再会
十七時のチャイムで家に帰る子供達の波に逆らう様に宮城彩月は重い足取りで歩いていた。もうこのままどこにもたどり着けないんじゃないかと重い足を何とか動かし、目的の公園へ着く事が出来た。入口から懐かしい顔が見え、さっきまでの重い足取りは一瞬で軽くなった。入口から走ってその人物の前に立つ。
「たいちゃんだよね?」
絶対にそうだという確信があって聞いたが、不審な顔を向けられ彩月はもしかして人違い?と不安になる。
「藤崎たいら君で合ってるよね?」
「そうだけど」
あなたは誰?と続きそうな言葉に彩月はショックを受けていた。
「子供の頃あの家に住んでたんだけど覚えてない?」
そう言って公園の入口の前に建つ白い壁の一軒家を指さした。太楽の目線は彩月の指先を追った。それを見て無視はされないみたいだと彩月は安心する。覚えていて欲しいという願いから自ら名乗る事はしなかった。
「えっ、彩月ちゃん?」
覚えていてくれた。自分の姿を見て直ぐに分かってくれなかった事にはショックを受けたが、ちゃんと名前を呼んでもらえた事に彩月は笑顔になる。
「そうだよ。宮城彩月」
「ホントに彩月ちゃん?」
太楽の中で彩月は長い髪をいつも可愛いゴムで二つにくくり、日本人形みたいな前髪だったが、今目の前に居る彩月は腰まである髪は昔のままだったが、それを後ろで一つにまとめ、前髪もおでこが見えるぐらい少なかった。
「そうだって。そんなに私変わった?たいちゃんはちゃんと面影あるね」
彩月は五歳の頃の太楽の姿と今の姿を重ねる。切れ長の目は昔と同じだった。子供の頃は短かった髪が今はマッシュヘアになっている。目にギリギリかからない長さの前髪が少しクールな印象を醸し出していた。
「俺の事たいちゃんって呼ぶから彩月ちゃんか」
「そうだよ。どれだけ疑うの?」
「いや、だってまさか過ぎるから」
「たいちゃんはまだあの家に住んでるの?」
さっきとは別の入口の前に立つ家を指さし聞いた。公園を挟んで向かいの家。そこに同い年の子供がいるという事で母親同士必然的に仲が良くなり、彩月と太楽は毎日の様に遊んでいた。太楽は指さした方向を見たまま何も言わなかったので、聞こえていなかったかな?と彩月はもう一度同じ質問をした。
「うん」
「そうなんだ。この公園にはよく来るの?」
その問いかけに静かに首を横に振って
「久し振りに来た」
と答えた。子供の頃と今が違うのは当たり前だが、自分と再会しても冷静な太楽に彩月は寂しさを感じていた。もっと嬉しさを表に出して欲しいと自分勝手な事を思っていた。
「ねぇ、たいちゃん。これからここでまた会わない?」
「これからって?」
「これからはこれからだよ。明日からでも来週からでも週一回でもいいからここで喋りたい」
「それはちょっと」
再会した時のテンションから断られるかもしれないと思ってはいたが、実際に断られるとその言葉は想像以上の重さで彩月の心を沈ませた。それでもせっかく会えたのだからこのまま帰りたくないと彩月は必死にここで太楽と時間を過ごせる方法を考える。
「じゃあ、私幽霊だからこの世に後一週間しか居られないの。だからその一週間だけ付き合って」
その言葉に太楽は声を出して笑う。笑うと五歳の太楽がそこにいた。その懐かしい笑い顔を見て彩月も笑顔になる。
「じゃあってなに?新し過ぎでしょ」
「だってそうでも言わないとたいちゃん引き止められないと思って」
「じゃあ俺も幽霊だから一週間だけね」
太楽はしてやったりといった様子で彩月を見ていた。
「幽霊友達だね」
ずっと太楽の前に立っていた彩月だったが、もういいだろうと太楽の向いに座った。切り株をかたどったテーブルに同じ様に切り株風のイスがテーブルを囲む様に四つ置かれている。子供の頃はここでよくお菓子を食べ、時にはピクニックごっことお弁当を食べた事もあった。
「まさかこんな形で再会するなんてね。幽霊ルール確認しとこう」
「幽霊ルールってなに?」
「えっ、彩月ちゃんの所にはないの?誰かに触れられると消えるとか存在を喋られたら消えるみたいなやつ」
