ある日突然魔王に据えられ勇者一行を一瞬で消し去る少女の日常
「よくぞここまで来ました、勇者よ。私こそが魔王です」
蟠る禍々しい空気に包まれた魔王城の最上階、最奥に立つ黒いマントに包まれた影。こいつさえ倒せばと腕が武者震いに震えた。俺が、世界を救う。救うんだ。ふ、と軽く息を吐いて剣を握り直す。
最終決戦だ。ここまでの戦闘で鍛えられ回復役に万全にされた力が体の中で渦を巻き漲っているのを感じる。準備は万全。いける。床を蹴り剣を振りかぶった。
「魔王! 大人しくくたばれ……!」
「ヒィ! ごめんなさい本当にごめんなさい! お帰りください……!」
その瞬間。紫の大きな光が鋭くひらめいて轟音が鳴り響いた。感覚が薄くなっていく。手にしていた剣から腕と順にぼろぼろと脆く灰になるのを見て、―――。
勇者を名乗る幾人目の男とその仲間達が圧倒的な力に姿を消す寸前、最期に聞いたのは怯えた少女の悲鳴であった。
しかし、人間の誰もそれを知ることはない。
*
今回の勇者が消滅した。嗚呼、嗚呼、我らの魔王はまことに素晴らしい力をお持ちで、私は何度見ても何度でも恍惚としてしまうのだ。隣の同僚など、堪えきれずに高笑いを奏でている。
魔王は血の気の失せた顔で玉座に縋るようにへたりこんでいた。ローブごと体が震えていらっしゃる。
華奢な骨格。
手を掛けただけで危うくミンチにしてしまいそうなほど柔そうな体。
角も鱗も甲羅も大きな牙も硬い爪もない、ひどく醜い人間の娘。
それが我らの魔王の正体である。
魔王の生まれには血縁も種族も何も関係がない。魔王の器の印として生まれつき体のどこかに決まった形の痣があり、知る人が見れば一目瞭然であるものの何も知らなければ特に気にもしないようなものだ。その印を持つ器が何かの拍子で覚醒すると玉座に現れる。
代々魔王はそのように誕生する。
「……勇者さん達は、家に帰っているのですよね?」
ぽつりと、不安げに魔王が呟いた。肯定してほしいと切に願う弱き人間らしい表情。
「勿論ですとも。我らが魔王、あなた様の強大なお力をもって『お帰りください』と願ったでしょう? きちんとお帰りになっていますとも」
私がそう大仰に言えば、安堵したように目を伏せた。実に素晴らしいと私も声をあげて笑い、堪えきれずに嗤う。実に素晴らしい。そして、実に滑稽。
そう、私達は魔王に嘘をついている。
一度目は失敗した。
『素晴らしいお力で、勇者ども一行を塵一つ残さず滅ぼされた』とお褒めしたところ、気絶なされた。目覚めても震えが止まらず食事も何も喉を通らず、水すら含んだそばから吐き戻す始末。魔王は魔王たる強大な力があるものの、器の生まれは人間なので水と食物を摂らねば生きられぬ。そこで記憶の操作が得意な上級の魔族の者を呼び、幾らかの条件と引き換えに勇者一行が来てからの記憶を消させた。上級魔族の扱いは面倒が多いのでなるべく頼み事が無いほうが良いのだが、仕方がない。本当はそれまでの記憶も消したほうが都合が良かったが赤子同然となられてもそれはそれで手がかかる。
そして、なるほど生まれ育ちが人間であるために我々とは価値観が違うのだ、と理解しやり方を変えたのだ。これまで人間が魔王だったことはないので知らなかったが、殺戮に忌避感がおありだということである。
そこで、力の使い方をお教えした。
『"帰れ"と願うことで勇者一行は魔王の力で強制送還される』
勿論、嘘である。ただ、塵一つ残さず跡形も無く消し去るほど魔王の力は素晴らしいので納得されたようである。
時々先程のようにお疑いになるものの、否定しておけば良いだけのこと。
「いつになったら村に帰れるんでしょうか。勇者さん達はまた来るんでしょうか」
「そうですねえ。人間どもはいつになれば諦めるのやら」
突然転移してきた魔王の器はまだ人間として成熟しておらずよくよく故郷を恋しがる。ここへ攻めてくる人間がいなくなるまでお力をお貸しくださいとお願いしたので、それを信じているのだ。未熟がゆえに御しやすく、大変ありがたい。
「どうして魔王を倒しに来るんでしょう」
「人間同士も縄張りを争うではありませんか。同じことですよ」
「私は争う気はありませんが……」
「一方的な侵攻もよくあることです。魔王よ、そのようなこと良いではないですか。またそのお力でお帰しになれば済むことです」
「……早く家に帰りたいです。父さんと母さん、弟たちは元気でしょうか」
「ご家族なら少し前に様子を見に行かせましたな。お元気だったそうですよ」