892 巫女ワタゲ
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ワタゲはザッハーク神教の総本山で信徒と神官達に連れられ、山の中腹に向かっていた。
彼女の首には大魔女エントラからもらったお守りがかけられているが、それは服の上からは見えなくなっている。
このお守りは、大魔女エントラがワタゲに渡した物で、それには邪悪な魔力を一切受け付けない高レベルの破邪の魔力が宿っている。
それなので、ワタゲはこの魔将軍アビスの支配する総本山の中でも正気を保っていられるのだ。
ワタゲは辺りの様子がおかしい事にまだ気が付いていない。
実はザッハーク神教の人間は全て、既にアンデッドになっているのだ。
「さあ、巫女になられる方は……こちらへお越しください……」
虚ろな目をした神官がワタゲを参道に連れて行った。
彼等は何か怪しげな文言を唱えながら杖をついて総本山の中腹を目指している。
ワタゲはそんな彼等に輿に乗せられ、どんどんと山の上の方に向かっていた。
山の上に向かうにつれ、ワタゲの中にある不安がどんどんと大きくなっている。
――わたし、一体どうなるの?――
ワタゲは恐ろしくなり、思わずヘックスの事を呼んでいた。
「クロちゃん……助けて……」
ここに来るまでは巫女になるのは名誉だと思っていたワタゲとその家族だったが、大魔女エントラに貰った破邪のお守りの力でこの山の実体がわかってしまっているワタゲには恐怖しかなかった。
もしここで大魔女エントラのお守りが無ければ、彼女もアンデッドの神官達に引き連れられ、何の疑問も抱かないまま知らず知らずにアンデッドや魔族の仲間入りをしていたであろう。
「怖いよ……助けて……」
しかし輿に載せられたワタゲはそこから降りるわけにもいかない。
もし下手にこんな所で降りたらそれこそ神への冒涜と見なされ命は無いだろう……。
つまり、ワタゲはここから動く事すらできなかった。
彼女は輿の上で恐怖を感じながら泣く事しか出来ていない。
今、彼女を助け出せるものは誰一人としていないのだ。
この山は教団の関係者、巫女しか入る事が出来ない。
だから家族もここには入る事が許されていないのだ。
だからワタゲは誰にすがる事も出来ず、なすがままにされるだけしかない。
この後山の中腹についてどうなるのか、それは誰一人としてワタゲに教えてくれるわけでもない。
彼女は残酷な運命を受け入れるしかなかった。
信徒達はどんどん山のほうに歩いて行き、もうすぐ目的の場所についてしまう。
そこでワタゲに待つ運命は一体何なのだろうか。
洗礼という形での洗脳をされてしまうのか、それとも神への生贄にささげられてしまうのか……。
どの形だとしてもワタゲに待つのは不幸な未来だけだ。
「い……イヤ……帰りたい、帰りたい……」
彼女はもう精神的に意図が張り詰めたような状況で、これ以上何かがあればもう元には戻れなくなってしまう、そんな状況だ。
彼女が精神的に壊れてしまうのは時間の問題だと思われた。
――だが、そんな彼女を追いかける小さな黒い姿があった!
「ワタゲェェェェ! 俺様が助け出してやるからなぁぁ」
押し寄せるアンデッドの信徒をねじ伏せながらワタゲの参列を追いかけるのはヘックスだった。
彼は押し寄せるハイレベルのアンデッドを次々と打ち倒しながらワタゲを目指した。
ここでワタゲを助け出せなければもう二度と彼女に会う事は出来ない。
ヘックスを動かしているのはそんな思いだった。
ワタゲはかつて彼の愛した少女フワフワの生まれ変わりだ。
もしここで彼女を手放してしまえば、もう二度と会う事は出来ない。
その想いこそが彼を突き動かした。
グール、リビングデッド、ワイト、リッチといったアンデッドを次々と爪で引き裂き、炎で焼き尽くし、ヘックスはワタゲを追いかけた。
今度こそ、彼女を手放すものか!
そしてついにヘックスの前にワタゲの参列の最後尾が見えた。




