――ちゃんと策があるんだろう?」


「私も大丈夫。アーリヤを救うためだもの」

 

 エリシェヴァも迷いなく続ける。


 ミツキは二人を見つめ、強く言い切った。

 

「ありがとう。……それじゃあ説明するね」


「事前にルークにはトッサカンの記憶を読んでもらい、転移魔法を覚えて貰う。そして私が2人に生命の権能を分け与えて現実世界に送る。

 ――現実世界に行けば即座にイブリースが炎や魔法を使って攻撃をしてくると思う。そしたらルークは転移魔法でその炎や魔物を別の場所に転移させて欲しい。

 エリシェヴァはその間治癒魔法でルークを癒してあげて。きっと結構な魔力と精神を消耗するはずだから」


「そして、ここからが重要だよ。イブリースの攻撃を受けても絶対に反応しないで。何事もなかったみたいに探索を続けるの。そうすればイブリースの方から近づいて来る筈だから」


「……成る程、つまり彼のありとあらゆる攻撃を無視して挑発する訳だ。彼からしたら普段から見下している人間に攻撃を無効化される上に存在すら無視されるだなんて耐え難い屈辱だろうね」

 

 ベルゼブブは頷いた。


「現実世界でのルーク達の居場所はこちらから探知できる。そうすればイブリースの場所を特定する事は容易だな」

 

 アスタロトが答える。


「……そしてルーク達の前にイブリースが現れたら…トッサカン。貴方の出番だよ」


「ぼっ、僕?」

 

 不意を突かれたトッサカンが肩をすくめる。


「まず予め別の迷宮を作ってそこに私とベルゼブブとアスタロトを転移させて欲しい。そして、ルーク達の挑発に引っかかりイブリースの場所を特定したタイミングでイブリースを迷宮に転移させるの。……そこで決着をつけようと思う」


「……もちろんだ。戦う理由は同じだからな」

 

 アスタロトが即答し、大剣を机に立てかける。


「ふふ、面白い作戦だね。人間の発想はやっぱり新鮮だ」

 ベルゼブブは歪んだ羽を揺らした。


「……ありがとう。あとは…」


「ちょっ、ちょっと待って!」

 

 トッサカンが慌てて制した。

 

「それだと、僕の迷宮は長くは持たないよ。迷宮内で魔王が3人も暴れるだなんて……。――そうだな、せいぜいこの砂が落ち切るまでの時間だ」


 差し出された砂時計。その中の砂を一瞥して、ミツキは呟いた。

 

(……この大きさなら、10分くらい)


 そして迷いなく言い切った。

 

「分かった。その間に二人の魔王でイブリースを削り、私がアーリヤに接近する。……それで終わらせよう」


――


そして現在。


あらゆる場所から爆音と閃光が鳴り響き、迷宮の回廊が揺れる。轟音と共に天井が裂け、灼熱の火柱が幾筋も噴き上がった。

 

「はははは! どうしたっ! 我の器を傷つけられまい? 女の身体を壊せぬ限り、我を止める術はない!」


 イブリースは嘲るように叫び、黒炎の渦をさらに膨れ上がらせる。炎の触手が鞭のようにうねり、迷宮全体を包み込もうとした。


「ならば……外殻だけを叩き斬るまでだ!」


 

 アスタロトが大量の矢を振らせ、戦輪を飛ばす。その刃は光の残滓を伴い、迷宮の闇を切り裂いた。斬撃は炎ごと空間を裂き、黒炎を散らす。


「チッ……!」

 

 イブリースは後退しながら炎の翼を広げ、無数の火球を降らせる。彗星の群れのように軌跡を描き、天と地から同時に襲いかかる。


「その程度!」

 

 ベルゼブブが羽ばたいた。腐臭を伴う風が渦を巻き、毒の霧が炎を包む。炎と毒が激しく混じり、爆裂音と共に掻き消えた。

 その唇に薄笑いを浮かべながら、今度は大量の"豊穣の雨"を空間に降らしだした。これにより本来なら何をしても消えない筈の炎が大雨によりどんどんかき消されて行く。


「があああああっ!」

 

 怒りに駆られたイブリースの咆哮が、迷宮そのものを揺らした。

 黒炎が壁や床を這い、形を変える。炎は竜の顎となってアスタロトを呑み込み、蛇となってベルゼブブを締め上げようとした。


「そう来たか、ならばっ!」

 

 アスタロトは大剣を竜の口に叩き込み、逆に頭蓋を割るように炎を断ち切る。

 ベルゼブブは霧を纏い、蛇の炎を自らの体に絡ませた。瞬間、炎は毒と混ざり黒紫の瘴気となって逆流し、イブリースの胸を抉る。


「ぐっ……この我を、ここまで……!」

 

 イブリースの瞳はまだ憎悪で爛々と輝いていた。……しかし激しい戦闘の中瞳がアーリヤの物に戻りつつある様だ。


 ――その最中。

 ミツキは剣を胸に抱き、深呼吸を繰り返していた。

 砂時計の砂は残り僅か。迷宮は今にも崩壊しそうに軋みを上げている。


「……今しかない!」


 彼女は走った。灼熱と毒気の狭間を縫い、魔王たちの戦いの中へ。


「ミツキ!」

 

 アスタロトの怒声が響く。

 

「早く行け、我らが時間を稼ぐ!」


 炎の竜巻が前を遮る。

 ミツキは迷わず剣を振り抜き、生命の権能を解き放った。

 紅の光が奔流となり、炎を押し分けて道を切り拓く。


 目の前に――イブリース。

 炎に覆われたその姿の奥で、少女の影が見えた。必死に呻く声。


『……たすけ、て……!』


「アーリヤ!」

 

 ミツキは叫ぶと同時に飛び込んだ。

 生命の権能が脈打ち、ミツキの手がアーリヤの元へと届く


「やめろおおおおおッ!」

 

 イブリースが怒号を上げ、炎がミツキを呑み込もうと迫る。


 だが――一歩、遅かった。


 アーリヤ《イブリース》の身体へ触れた途端、ミツキの意識は灼熱を越えて沈み、暗闇へと滑り落ちていった。

 周囲の音が遠ざかり、代わりに水底のような静けさが広がる。


 ――そこは、アーリヤの精神世界。

 無数の鎖に繋がれた少女が、絶望に膝を折っていた。


「…アーリヤ……! 今、助けに来たよ!」

 

 ミツキの声が、闇を切り裂いた。

 

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