530 惨劇の序章
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時間は少し遡る。
ユカが数万の魔族を全滅させ、魔将軍パンデモニウムを倒す少し前の時……。
ここは地図にも載らない小さな村。
村人は仲良く、貧しいながらも自給自足でつつましい生活を送っていた。
余所者が村に訪れることも、村はモンスターに襲われることもなく、村の住民達は何一つ変わらない日々を送っていた。
そんな村にボロボロの姿の少女がたどり着いた。
「ハァ……ハァ……」
少女は村の入り口に辿り着くと、倒れてしまった。
「大変だ、女の子が倒れているぞ!」
村人は行き倒れの可哀そうな少女を助けてやり、少女は村長の娘の部屋で看病してもらうことになった。
「……う、こ……ここは?」
「あら、気が付いたのね。大丈夫よ。あなた、村の入り口で倒れてたの」
「あ……たし……」
「心配いらないわ。この村の人は余所者を知らないだけだから、弱っている人を見捨てるような冷たい人はいないの。みんな仲の良い家族みたいなものだから」
村長の娘はニコニコと笑いながら少女の手を握りしめた。
少女の手は病人のように冷たかった。
「気持ち……悪い」
少女は嘔吐してしまった。
しかし、その吐しゃ物の中には食事の後はまるで見られず、胃液と一緒に吐き出されたのはおびただしい量の血液だった。
「大変! この子血を吐いてるわっ!!」
村長の娘は村の医者を呼ぼうと部屋から飛び出そうとした。
「やめて……やめろ……」
少女の目が鋭く光る。
その目を見てしまった村長の娘は、魂が抜けてしまったかのように茫然としてしまった。
「いい? 医者なんて呼ばなくていいの。アナタはただ部屋にひとりにするように言えばいい、わかったわね?」
「ハイ……わかり……ました」
村長の娘の目の焦点が合っていない。
これは間違いなく操られている状態だ。
少女は部屋に誰も入らせないようにするとベッドで眠りについた。
その夜、みんなが寝静まった時、少女の部屋に一人で入ってきたのは村長の娘だった。
「よく来たわね」
「ハイ……」
ベッドから起き上がった少女は凶悪な顔を見せた。
「何なのよ、気持ち悪いったらありゃしない。全員が仲の良い村?虫唾が走るわ! この村の住民を恐怖と憎悪の中で苦しませないと気が収まらないわ」
少女の姿が変貌する。
その姿は魔族……そう、この少女は魔将軍アビスが変身した姿だった。
「仲が良くて善人しかいない村? それならさぞかし滅ぼしがいがあるわ。そうね、まずは……そう、アナタ……アタシちゃんのいうことを聞きなさい」
「ハイ……」
村長の娘は既にアビスの操り人形だ。
彼女が死ねと言えば喜んで死ぬだろう。
「アナタ、アタシちゃんの力をあげるから、好きに使いなさい」
アビスは村長の娘を手繰り寄せると、その唇に口づけをした。
「ア……アァ…」
「おめでとう、どう? 人間をやめた感想は」
「最高の気分……です」
「フフフ、そうよね。どう? 人間、殺してみたくない?」
「ハイ……」
運の悪いことに、そこに一人の少女が入ってきてしまった。
「ねえ、ここに病気の女の子がいるって聞いたんだけどさ、大丈夫? お見舞い持ってきたわよ」
少女は部屋に入った瞬間、村長の娘に捕まってしまった。
「な、何するのッ?」
村長の娘の表情がおぞましいものになる。
その顔は既に、魔に魅入られた者の顔だった。
「や……めて」
村長の娘は哀れな犠牲者の首を喜んで絞めている。
そして哀れな少女は部屋から逃げることもできず、息絶えてしまった。
「よくやったわね。これでアナタもアタシちゃんのモ……ノ……」
「ハイ……お姉……様」
名も無い村で夜に少女が一人消えた。
だがこれはこれから起きる惨劇の序章でしかなかった。
魔将軍アビスに目を付けられた。
それだけでこの村の運命は決まってしまったのだ。