「んー、二人で会える時間は一日一時間とか」
「それって単に門限なんじゃないの?」
「そう。お母さん心配するから」
「お母さんは彩月ちゃんの事見えてるの?」
その問いかけに彩月は分かりやすくしまったという顔をする。その顔を見て太楽はまた笑った。子供の頃の太楽とはお互い笑顔だった時の記憶が多い。最初は覚えてないかもしれないと不安になり、久し振りに会ったのに喜んでくれない太楽に会いたいと思っていたのは自分だけだったんだろうかと彩月は不安になったが、こうやって太楽の笑顔が見える事で彩月の不安は無くなり、幽霊だと言って良かったと思っていた。
「見えなくてもちゃんと存在は確認してもらってるの。たいちゃんの方はその二つだけ?」
「そうだね。彩月ちゃんのと合わせて三個だね」
「十七時待ち合わせね」
「学校終わってからだもんね」
「違うよ。十七時のチャイムで子供達帰るから十七時」
「もうここで遊ぶ子供、ほとんど居ないけど。俺達は帰らなかったね」
「そうだったね。後ちょっとって言って夜通し遊びそうな勢いで遊んでたね」
「子供だから夜通しは無理でしょ」
「例えだよ」
「分かってるよ」
「なんかたいちゃん意地悪になった?」
「そりゃ五歳の心を持ったままじゃいられないって」
「それはそうだね」
五歳から今まで色々な事を知り、経験した。自分も五歳の頃とは変わった。それでも久し振りに会ったのだから、五歳の時の純粋さを持っていてもいいんじゃないかと彩月は考えていた。
「にしても彩月ちゃん、すごい荷物だね」
太楽は彩月の足下に置かれたカバンを見て言った。一つは学校指定の紺のカバン、もう一つは流行りのキャラクターが描かれたトートバッグ。そのどちらも荷物で膨れていた。
「上履きとか体操服とか全部持って帰ってるから」
「上履きも?金曜とかなら分かるけど、月曜に持って帰るとか変わってるね」
太楽は笑いながら言ったが、彩月は暗い表情で俯き、太楽に会うまで心にあった重くて暗い気持ちがまた心に戻って来ていた。せっかく太楽に会えて気持ちが明るくなったのにこんな気持ちになるのはもったいないと彩月は引きつった笑顔で
「持って帰らないと無くなっちゃうんだ。もしくは汚されたり。だから持って帰るの。本当は机とイスも持って帰りたいんだけど、さすがにそれは出来ないから」
と言い、太楽はその言葉に固まった。そしてさっきまで軽かったのに急に重くなった口を何とか動かした。
「それって」
「そういう事」
「なんで?」
「いい子ぶってるって」
「そんな理由で?そもそもそれってただの僻みでしょ」
「イジメられるのに大した理由なんてないの」
彩月の口からハッキリとイジメという単語が出て来て太楽は現実から目を逸らす様に遠くを見る。
「どこにでもくだらない事する人っているんだね」
「ホントに。やっぱりくだらないよね」
「あっ、ゴメン。言い方悪かった?」
彩月の声が震えている事に気付いた太楽は慌てた。イジメなんてくだらないと相手に怒ったつもりだったが、くだらない事で落ち込んでると彩月に捉えられてしまったかもしれないと慌ててフォローしようとしたが、先に口を開いたのは彩月だった。
「私はこんな事で何でこんなにも悩まないといけないんだろう。って気持ちとこんな事なんかじゃないって気持ちがいつも共存してる。でもさ、そうやってイジメる事をくだらないって言って貰えると向こうが人として欠陥品だって思える。何かが足りないから完成品の私を羨むんだなって。って、私も別に完成品なんかじゃないんだけど。でもせめてそれぐらいは思わせて欲しい」
「俺はさ、今の彩月ちゃんを知らないからそんな事ないよ。なんて無責任な事は言えない。でも、イジメをする人間よりしない人間に月とスッポンぐらいの差はあると思う」
返事が無く、もしかして泣かせたかな?と思いながら彩月の方を見ると両手で顔を覆い、肩が震えていた。子供の頃ですら、ほとんど彩月の泣き顔を見た事が無かった太楽は掛けるべき言葉と取るべき行動の正解が分からなかった。
