第八話 カルデア・ザフラーンの過去
――灼けた風が吹き抜け、砂塵が瓦礫を撫でていく。
カルデア・ザフラーンの街は、日が沈んでも尚まるで炎に呑まれた直後のように赤黒く歪み、熱気がまだ残っていた。地面に散らばるのは、溶けかけた鉄製の装飾や、黒く炭化した果物の残骸。かつての繁栄を物語る市場の痕跡が、無惨に焼け崩れている。
「イブリースの仕業でしょうか……凄まじい熱気です。このままでは街に入る前に皆焼け死んでしまうでしょう」
銀鎧の浄化官が報告する。その横で白衣の神官たちが短く祈りを唱え、結界を維持していた。
「そのようだな」
アダムスは頷き、掌を掲げる。淡い神力が幕のように一行を覆い、焼け焦げた大地の熱を和らげていく。
目の前の光景に「なんと……」「流石教皇様だ……」と感嘆の声が漏れた。
「前進せよ。恐れるな、神の加護は我らと共にある」
隊列が動き出す。結界に守られた一行は、灼熱に歪む街の中へと進んでいった。
浄化官の一人が剣で瓦礫を払い、神官が祈祷の光で道を照らす。足元にはまだ赤く燻る石片が散らばり、熱気が靴底を焦がすようだった。
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「……この街は、かつて豊かな森に囲まれていた」
歩きながら、アダムスが低く語る。
「果実を実らせる木々、泉を満たす水脈、そして共に暮らすジンの精霊たち。人々は天上神ではなくジンを崇拝していたそうだ。
――だがある日、天上の使いが舞い降りた。ジンを“穢れ”と断じ、森を焼き払ったのだ」
神官の一人が目を伏せる。
「はい、教会の書庫の記録にもございました。森と精霊を失ったこの街は、その後教会の支援によってかろうじて生き延びたと……」
「だが、それも長くは続かなかった」
アダムスは視線を前へ向ける。赤い砂が風に舞い、かつての豊穣の面影は欠片も残っていない。
焦げた門を抜け、隊は中央区へと進む。熱で崩れた石壁、溶けかけた鉄柵。街全体が巨大な炉に入れられたかのようだった。
一人の若い浄化官が重々しく口を開いた。
「……ああ……ここに暮らしていた者たちが、どれほどの絶望に晒されたか……」
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「……しかし、おかしいですね」
立ち止まった神官が、瓦礫に触れて呟く。
「これほどの炎に呑まれたのに、遺体が一つも見つからないだなんて。骨も灰も……血痕すら残っていない」
「確かに……」
浄化官が眉をひそめる。
「高温の炎で焼かれたとしても、炭化した死体や遺灰の一部くらいは残るはず……」
アダムスは目を細め、焼け焦げた街並みに視線を巡らせた。
「……やはり、我々より先に来た者がいる様だな。警戒を怠るな」
「はっ!」
浄化官たちは剣を構え、街路の奥へと散開していった。神官は震える手で結界を維持しつつ、淡い光を広げる。
瓦礫の影に転がっていた陶器の破片や、子供の玩具らしき木片に視線を落とし、神官の一人が唇を震わせた。
「……ここには、確かに人の暮らしがあったのに」
街全体は不自然なほど静まり返っていた。死の匂いだけが残り、屍の姿はどこにもない。
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やがて一行は、街の中央――ザビール家の宮殿跡へと辿り着いた。
そこは黒く焼け爛れ、崩れた瓦礫が山を作っていた。壁の一部を押しのけると、地下へ続く石階段が現れる。
やがて、一人の神官が報告をしに階段を駆け上って来た。
「……アダムス様、地下の金庫室が無傷で残っております。魔王イブリースの手がかりがあるかもしれません」
「案内せよ」
アダムスが足音一つ立てず歩み出すと、神官が慌てて先導した。浄化官たちが後に続き、焼け焦げた回廊を抜けて宮殿跡へと向かう。
半ば崩れた広間の奥、石の壁に埋め込まれた隠し扉があった。開かれた金庫室の中には、分厚い帳簿と皮表紙の小さな日記帳が残されていた。
アダムスは無言でそれを手に取る。指先が紙に触れた瞬間、祈祷の光が文字を浮かび上がらせた。
浄化官が駆け足で先行し、熱で歪んだ鉄扉の前に立つ。
「壊せるか?」
「はっ!」
槌が振り下ろされ、鈍い音を立てて扉が砕けた。
中は灰に覆われ、宝も文書も焼け落ちていた。だが、一冊だけ――革表紙の日記が奇跡的に形を留めていた。
アダムスはそれを手に取り、煤を指で払ってページをめくった。
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――《森は戻らない。井戸は浅くなる。畑は割れる》
――《家を守れ、と父は言った。名を恥じるな、と》
――《“声”が届いた。救いの術がある。こ――れからは果実や樹木ではなく人を売るのだ、と》
――《鈴を受け取った。従わぬ者は“壊れた”》
神官が息を呑む。「人を売る……鈴……まさか」
さらにページをめくる。
――《女奴隷は直ぐに売ってはいけない。必ず一度宮殿に集めよ、と声は告げた》
――《――が光ったら――の少女を見つけたら館に置け、とも》
――《ジンが夢に囁き、石板を見せた》
――《今日も一人、鈴に倒れた。私は目を閉じた》
文字は涙でにじみ、最後は途切れていた。
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「……女奴隷を一度宮殿に集めよ?」
浄化官の声が硬くなる。
「どう考えても不自然な指示ですね」
アダムスは静かに本を閉じた。眼差しは鋭く研ぎ澄まされている。
「全てイブリースの策だ。ジンを使って館の当主マリク・ザビールを誘惑し、奴隷達から依代を探していたのだ。――ネファスの魔女となれる少女をな」
吐き捨てるように言い、炎に焼けた宮殿を睨む。
「甘言で人を誘惑し、用済みとなれば灰に変える……奴らしい手口だ」
「……!」
神官たちは顔を見合わせ、震える声を飲み込んだ。
「ザビール家は貧困と家名に縛られ、悪魔に縋った。その結果、多くの人間が地獄へ落とされた」
アダムスの声は鋼のように冷たかった。
「――罪は、償わせねばならぬ」
重苦しい沈黙の後、彼は鋭く命じる。
「直ちにネファスの魔女を捕えよ。魔女の生死は問わん」
アダムスは視線を落とし、焦げた瓦礫に手を触れる。だが、その声は冷徹だった。
一人の浄化官が勇気を振り絞り、声を上げた。
「し、しかし、アダムス様……ネファスの魔女となった娘も、元は人間。悪魔に操られていただけでは……?」
別の神官も躊躇いがちに続ける。
「もしも魂が囚われ、意思を奪われていたのなら……彼女たちに罪はあるのでしょうか」
「――操られていたとしても、事実として街を滅ぼしたのは“魔女”だ。
人の身でありながら悪魔の依代となり、同胞を犠牲にした以上、罪は免れぬ。
……哀れむことと、裁きを下すことは別だ」
さらに彼は一拍置いて、冷酷な声を重ねた。
「同情を許せば、次もまた誰かが犠牲となる。私はその連鎖を断つ。たとえ幼子であろうと、ネファスの魔女であるならば――火刑に処されるべき存在だ」
アダムスの発言に神官たちは言葉を失い、唇を噛みしめた。彼の瞳は揺らがず、ただ燃え残る宮殿を睨み据えていた。
熱風が吹き、崩れた宮殿の奥から赤い砂塵が舞い上がった。




