第七話 深夜、魔王達の小噺
――深夜。
避難民たちの寝息が広間に静かに満ちていた。
カラフルな寺院の床に敷布を広げ身を投げ出した人々は、疲労と安堵に沈み込み、まるで死者のように眠っている。ミツキたちもまた、明日の戦いに備え、深い眠りに落ちていた。
だが、迷宮のさらに奥、灯火の漏れぬ小部屋ではまだ眠らぬ影があった。
吊るされた黄金のランプが微かに揺れ、青白い炎が石壁に三つの影を長く映し出している。
そこに立っていたのは、アスタロト、ベルゼブブ、そしてトッサカン。
人間の眠りを見守る三人の気配は、重々しくもどこかしら静謐で、この小さな部屋を異界へと変えていた。
「……皆眠ったようだな」
アスタロトが鋭い眼差しを落とし、唇から低く言葉を吐く。金属のような冷たさが滲む声だった。
「うん、ぐっすりだねぇ」
トッサカンは石壁に背を預け、頬を緩める。にこにことした笑みは変わらないが、その瞳の奥には消えぬ影が潜んでいる。
「でもさ、あの子たち……悪くないと思うな。真っ直ぐでさ」
「真っ直ぐすぎる、だろう」
アスタロトは吐き捨てるように答える。
「戦場ではそれは美徳ではない。折れるか、燃え尽きるか……それだけだ」
ベルゼブブが小さく喉を鳴らし、楽しげに微笑んだ。
「ふふ……だが、時に真っ直ぐな者こそが、世界を変えるのかもしれないよ。ねぇ、アスタロト?」
アスタロトは視線を逸らしたまま答えず、沈黙を返した。
やがて彼女は言葉を継いだ。
「……イブリースの炎は、人間どもの想像を超える。奴の炎は鎮められず、時を越えて燃え続ける。本気を出せば、この街どころか、人間界そのものを灰にするだろう。――境界の掟さえ無ければ私が直接人間界へ行き奴をブチのめしてやりたい所だ。」
その声に重苦しさが広がる。だがトッサカンは肩をすくめ、軽く笑った。
「そうだね。でも、あの子たちはまだ諦めてない――それに、その境界の掟があるからこそイブリースは必ず依代を使う。そこにしか“隙”はないんだろう?」
ベルゼブブは羽を揺らしながら、愉快そうに囁く。
「……鋭いな、ベルゼブブ」
アスタロトの瞳が細く光る。
「そう、その依代こそが鎖。魔王であるが故に、器を使わなければ人間界に留まれない。奴を退けるなら、そこに賭けるしかない」
部屋には再び沈黙が落ちる。
ランプの炎が揺らめき、壁に映る三つの影が絡み合い、歪んだ模様を作り出した。
ベルゼブブはやがて眠る少女たちの方へ目を向け、唇を吊り上げる。
「……それにしても。翁の巫女、二人目は随分と人間臭いね」
アスタロトは瞼を伏せ、遠い過去を思い出すように言った。
「……しかし、この街の荒れよう…。魔界戦争の折、ラーヴァナが人間界に侵攻した時を思い出すな。
――"文明の魔王"お前の主だろう?トッサカン」
その名を出された途端、トッサカンの笑みが僅かに薄れた。
「……でもあれは守るためじゃなかった。――復讐ただそれだけが理由だったよ」
ベルゼブブが目を細める。
「そして、彼は一度は命を落としているね。 天上神達が遣わした"超人"に殺された筈だ」
「うん」
トッサカンの声は低く、かすかに震えていた。
「ラーヴァナ様は死んだ。けれど……その後、魔界に天上界から“無敵の天使軍”が侵攻してきた時、颯爽と復活し、天使たちを蹂躙してみせたんだ。あの光景は今も忘れられない。ルシファー様もその活躍を見込んで、人間界に侵攻した前科のあるラーヴァナ様のコキュートス行きを免除してくれた……けれど皮肉なものさ」
トッサカンは小さく肩を竦めた。
「人間界に残っていた寺院も書物も、教会とあのサントーンカーシャヘルの連中が焼きつくしてしまったからね。今のラーヴァナ様には、もう人間界に降りる術がないんだ」
重い空気が流れる。
ランプの炎がぱちりと弾け、三人の影が一瞬だけ揺らいだ。
沈黙を破ったのはアスタロトだった。
「トッサカン。一つ確認したい事がある」
「ん?何?」
軽い口調で返したものの、トッサカンの肩がわずかに強張る。
「セレスティアという娘に心当たりはないか?私の契約者であるルークの親友なんだ。」
短い沈黙の後、トッサカンは笑顔を作って答えた。
「聞いたこと無い名前だね。どんな子なの?」
「――そうか、ならば良い」
アスタロトはそれ以上追及せず、目を閉じる。
ベルゼブブもまた口を閉ざした。
小部屋には再び沈黙が広がり、ただランプの炎の揺らめきだけが石壁に影を踊らせていた。
――そして夜は、静かに更けていった。