「月とスッポンってもっと例えあるでしょ?」
彩月が顔を覆っていた手を離すととびっきりの笑顔が見えた。泣いてたのではなく笑ってたのかと太楽は安心すると同時に辛くても悲しくてもどこか我慢しているんじゃないかと心配にもなった。
「もしさ、本当に辛かったら言いなよ。なにも出来ないかもだけど、話しを聞くだけは出来るから。無責任な発言かもしれないけど、本当にダメになったら逃げたっていいんだよ」
「ありがとう。でもさ、私がイジメられる事で他の人を守ってるって思ってるから。私が学校に行かなくなったら他の子がイジメられちゃうかもでしょ?そうやって他に被害者が出ない様にしてる私は正義の味方なんだよ」
「すごいね。ちゃんと芯は俺が知ってる彩月ちゃんだ」
「芯はって何?見た目もちゃんと私でしょ?って変わってないって言われる方が普通は嫌なのか。あっ、でもたいちゃん心配しないで。私、幽霊だからもうイジメられる心配しなくていいの」
思い出した様に彩月は言った。彩月の気持ちを考えるとそれは設定でしょ?とは言えなかった。
「って事で楽しい話ししよ」
「楽しい話しって?」
「色々あるでしょ。五歳から今までの話しとか」
「どこから話せばいいか分かんないんだけど」
「じゃあ質問してもいい?」
「その方がいい」
「たいちゃんの好きな字は?」
「字って文字だよね?」
「そうだよ。ひらがなでもカタカナでも漢字でもどれでもいいよ」
「何で字?今までの話しはどこ行ったの?」
「だってどこから話せばいいか分からないって言ったのたいちゃんだよ?」
「確かに言った。だからその事について質問されるんだって思うでしょ」
「どこから話せばいいか分からないって言ったからそれもそうかって思って違う話題になるのはおかしくないでしょ」
二人とも自分の感覚がおかしいのかなと少し首を傾げ、キレイに揃った動きに目を合わせて笑った。
「とにかく好きな字教えて。私が今一番たいちゃんに聞きたい事がそれだから」
「彩月ちゃんって今何歳?」
いきなりの質問だったが、彩月は戸惑いながらも直ぐに答えた。
「十六だけど。今年十七」
「だよね」
「なんでそんな事聞くの?」
「質問の内容的に実はもっと前に幽霊になったんじゃないかと思って」
その言葉に彩月は分かりやすく片頬を膨らませて怒った。その顔を見た太楽はようやく五歳の彩月と今の彩月が重なって見えた。思わず、怒った時の顔はあの頃のままだねと言いそうになったが、それを言うと火に油を注ぐ事になりそうなので黙っておく事にした。
「子供は好きな字の話しとかしないでしょ」
「高校生もしなくない?」
「じゃあ誰がするの?」
「彩月ちゃんぐらいじゃない?」
「この世で私一人って事はないよ」
「あの世じゃないの?」
「ホントにたいちゃん性格悪くなったね。幽霊になってあの世に行ったんだから自分がいる所がこの世でしょ?」
「逆に俺が子供の頃のままの性格だったら怖くない?」
「私と久しぶりの再会をした時ぐらいはあの時に戻ってくれた方が嬉しいよ」
「でも俺は今の俺も知って欲しいって思うし、今の彩月ちゃんを知りたいって思うけど」
「ちょっと納得させられた。でもさ、今の私はあんまり楽しい話題提供出来ないよ」
その言葉にどう返せばいいか分からず、太楽はワザとらしく明るい声で
「彩月ちゃんの好きな字は何なの?」
と聞いた。
「ひらがなだったらいかな。さてそれは何故でしょう?」
待ってましたとばかりに彩月は嬉しいそうな顔で答える。
「い?あいうえおのいだよね?」
「それ以外にある?」
「ないね」
「シンキングタイムスタート。制限時間三分ね」
「短くない?後、時計とか持ってる?」
「一時間の内の三分なんだから長いよ。私、体内時計正確だから任せて」
「体内時計?それ正しいか分かんないじゃん」
「たいちゃん時計持ってる?」
「持ってるけど」
そう言って腕時計に目を落とした。
「じゃあ適当にスタートって言って三分計ってて。でもちゃんと私がいが好きな理由も考えて」
