第七話 無敵の聖女セレスティア
ルークは黙って森の奥を見つめる。マーロウの廃村。あの場所は、彼女の全てを変えた場所だった。ミツキがそっと尋ねる。
「ねぇ、ルーク…あの廃村、セレスティアって子と何か関係あるの? さっきの魔女達、彼女の名前を知ってたよね…。」
エリシェヴァが冷静に続ける。
「あの赤黒い炎、ゴーレム戦と同じよ。何か大きな力が動いてるわ。ルーク、あなた何か知ってるの?」
ルークの隻眼が揺れる。セレスティアの笑顔が脳裏に蘇る。あの夏の日、彼女を失った記憶が、胸を締め付ける。ルークは深く息を吐き、警戒を解いた。
「…話すよ。君達には、知る権利があるかもしれない。」
彼女は木の根元に腰を下ろし、静かに語り始めた。
――――
かつての村は、丘陵に抱かれた小さな共同体だった。
この村は魔界戦争の時に"贄の魔王モロク"に支配されていた過去があり、アダムスと伝説の白き勇者がモロクを討伐した後も度々の魔物の襲撃に悩まされていた。
ルークとセレスティアはこの村の孤児院で物心ついた時から一緒だった。
丘の上、野花が風に揺れる。セレスティアが笑顔でルークの手を引く。
「ルーク、いつか一緒に世界を見て回ろうね!」
ややピンクがかったウェーブの茶髪に特徴的な銅色の目の少女――セレスティアはこの村で"無敵の聖女"として崇められいた。
――ある日、樹の実を取りに森に出かけた所をオークとゴブリンの軍勢に襲われるという事件があった。
村人が救出に向かうも状況は絶望的、誰もが彼女の死を悟った時だった。
ズドーーーーーーン!!!
森の奥から凄まじい閃光と轟音が鳴り響く。
村人が急いで駆けつけると、そこには大きな複雑のクレーター、吹き飛ばされた木々や岩、上半身の無いオークや手足があらぬ方向に曲がり動かなくなったゴブリンの幾つもの残骸――そして怯えて腰を抜かした無傷のセレスティアがいた。
――別の日、巨大なドラゴンが村の空を覆った。炎を吐き、村を焼き尽くそうとするその姿に、誰もが絶望した。
だが、セレスティアは動じず、一歩踏み出した。その途端天から大量の光輝く剣が降り注ぎドラゴンを串刺しにする。一瞬だった。ドラゴンは悲鳴のような咆哮を上げ、地面に崩れ落ち、灰と化した。
――また別の日、下級悪魔が村に近づいたこともあった。だが、セレスティアの姿を見た途端、悪魔達は悲鳴を上げ、恐怖に震え、泣き叫びながら逃げ出した。
「悪魔達が皆逃げて行くぞ! あの子は天が使わした神の子に違いない!」
この事件をきっかけに、今迄魔女かもしれないと彼女を忌避していた村人までもが彼女を神聖な存在として崇め始めた。
――ルークはいつもそばで見ていた。セレスティアの力は、まるで神の化身のようだった。だが、彼女の笑顔は純粋で、ただの少女のものだった。
「ルーク、私、みんなを守りたいだけなんだ。」
その言葉が、ルークの心に刻まれていた。
あの夏の日。
聖女の噂を聞きつけ教会と天上界からの視察団がマーロウにやって来た。白いローブの神官達と、輝く翼を持つ天使達。村長とセレスティアが代表として挨拶に立つ。ルークは少し離れて見守っていた。だが彼女の姿をみた途端、天使達が突然怯えだし表情を強張らせ、叫んだ。
「ひっ…!そんな…どうして!」
「……その娘からは“穢れ”が溢れている!」
「魔女……違う!あの少女は化け物だ!」
驚愕した村人の間にざわめきが走り、視察に来た神官たちもまた動揺した面持ちのまま、天使の言葉に追随した。
「神の御使いがそう仰るのだ……間違いあるまい!」
瞬く間に、聖女は魔女へと変貌させられていた。
――
神官達がざわめき、視察団が一斉にセレスティアを魔女と認定した。
「聖女だと? 偽りの光で我々を騙す気か!」
セレスティアが困惑する。
「そんな…私はただ、村を守って…!」
だが、天使達は聞かず、神の裁きを下すと宣言。光の槍、炎の柱、雷の嵐がセレスティアに襲いかかる。村人達が息を呑む中、ルークの心臓が早鐘を打つ。
――だが、どんな攻撃もセレスティアには届かない。光が彼女の周囲で弾け、炎は消え、雷は霧散した。かすり傷一つ負わない彼女の姿に、神官達が恐怖に顔を歪める。
「――神の裁きが効かないだと!? この化け物めっ!」
セレスティアの瞳が揺れる。恐怖と混乱が彼女を飲み込む。
「どうして…? 私は、みんなを守りたかっただけなのに…!」
彼女の声が震え、半狂乱の叫びが響く。その瞬間、空が裂け、無数の剣が現れる。黄金の光を放つ剣が、嵐のように視察団を襲う。神官達は悲鳴を上げて倒れ、天使達は反撃しようとするも、成すすべもなく皆聖剣に貫かれ、輝く翼を散らして息絶えた。村の広場は血と光に染まり、惨劇が広がった。
村人達が騒然とする。
「天使達が……。ああ、なんて事……。」
「……ひっ!こっちへ来るな!」
恐怖と疑念の目がセレスティアに突き刺さる。天使達の羽と返り血に塗れた彼女はよろめき、ルークに手を伸ばす。
「ルーク…助けて…! 怖いよ…!」
その声は、かつての笑顔とは裏腹に、絶望に満ちていた。
「う……。あ、ああ……。」
だが、ルークは動けなかった。目の前の惨劇、聖剣の嵐、村人達の叫び声。恐怖が彼女の足を縛り、心を凍らせた。
ルークは後ずさり、彼女の手を拒んだ。セレスティアの瞳に涙が溢れ、裏切られた絶望が彼女を飲み込む。
「ルーク…どうして…?」
彼女は泣きながら村を飛び出し、森の奥へ消えた。
――その後、長い間セレスティアの存在に甘え自警を怠っていたのが祟ったのか、間もなくして魔物の襲撃に遭い村は壊滅した。
ルークは生き残り、ネファスの魔女としてセレスティアを探す旅に出た。あの日の罪悪感が、彼女の心を今も締め付ける。
――
「……あの日から、僕はずっと彼女を探している」
ルークは唇を噛み、俯いた。
ミツキもエリシェヴァも言葉を失っていた。
ただ、風が廃村を吹き抜け、過去の亡霊を呼び覚ますように静かに鳴っていた。
ルークの隻眼が揺れる。
「……僕のせいだ。あの時、彼女の手を取っていれば…。」
彼女の右目が疼き、微かに血が滲む。ミツキが叫ぶ。
「ルークのせいじゃないよ! あの状況じゃ、誰だって怖かったはず! でも、今なら…!」
ミツキがルークの手を握る。
「私、セレスティアさんを見つけるの手伝うよ! ルークの大切な人、絶対に一緒に探そう!」
エリシェヴァが頷く。
「私もよ。ルーク、あなたの記憶魔法… それも含めて、私達で支えるわ。」
ルークは二人の言葉に、僅かに表情を緩める。
「…ありがとう。セレスティアは、きっとまだどこかで…。」
彼女は小さく呟く。だが目には希望が宿っていた。