262 藤の木の少女
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儂は夢を見ていた。
懐かしき少年の日の事。
あの日は藤の花の美しい春の終わりだった。
儂は父上の目を盗み、お忍びで春祭りに抜け出していた。
その時、儂は今までに見た事もないほど美しく、可愛らしい少女を見かけた。
少女は紫の着物を着て、藤の木の枝に座っていた。
「其方は誰じゃ?」
少女は儂を見て、名前を訪ねてきた。
「無礼者、人に名を聞くなら其方から名乗るが習わし、お前はそれも知らぬ下女なのか?」
「坊、ずいぶんと偉そうな物言いじゃな」
「坊とは何だ!? 余は『ミクニ・コクド』が王子『ミクニ・ホンド』なるぞ!」
少女は儂の名前を聞いて笑っていた。
その何とも怪しげな笑いがとても愛らしい姿だった。
「くすくすくす、そうか。其方がこの国の王子だったか、それは悪かったのう。ワシの名は……イ……あ、アンじゃ。アンと呼ぶがよい」
この少女はこの時、儂が王子と知っても態度を変える様子はなかった。
儂はそんなアンを巫女か何かかと思った。
「そうか、アン。余は其方が気に入った。将来余の嫁にしてやろう、光栄に思うのだな」
「はぁ? ワシを嫁にじゃと……百年早いわい」
そう言いながらアンは儂を見て笑っていた。
儂は胸にこみ上げてくる甘酸っぱい気持ちを初めて感じた。
今考えると、あれが初恋だったのかもしれない。
だが、儂はその後彼女をいくら探しても、出会う事は出来なかった。
あれは儂の若き日に見た幻だったのだろうか……。
「う……ううむ、どうやら知らぬ間に微睡んでしまっておったようだな」
儂は城に満ちる妖気に気も付かず眠っていたようだ。
様子がおかしい。
儂の周りには世話する家来がいるはずなのだが、誰一人として姿が見えない。
「誰か! 誰かおらぬか!?」
しかし返事は無かった。
儂は動けぬ体でどうにか上半身だけを起こし、その場にいた。
その時、ふすまの前でパキィインというぎやまんを砕いたような音が聞こえた。
「ホンド坊! 無事か!」
「あ……あ、あ……アン……何故アンがここに? それも姿があの時のままではないか」
「久しいな、ホンド坊。この姿で会うのは数十年ぶりじゃな」
そう言うとアンは姿を変えた。
そこにいたのは、儂の忠臣だった女の術師だった。
「ど、どういう事だ。まさかアンが術師?」
「そうじゃ、ワシの本当の姿は龍神イオリ。其方のよく知るあのイオリじゃ」
なんという事だ。
儂がずっと恋焦がれていたのは、いつも儂の覇業を支えてくれた龍神イオリ様だったのか。
「ホンド坊よ、この城はマデンに乗っ取られておる」
「マデンだと! 何故父からの忠臣であったマデンが!?」
「マデンは魔の者。其方はずっと騙されておったのじゃ」
なんという事だ。
儂は今までずっとマデンに騙されていたというのか。
「其方に呪いをかけたのもマデンじゃ。あやつは其方亡き後、この国を乗っ取ろうとしておったのじゃ」
不覚だ。
今まで信じていたものが敵だったとは。
「エリア嬢。ワシの呪いを解いたように、ホンド坊の呪いを解く事も出来るかのう?」
エリアと呼ばれた娘は儂の体に触れ、その不思議な力を見せてくれた。
「聖なる力よ、目の前の呪いに蝕まれた者の呪いを解く力を我に与えたまえ……レザレクション!!」
凄い力だ。
エリアという娘の力は、儂の弱った体に活力を与えてくれた。
不思議だ、この光を浴びると……儂の体の痛みが消えてきた。
「ホンド坊、無事かえ?」
「イオリ様。……お懐かしゅうございます」
「なんじゃ、いきなりどうした?」
「藤の木の事、覚えておられますか?」
イオリ様が再びアンの姿に戻った。
「フフフ、すまぬのう。其方の嫁には、なってやれんかったのう」
「いいえ、とてもいい夢を見させていただきました」
儂は深々と頭を下げた。
「イオリ様。マデンは今どこにいるか、ご存じでしょうか?」
「マデンは、ユカ坊が今二の丸で戦っておるわい」
「二の丸か……イオリ様、お願いがあります」
「何じゃ?」
「儂を……天守閣に連れて行ってくだされ」