「分かった。じゃあいくよ。よーいスタート」
時計を見ながら頭の中はフル回転だった。何としてでも正解して彩月を喜ばせたいと思っていた。学校で辛い時間を過ごしている分、この一時間だけは単純に楽しんでもらいたいと太楽は思っていた。その割に性格悪くなったと言われる発言をしてしまうなと反省しつつも五歳の彩月を思い出していた。彩月が好きだった物を思い出し、それに関連付けて答えを探し始めた。
「はい、三分」
「可愛いから」
二人同時に言い、お互い驚いた顔をする。先に太楽が口を開く。
「本当に三分ピッタリ」
「でしょ?」
「凄いね」
「たいちゃんも私がいを好きな理由当ててすごい。よく分かったね」
「子供の頃に彩月ちゃんが好きだった物を思い出したんだ。彩月ちゃん、可愛いものが好きだったでしょ?だからもしかしてって。でもいが可愛い理由は分かんない」
「いって丸っこくて可愛いでしょ?」
そう聞かれて太楽は空中に人差し指でいを何個も書いた。
「まぁ、言われて見ればそうかも。わをんのをよりは可愛いと思う」
「風船みたいで可愛いって思うんだよね。たいちゃん私が好きだった物覚えてくれてたんだね」
「彩月ちゃんと一緒に過ごした時間よりも離れていた時間の方が長いけど、俺はあの頃の記憶が一番あるよ。あるって言うかここに来て一気に思い出したって言う方が正しいかも」
「私も覚えてるつもりだったけど、ここに来てたいちゃんの顔見たらもっと記憶が濃くなってきた。じゃあ、次はたいちゃんの番。まずは好きなひらがなからどうぞ」
「俺はくかな。じゃあ次は彩月ちゃんが理由考える番ね」
「シンキングタイム無くても答えられるよ。カッコイイからでしょ?」
「半分正解」
「半分?」
「そう半分。もう半分は違う理由でいいなって思った。多分、これは分からないと思う」
「そう言われると意地でも当てたくなる」
「じゃあシンキングタイム入る?」
「ううん、理由教えて」
「意地でも当てるんじゃないんだ?」
「だってもう直ぐ一時間でしょ?なんならこのままだと一時間過ぎちゃうから」
「彩月ちゃんって今どこに住んでるの?」
「そんなに遠くないよ。電車で十五分ぐらい」
「えっ、それって五歳の時にそこに引っ越したって事?」
「ううん、違う。その話しは長くなりそうだからまた明日。今日はたいちゃんがくを好きな理由聞くのが先」
気になってしょうがなかったが、明日聞けるならとそれ以上は聞かない事にした。
「くって鋭い感じがあるでしょ?だから彩月ちゃんのいを割れるなって思って。風船みたいって言った時にくだったら割れるんじゃないかって一瞬で思った」
「メッチャ最低な理由。そう言えば昔たいちゃんに恐竜のフィギュアで私の大事なウサギの人形に噛みついて私を泣かせた事あったよね。そこは変わらないんだね」
「今も泣きそう?」
「今は泣かないよ。そんな事で泣かない」
「俺はさ、彩月ちゃんにとっては嫌な思いさせてるかもしれないけど、それで昔の事思い出して思い出話出来るならアリだと思う」
例え性格が悪いと言われようがそれが嫌な方向に向かわなければ良いんじゃないかと思い、自分勝手は承知で太楽は言っていた。そこまで上手く話しが進む確信はなかったが、結果上手くいって良かったと太楽は静かに息を吐いた。
「大丈夫。私も口ではそう言ってるけど、本気でたいちゃんの事最低なんて思ってないよ。逆に嫌な事言ってるのにこんなに嫌な気持ちにならない事もあるんだなって思ってた。もう一時間過ぎてるよね?」
「ううん」
「ウソでしょ?」
「体内時計正確過ぎだね」
「それだけじゃないけどね」
「どういう事?」
「それはまた話す。昔みたいにそれぞれの出口から帰ろう」
小さい公園なのに出入り口は二つあった。それぞれの家の前にある事から、彩月ちゃんの出口、たいちゃんの出口と呼んでいた。
「たいちゃん、また明日ね」
「うん、また明日」
子供の頃は明日も会えるのが当たり前で、また明日なんて言った事がなかった。また明日がある幸せを噛みしめながら二人はそれぞれの出口へと向かった。