もしも話
「みーつけた」
いつもの場所に年配の女性三人組が先に座っていたので、太楽は公園の端に植えられた木にもたれて座っていた。座ると周りに植えられている腰程の高さの木に隠れてテーブルから太楽の姿は見えない。反対側はフェンスで丸見えだが、人通りが少なく、例え通ったたしてもそこに座る太楽を気にする者は居なかった。
「彩月ちゃんなら見つけてくれると思ってた」
「ここに居るたいちゃんを見つけられなかったら私はたいちゃんとの思い出を語る資格ないよ」
彩月は木を挟んで太楽と背中合わせに座った。
「もしも彩月ちゃんが子供の頃に俺と結婚するって言ってたら、どうするかは分からないけどさ、ちゃんと真剣に考えると思う。他の誰かと付き合いたいって思っても彩月ちゃんの事思い出す。そして考える。こんなに考えるの人生初だなってぐらい考える」
しばらく沈黙の時間が流れる。頭の上の木の葉がこすれ合う音が心地よく、その音だけを感じようと太楽は目を閉じた。そうして見えないけど彩月もそうしているんだろうなと考えていた。
「ありがとう」
「なんのお礼?」
「真剣に考えてくれたお礼」
「うん。ちゃんと考えた」
「昨日さ、たいちゃんが考えとくって言ってくれて嬉しかった。バカな事言ってるみたいな感じだったのにちゃんと考えてくれるんだなって」
「だってさ、彩月ちゃんが知りたい事に答えないと後悔するかもでしょ?」
「なんか今日のたいちゃん素直だね」
「この木に見守られてると素直になる気がする」
そう言って太楽は頭を木にもたれさせた。木に体全部を預けると木と一体になってここだけ切り離された空間に思えていた。この世界には今自分と彩月だけ。そんな感覚になっていた。
「なんかそれ分かる気がする。でもさ、あそこのイスに座っててもこの木は見守ってくれてるから素直になっていいんだよ」
「近くにあると安心感が違うから」
「確かにこうやって背中つけとくと守ってもらってるって感じがする」
「もしも生まれ変わったらこんな木でもいいかも。かもって言うかいい」
「生き物じゃなくていいの?」
「この木も生きてるよ。それで皆を見守ってる。声も感情も出せないけど、こうやって誰かに安心感与えてるってスゴいと思う」
「じゃあこの木はビックリしてるかもね。ここで毎日かくれんぼしてた子供達がこんなに大きくなってって」
「俺達の事分かってるかな?」
「分かってるよ」
「その自信はどこから来るの?」
「だからこその安心感だと思うから。ただ大きいってだけだったらこの木じゃなくてもいいと思わない?それにたいちゃんが生きてるって言ったんだからそう思わないと木に失礼だよ」
声に出すと彩月に笑われると太楽は心の中で木に謝った。自分の勝手な想像と分かりながらも太楽は木に許された気持ちになっていた。
「あっ、帰ったみたい」
彩月がそう言い、首を伸ばしてテーブルの方を見ると三人は出口に向かっていた。一人の時は話し声がうるさい程だったのにも関わらず、彩月が来てからは三人の声が自然の音に溶け込んだ様に感じていた。
「いつもの場所行く?」
「ここで話すのも悪くないけど、やっぱり顔見て話したいから行く」
素直に気持ちを言葉にしたせいか改めて顔を合わせ、二人は照れた様に笑い合った。
「昨日、彩月ちゃんがあんな事言ったから人呼び寄せたんじゃない?」
「でも私はちゃんと今の私達にはありがたいって言ったよ」
「俺達にありがたがられてもって公園の意地だね」
「でもそのお陰で久し振りにかくれんぼ出来て楽しかった」
「そうだね。十年振りぐらい?」
「たいちゃんとはそうだけど、中学の時に学校全部使ってかくれんぼって学校行事であったからかくれんぼ自体はその時が最後かな」
「そんなのあったんだ?」
「そう。クラスを縦割りしてやるの」
「それ隠れる場所困らない?」
「もうそこは皆運命共同体。一人で隠れるより楽しくていいよ」
中学生の彩月も子供の頃と同じ様に真剣に隠れていたんだろうなと太楽は想像した。
「もしも私達が同じ中学に通ってたらどうしてた?」
「どうしてた?って何を?」
「子供の頃と変わらずに毎日一緒に登校してくれた?ちゃんと彩月ちゃんって呼んでくれた?」
そう聞かれ、太楽は少し上を見てもしもを想像した。目に見えて考え始めた太楽を彩月は黙って見守っていた。
「結構、現実的に答えていい?」
「いいよ」
