青紫色の夏
俺の部屋にはエアコンがない。だから夏休みに突入する頃にもなると、地獄のように暑かった。
対し、妹の部屋にはエアコンがあった。母親曰く、妹が優遇されるのは単純に女だからで、「見た目平凡、成績平凡の冴えない十七歳の男子高校生であるあんたなんか、今年の夏も童貞のまま灼熱の自室で勉強してりゃあいいのよ」とのお達しだった。男女差別反対っていうか、実の息子にそこまで言うことなくね!?
故に、今年もまた図書館で涼みながら一夏を終えることになるのだろうと思っていた。
まさに救いの女神と言えるであろう彼女から電話が掛かって来る、その時までは。
「おい御剣。どうせ夏休み中、宿題もしてないで暇だろう? だったら生徒会室に手伝いに来い。お前のような奴でもいないよりはマシだ。ん? いや待てよ……本当にマシか?」
最終的に疑問形になったのが少し気になったけれども、生徒会長と会えるならこの生徒会書記こと御剣智也、是が非にでも行きますとも! 生徒会室にはエアコンもあるしね、むふっ♪
かくして夏休みが始まったばかりの八月三日、くそ暑い日差しの中、恥ずかしげもなく鼻歌&スキップで出掛ける男子高校生の姿がそこにはあった。というか、俺だった。
俺は生徒会長――青村紗季先輩が大好きである。どれくらい大好きかと言うと、目の前にぱんつが干してあったら迷わず盗んで、その場で「盗ったどー!」と大声で叫んでもいいくらい大好きである。そこらの下着泥棒とは根性が違う。どうだ、参ったか。
高校に着き、生徒会室の扉を開けると、楽園が広がっていた。
そこは暑いという概念から抜け出た別世界で、統治者は余りにも美しい。
程好いカールが掛かった明色で豊かな髪を背中に垂らしており、バストとヒップは大きく、ウェストは細く高く、脚はモデルのように長い。
フランス人形みたいな顔立ちをした会長は、奥の席に座り、肩肘を着いたまま振り返った。
「遅い、待ちくたびれたぞ」
「ぐぁああっ!」
俺は自身の両肩を抱え、その場で転げ回った。
ヤバい、楽園過ぎる!
エアコン効きまくってめちゃめちゃ涼しいし、傍らには愛しの生徒会長の姿。
「心も身体も癒されて、一石二鳥ってわけですね会長!?」
「……何言ってんだ、お前は?」
数多のライバルとの激戦を潜り抜け、生徒会に入った甲斐があったというもの。生徒会で本当に良かった、生徒会最高!
「それにしても会長。夏休みなのにどうして生徒会室に?」
感激が落ち着いて来たところで、疑問だったことを尋ねてみた。
「ぶっちゃけて言うとな、私の部屋のエアコンが壊れたんだ。母にまず相談したのだが、今年の夏は扇風機で過ごせとおっしゃった。私の家が高校に近いことは御剣も知っていよう? それならばと思い、この生徒会室を選んだわけだ。生徒会長として、部活等で何かあった時に対処出来るよう、常に待機していたい、と校長先生に熱く語ったら、喜んで部屋の使用許可を出して下さったぞ」
「で、生徒会室でゲームをしているわけですか……」
会長は画面がニつある携帯ゲーム機を片手に、肩肘を着いていた。
「夏前に出た国民的RPGだぞ!? 夏休みにプレイしなくてどうする! ところがだ……前作に比べて割とあっさりストーリーをクリアしてしまってな……肝心のマルチプレイをしないと今いち盛り上がらない」
「だから暇になったってわけですね。あの、俺……そのソフト持ってますけど」
「何っ、本当か!? レベルは幾つだ! というか明日から持って来い! あっ……と言っても、明日以降が暇ならだが……」
「だ、大丈夫です、暇です!」
その日から、俺は夏休みの日々を生徒会室で過ごすこととなる。
楽しい時間はあっという間だと言うが、それからの三週間は本当に短かった。国民的RPGは会長とアホみたいにやり込んで、ほぼ全クリしたと言っていい所まで行った。宿題も一緒に片付けた。会長の態度はいつも通りで、良いムードになんて一度もならなかったけど、俺は会長とニ人でいられるだけで嬉しかった。
そうして幸せを噛み締めながら後一週間を過ごそうと思っていた八月二十四日、幕切れは突然にやって来た。
「会長、壊れましたね」
「……ああ、見事にな」
生徒会室のエアコンが故障したのだ。うんともすんとも言わなくなった。
「夏休み中、昼間はずっと付けっぱなしでしたからね」
「……」
そりゃあ壊れてもおかしくないだろう。
楽園から一転、熱帯のジャングルと化した生徒会室は、今が夏であることを改めて教えてくれた。
それから会長が職員室に行って、教師に掛け合った。しかし、修理は夏休みが終わってからだと言い切られてしまった。休み明けに学校のエアコンを一斉に点検するのだそうだ。
「まぁ、生徒会室でやりたい放題でしたから、仕方がないと言えば仕方がないですね」
「ああ、分かっているよ」
まだ午前中だが、会長と二人並んで学校からの帰り道を歩く。夏休みに入ってからは、ごく普通のこととなっていた。
会長の家の前に着くと、ホースで庭に水を撒いている美佐さんがいた。並ぶと姉妹にしか見えないが、会長のお母さんである。
この人とも夏休み中に知り合った。
「あらぁ、紗季ちゃんと智也くんじゃなぁい。今日は早いのねぇ」
「ええ。今日はちょっと……」
会長はいつものように俺を見て、
「それじゃあな、御剣。また明日」
家の中へ入って行った。
翌日、我が家は相変わらずの灼熱地獄だった。
生徒会室のエアコンも壊れてしまったし、涼む場所はもはや図書館くらいしかない。仕方なく俺は出掛けることにした。
午前中だというのに外はいつにも増して暑い。
図書館に向けて歩いていると、途中でスーパーのビニール袋を下げた美佐さんに出会った。
「あらぁ、智也くん、今から学校ぉ? 紗季ちゃんならもう先に行ってるわよぉ?」
「え?」
どうして会長が学校に。生徒会室のエアコンは壊れているというのに。
俺は何となく学校に足を向けていた。
先に職員室に行き、鍵がないことを確かめてから、生徒会室に向かう。
生徒会室には人の気配が感じられなかった。エアコンの稼動音はせず、蝉の鳴き声だけが廊下に響いている。
扉を開けて中に入った。途端にむわっとした熱気が全身を包む。
床に工具箱と脚立が置いてあった。何故、と思うよりも先に、
「会長ッ!!!」
その人が倒れていることに気付いた。
会長をベッドに寝かせ、濡れたタオルを額に被せた後に気付いたのは、ここが彼女の家で、彼女の部屋だということだった。
「智也くん、そこのリモコンでエアコンの温度を調節出来るからぁ。私は下にいるから、何かあったら呼んでねぇ」
「はい」
美佐さんは「大丈夫よ」と微笑んで、一階に降りて行った。
「どうして会長はあんなことを……」
生徒会室の床にあった工具、脚立はおそらくエアコンを直す為のものだろう。
「う……御剣……?」
会長がゆっくりと目を開ける。
「会長、大丈夫ですか!?」
「この部屋は……暑い」
「ちょっと待ってて下さい。今、エアコンの温度を下げますね……あれ?」
ふと気付く。
確か、会長の部屋のエアコンって壊れてたはずじゃ――
会長は、リモコンに伸ばした俺の手を掴んで、言った。
「暑いんだ……」
その顔は真っ赤に染まっていた。