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少女の慟哭 前編






    〇





 いよいよ僕は、どうしていいかわからなくなりそうだった。

 あんなにも晴れやかな笑顔が薄暗く歪み、はにかんだ瞳が茫洋と虚空をなぐだけの様子は、見るもの全てをいたたまれなくする。共に生活をしているというような状況とは決して呼べないけれど、少年が見た印象としては、今の少女は信じられないような零落ぶりである。

 はにかんだ唇で夢を語り、悪戯っぽい瞳で自分をからかっていた存在とは、決して結び付けられない状態だ。自分の名を呼んでいた声は濡れそぼり、許しを請うかのようにまた泣くのだ。

 そして、いま。

「まさか」と思考する少年。

 今日はまだ、比較的マシな方だった。酷い時は部屋の片隅で半日以上も呆然としていることもある。さすがに小用なんかで部屋を後にすることもあるにはあるが、それも家に誰もいなくなる時間帯に限定されている。他人はおろか家族とも顔を合わせたくないと言わんばかりの拒絶っぷりである。両親の、おじさんとおばさんの苦労がしのばれる。

 どうしていいかはわからない。

 だが、このままではいけないことは確かなのだ。それくらいのこと本人が一番分かっていそうなものだが、そう簡単に割り切れることでもないのだろう。

 幼馴染とは言え、互いに将来を誓い合った仲だったのだから、当然と言えばと応善なのだ。

 だが、自分は死んだ。その現実はいかんともしがたい。

 少年は事実を確かめるように、宙を浮いて彼女の部屋へ続く窓硝子に、侵入した。





     〇





 少年は、不安というよりも予感めいた調子で、少女の動静が気になり始めていた。

 引き篭もった当初はまだ、家族や友人と接することも可能だったのに、最近はとくに誰と接することもなく、日々を泣くか喚くか黙りこくるかしながら過ごしている。これは断じて、良い兆候ではない。母親の必死の訴えは虚しく空転し、父親に至っては手の施しようがないと諦めムード。足繁く通っていた友人たちも、少女の存在を忘れ去ったかのように、彼女のいない日常を平然と受け入れてしまっていった。

 そんな状態に陥っても、まだ少年の中では、きっとどうにかなるという期待……という名の楽観があった。

 彼にはその程度の希望を抱くこと以外に、彼女に対してできることんどなかったのだから。

 だが、もはや少女は世界から隔絶しつつある。生きたまま死者のような生活を受け入れ始めている。それだけは許しがたいことであった。死んでしまった少年に追い縋るかのような眼差しで、少女の瞳は泥のような光沢を放ちつつあった。

 それでも、少年は努めて良い思い出を語って聞かせた。

 二人の共通点……星が好きだった幼少期から始まった交流は、少年の心を満たしに満たし、少女の萎え切った心を慰撫できるものばかりであった。もし少女の耳が、少年の声を聞き届けることが出来ればの話だったが。

 そういった意味では、少年が霊となっている現実など、これっぽちも意味のないことでしかないのだが。


 そして、彼は絶望を直視した。


 ただいまと告げる間もなく部屋に飛び込んだ瞬間、奇妙な違和感があった。


「……蒼」


 返答を期待したわけではない。自分の部屋を訪れた時と同じ調子で少女の部屋に戻った少年は、部屋の景色を半分理解できなかった。否、理解することを拒絶していたのだ。

 部屋の電飾にグルグルに括り付けられた細いロープ。

 四角い空間の中心で、少女の脚は亡霊のように、浮いていた。

 ぱっと胸の奥が冷たくなった気がする。


「あ、お、い……?」


 首は「く」の字に曲がって、足下の部分は宙に吊り下がっている。

 ギシリと、彼女の身体が僅かに痙攣する。その音は発作のように、少年の心を麻痺させ昏倒させ、一瞬の後に覚醒させた。


「蒼ッ!!」


 声の限りに叫んだ少年。

 叫喚と同時に腕をのばした。当然ながら腕は彼女の身体に届かない。何十にも撒かれた細いロープを取り外せないかと爪を立てる。自分の指が互い違いに交差するだけで、何の結果ももたらさない。そう解っていても、そうせずにはいられなかった。


「蒼、蒼、蒼! 蒼まで、君まで死ぬ必要なんてないっ!!」


 狂ったように少女の名を呼び続ける。今の一瞬だけでもいい。彼女が自分の声を聞きとってくれたのなら!

 祈る想いとは裏腹に、急き立てられる心は摩耗して摩擦して磨滅する。

 指は、一ミリもロープを捉えない。声は、一ヘルツたりとも届かない。

 自分は幽霊。

 彼女は人間。

 幽霊には彼女は触れない。

 自覚が恐怖となって、亡くなったはずの心臓を貫いた気がした――瞬間だった。



 プツリ



 ロープが何故か中途で千切れ、弾けた。数瞬もしない内に、彼女の身体はベッドの上に落下する。ドタンという轟音が家中を駆け巡った。

 少年は、怯えたように声を震わせ、呼びかける。


「蒼……?」


 彼女が咳き込んだのは、その時であった。

 生きている。大事には至らなかった。その想いが、総身を戦慄かせて、硬直させる。

 彼女がムクリと起き上がった様を見て、


 少年の絶望は始まった。


「どう、して……よ」






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