「最初はそうすると思う。母さんもそう言うと思うし。で、誰かにからかわれたら止めるかな」
「本当に現実的な答えだね」
「だからちゃんといい?って聞いたでしょ?」
「あまりにもリアルだったから。頭の中でイメージまで湧いて来た。もっと楽しい話ししよう」
「話し振って来たの彩月ちゃんの方なのに」
太楽は分かりやすく不機嫌な態度になり、彩月は慌てて
「それはゴメン」
と言い、謝罪の言葉を聞くと太楽は満足そうに笑って
「いいよ」と答えた。
「もしかしてそれがやりたかっただけ?」
「そう。このやり取りいいよね。俺のお気に入り」
嬉しそうにお気に入りだと言う太楽に彩月は文句を言えなかった。
「もしも二人で何かを目指すなら何がいい?」
「何かって例えば?」
「よくあるでしょ?幼馴染みでバンドを組んだり漫才コンビ組んだって話し」
「あるね。俺はどれかと言うと音楽かな。何も楽器弾けないけど」
彩月と漫才をしているのも会社経営をしているのも想像がつかなかったが、音楽なら想像が出来ると太楽は答えた。
「じゃあ二人で組んだとしたらバンド名は何にする?」
「んー、直ぐに出て来ないけど二人の名前を連想出来る名前がいいかも」
「それいいね。太楽と彩月だから」
彩月はそう言って空中に文字を書き始め、太楽は頭の中で二人の名前を色々組み合わせていた。
「彩りってどう?」
「ちょっと待って。俺の要素どこ?」
「だってたいちゃん、彩るって字好きって言ってたでしょ?」
「言ったけどさ、それはなんか違うと思う」
「じゃあ彩り以上にいい名前考えて」
ここは例え話だとしても絶対に自分の名前を入れようと太楽は考え始めた。
「そのまんま太楽と彩月は?」
「漫才コンビみたい」
「じゃあ、太いって字と月を組み合わせてたいげつ」
「読みにくくない?後、意味は?」
「意味?」
「そう。意味」
「意味とか必要?」
「必要でしょ。どうしてこのバンド名にしたんですか?って聞かれた時に答えは必要だよ」
「彩月さん、バンド名はなぜ彩りにされたんですか?」
太楽は右手を軽く握りマイクの様にして彩月に向けた。
「聞いてくれた人達の生活に彩りを与えられたらいいなって思ってつけました」
「とても素敵な理由ですね」
思っていた以上にしっかりとした答えが返って来て、太楽は素直にそう言う事が出来た。その言葉に彩月は嬉しそうに笑った。
「じゃあ彩りで決定ね」
「俺の要素ないけどね」
最後の悪あがきに太楽は言ったが、彩月に無視されてしまった。
「もしも引っ越さなかったらお母さん、出て行く事なかったのかな?」
その言葉に太楽は元彩月の家を見た。
「って、ゴメン。楽しい話ししたいって私が言ったのに」
「もしも彩月ちゃんがまだあそこに住んでたら、きっとケンカもしただろうし、楽しい事もそうじゃない事も話したと思う。だから彩月ちゃんは我慢せずに思ったまま話せばいいよ」
その言葉を聞いても彩月は何も言わなかったので、太楽は言葉を続けた。
「でも、もしも前のお母さんがずっと彩月ちゃんのお母さんなら今のお母さんとは出会う事はなかったんじゃない?」
それがいい事なのか悪い事なのか。どの道が彩月が一番幸せになれるのか。考えても分からず、太楽は恐る恐る口にした。きっと彩月なら今の母親と出会わないなんてあり得ないと思うのでは?という考えもあった。
「そっか。ホントだね。でもさ、今のお母さんと出会わないのも嫌だけど引っ越さなかったらイジメられる事もなかったんじゃないかなって考えちゃう」
引っ越さなくてもイジメられる可能性だってある。太楽の頭にはそんな残酷な言葉が浮かんでいた。それが口から出て来ない様に必死に違う考えで上書きを始める。
「俺はさ、パラレルワールドってあると思ってるんだ。今この時間軸では彩月ちゃんは学校で辛い思いをしてるけど、新しいお母さんと出会えた。別の時間軸では彩月ちゃんはずっとあの家に住んでいて楽しく学校にも行ける。そんな世界もある」
「それなら楽しい世界に行きたいけどね」
「でも、その世界には幸せな彩月ちゃんがもう存在してるんだよ。俺は他の時間軸で俺が幸せならそれでいいって思う様にしてる。どこかで楽しく過ごしている俺がいるって思うとここにいる俺も存在してる意味があるんだって思える。俺がこの世界でマイナスを背負うから他の世界線の俺はプラスになるんだって」
「どういう時にそう思うの?」
深刻な顔をした彩月を見て、余計な心配をさせてしまっていると太楽は笑顔を作って
「大した事じゃないよ。テストの点悪かったりしたらどこかの時間軸の俺は百点なんだろうなって思ったり」
と言った。彩月は本当にそれだけ?と目で聞いていたが、太楽はそれに気付かないフリをした。
「楽しい事だけの方が絶対にいいけど、それでも悲しい事とか辛い事があるから楽しいとか嬉しいって感情が大きくなると思う」
「私もそう思う事にする。でも最後は絶対にハッピーエンドがいい」
「幽霊のハッピーエンドってなに?」
「天国に行く事かな?」
「じゃあ、もしも幽霊じゃなかった時のハッピーエンドは?」
「えー、そんな事考えた事なかった」
「じゃあ今から考えて」
「なら、たいちゃんも考えてね」
「分かった」
考え始めた彩月の顔は最初こそ真剣だったが、次第に柔らかい表情になり、それを見ていた太楽も自然と笑顔になっていた。彩月と再会してから何度笑顔が移ったんだろうと彩月と過ごす時間を幸せに感じていた。
「考えた?」
「うん。結婚して家族で楽しく暮らす。子供も居たら最高だなって平凡過ぎ?」
「幸せに優劣なんてないよ。人の幸せをバカにする人が居たらその人は不幸になる」
「たいちゃんは?」
「俺は気楽に生きられたらいいかな」
「一体、たいちゃんはどんな重いものを背負ってるの?」
「小学一年生の頃のランドセルよりは軽い物」
「あれ、相当重いから結構重いね」
「俺のは軽いので有名なやつだったから」
「たいちゃん、直ぐにカバン振り回してたもんね」
彩月の頭の中では遠足の時にリュックを振り回し、前を歩いていた女の子に当たって泣かせた時の事が思い出されていた。
「そう。だから母さんが何かに当たってもダメージが最小限に済む様にって出来るだけ軽いのを選んだって卒業式の日に言われた」
「卒業式なんだ?」
「よくあるやつ。あんなに小さかったのにもう小学校を卒業なんてって。それで思い出話が始まった」
「ちゃんと聞いた?」
「聞いたよ。だからランドセルの事も知ってるんだよ」
本当はご飯を食べている時に話し始めたので、聞いたと言うより聞かされたという方が正しかったが、そこは優しい息子という事をアピールしておこうと黙っていた。
「たいちゃんの背負ってるものはランドセルに入りきる?」
「話し、戻すんだ」
「そりゃ戻すよ」
「もしも話はいいの?」
「今はいい。そもそももしも話から発展したんだから聞かない方が不自然でしょ」
「不自然ではないよ」
「別に流してくれても問題はない」
「たいちゃんになくても私にはある」
子供の頃から性格が変わっていないなら話すまで引かないだろうと太楽は彩月に話せば嫌われてしまうかもしれないと思いながらも話す事にした。万が一、後で知られる様な事があれば彩月の中でこの再会は暗い思い出になってしまうかもしれない。それなら自分の口から話して彩月の言葉を聞く方がいいと太楽は判断した。
「背負ってるって言うのは間違ってるんだけど」
そう前置きして太楽は話し始めた。
「前も言ったけど俺はさ、面倒な事から直ぐに逃げて来た」
太楽は深呼吸して気持ちを落ち着けた。それでも話し始めた声は震えていた。
「二年になってすごく気の合う友達が出来た。その友達と会えただけでこの学校来て良かったなって思えるぐらいの友達」
太楽の頭の中は何度も忘れようとしたが、忘れられない光景が繰り返し思い出されていた。これは忘れてはいけない事なんだと自分に言い聞かせていたが、それでも思い出したくないと思っていた。
「ある日、授業の時に学年一位の間違いをその友達が指摘したんだ。恐らく他にも気付いてた人居たけど誰もが気付かないフリをした。指摘されたのはプライドが高くて気に入らない事があると裏で手を出す様なそんな奴」
そこでもう一度太楽は深呼吸した。彩月は自分が口を開けば太楽が話すのを止めてしまうかもしれないと黙って太楽を見ていた。
「案の定って言ったらダメなんだけど、その日からその友達がイジメられる様になった。イジメって言葉じゃヌルいぐらい酷かった」
太楽は下を向いたら涙
が落ちそうだと前を向いたまま話し始めた。前を向いたが、彩月が下を向いていてその様子を見た太楽の胸は痛んだ。
「俺は直ぐにその友達から離れた。一生の友達って思えるぐらいだったのに俺は自分がイジメられるのが嫌で逃げたんだ。メッセージのやり取りもバレたらヤバイと思ってブロックした」
「でも、それは友達も分かってくれてるよ」
こんな事を言ってもまだ優しい言葉を掛けてくれるんだと彩月の優しさに太楽の胸は段々と苦しくなっていた。寧ろ責められた方が楽だ。そう思っていた。
「続きがあるんだ。これを言ったらもう彩月ちゃんはもう俺と一緒に居たくないって思えるぐらい俺は最低な事をした」
我慢していた涙が太楽の頬を伝った。自分が泣く権利なんてない。そう思っていたが、後悔が涙になって流れた。
「俺はその友達を倉庫に閉じ込めた」
「でも、鍵って中からも開けられるんじゃないの?」
その問いかけに彩月は少しでも希望を見い出そうとしている様に感じた。自分が知っているたいちゃんはそんな事をするはずがない。太楽にはそう聞こえていた。
「その鍵が壊れてて、外から南京錠を掛ける様になってたんだ。もう友達じゃないなら鍵掛けろよ。出来ないなら同じ目に遭わせるって言われて。一緒に片付けに行こうって誘って急いで俺だけ出た。ドアを閉める瞬間目が合った。その顔を俺は忘れられない。そしてその友達は次の日から学校に来なくなった。もうさ、友達って言うのは調子が良すぎるって分かってる。友達ならそんな酷い事出来ないはずだって」
太楽は袖で涙を拭った。今日で彩月と会うのが最後になってもしょうがないと思っていた。
「もしもその時に戻れるならたいちゃんはどうする?」
「正直、分からない」
心の底から後悔していたが、嘘でも友達を守ると言えなかった。
「良かった」
その言葉はしっかりと太楽の顔を見て放たれ、太楽は話し始めて初めて彩月と目が合った。
「良かったって言い方は間違ってるかもしれないけど、それでもたいちゃんがきれい事言わないで良かったって思う。自分がイジメられるって分かってるのに意地でも友達守るって嘘っぽい」
太楽を慰めるといった感じではなく、実際に何かがあったんだろうかと思わせる口振りだった。
「でもさ、例えそうだとしても正義の味方みたいな人は存在してる」
「そうだね。でもさ、その正義の味方に助けて貰ったとしてその人が次にイジメられたら助ける?また自分が辛くて苦しい思いするって分かってるのに助けられる?自分の事は気にしなくていいって言われたとして気にしないでいられる?自分のせいでその人がイジメられてるって全く罪悪感抱かないでいられる?」
心の中で答えは出ていたが、その問いかけに太楽は答える事が出来なかった。
「私はさ、助けてくれた誰かが自分と同じ事されるって想像しただけで辛くなる。それでもそこから抜け出した後にまた戻ろうって覚悟は出来ない。だからさ、助けて欲しいって思うけどそれは友達じゃない。親とか先生とか大人に助けて貰いたい。なんなら警察に言って助けて貰えるならそうしたい。私がイジメから抜け出した後に誰も犠牲にならない様にして欲しい」
「俺はやり方を間違った。自分を守りたいなら違う所に助けを求めれば良かったんだね」
「私が言っといてなんだけどさ、それもきれい事なんだよね。大人に言って事態が悪化する事だってあるし。これも都合のいい考え方だけど、その友達は自分が居たらたいちゃんに辛い思いをさせてしまうと思って学校に来なくなった可能性だってあるんだよ」
そうだったらどれ程いいだろう。自分にそんな都合のいい考えをする事は許されるのだろうか。太楽の頭の中は声に出来ない思いで溢れていた。
「たいちゃんのした事が百パーセント正解って事はないけど、百パーセント間違ってるって事でもないと思う。これは答えが出ない問題。実際に解決して、それが正解だったんだって気付く。人によって正解が違うし、きれい事言った所で、それでもって言葉が続く」
もう何も言えなくなった太楽に彩月は
「もう直ぐで時間だし今日はもう帰ろっか」
と言った。立ち上がった彩月に太楽は何とか声を出して
「楽しい話し出来なくてゴメン」
と言った。
「いいよ。これは謝られたから言うんじゃなくてちゃんとたいちゃんの心にある物を話してくれて良かったって思ってるからちゃんとしたいいよ」
「ちゃんとしたいいよって何?」
そう言って太楽は力なく笑った。例え弱々しくても太楽が笑った事に彩月は安心した。
「適当に言ったんじゃなくて、ちゃんと受け止めたよって事」
「ありがとう」
「うん、じゃあね」
「また明日も来てくれる?」
「当たり前だよ」
その言葉に太楽は心の底から安心して彩月を見送った。