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屋烏の愛  作者: みなきら
愛、屋烏に及ぶ
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鬼火、彷徨う

 鍾乳石へ一滴、一滴と水が滴る。


 根の堅洲国よりさらに奥、(くら)い洞穴の中を進んだ先にある黄泉の国は、高天原との戦いの爪痕を残しながらも、徐々に平常を取り戻しつつあった。


 一方、雅は「渾沌の地の古の神」とやらを神憑りして以降、この一週間余りは養生せざる得ず、身体は思うように動かず面映ゆい思いをしていた。


 そんな雅を昏々とした眠りの中で夢を見ていた。


 月もない闇夜――。


 生ぬるいまとわりつくような空気――。


 燭台は油が切れたのか真っ暗で、僅かな殺気を感じて、手探りで枕元の刀に手を伸ばす。


 この次に起こることが分かる。


 遣戸が音を立てて、勢いよく開き、一方、自分は押し入ってきた賊から守るようにして琴子を後ろに隠す。


 几帳が引き倒され、燭台か倒れる。


 真っ暗な中、闇雲に太刀を振るう相手に対して、細い刀での応戦は分が悪く、雅は徐々に追い詰められる。


 ああ、またこの夢だ――。


 自分を庇うようにして両腕を広げた琴子が、飛び出してくる。


 そして、目の前で袈裟斬りに斬られ、腕の中へと斃れ伏す。


 物音を聞き付けてやってきた右近の、持ち込んだ火の光と悲鳴に、琴子の返り血を浴びた黒装束の男と一瞬だけ目が合う。その目に覚えがあり、「何故」と雅が問う。


 しかし、雅の狙いを澄ました一突きは、賊の胸に深々と刺さり「さあな」と言う言葉と共に、殺気に溢れていた瞳は虚ろなものに変わり、やや遅れてどうと倒れる。


 傍らにはぬるりと温かな血を流した琴子がいて、息が上手く吸えずに喘いでいて、今際の際に自分を探す。


 震える手で琴子の手を取り、氷のようなそれを自らの頬に当てれば、安心したのか目を閉じて、そのまま事切れる。


 何度も繰り返し見た夢――。


 右近の姫様と泣きながら、這い寄ってくる声と、邸の者達がバタバタと足音を立てて近付いてくる音がする。雅は冷たくなっていく琴子を抱き締めて、慟哭する。


 もう、見たくない。これが、夢だと分かっている。


 だから、もう、覚めて欲しい――。


 しかし、抱き締めていた琴子は、いつの間にか胸元を真っ赤に染めた加代子の姿に変わる。そして、その赤は広がり続け、やがて自らの身の周りも埋めつくし、(くら)く底なし沼のような世界に引きずり込まれる。


 見えるのは黒鋼(くろはがね)の鱗と赤い瞳で、龍とも大蛇とも思えるそれは、赤黒い水の中に潜み、より深く、より水底へと雅を引き摺り込んでいく。


 いつしか抗う事も忘れて、赤黒い水に身を委ねれば数え歌が聞こえてきた。


 () () () () 五六七八(いむなや) 九十百千万(こともちろ) 億兆(らね)


 秘せよ 秘せよ 〇九十(まこと)の名

 破れば 大蛇 いでにける


 和 差 積 商 ()とすれば

 閉ざされし 岩戸 今 開かれん


 不思議と数字と言葉が入り交じり、頭の中で鳴り響き、やがてひとつのイメージに収斂(しゅうれん)していく。


 赤黒い水の水底に降り立つと、先程の磨かれて黒曜石のような鱗の龍が塒を巻いて、瑠璃色の輝く宝玉を護っている。


 しかし、よく見れば、その身体は傷付き、流れた血が辺りを濁らせているのだと分かった。


 赤い双眸と目が合う。すると、大人しくしていた大蛇は塒を解き、鎌首を擡げてこちらに近付いてくる。


《待っておったぞ・・・・・・。》


 雅は頭に響く地響きのような声に目を見開く。


《約束の時は満ちた。》


 雅が「約束?」と呟けば、大蛇は「今こそ《大峠》の時」と返してくる。


地鎮(とこしずめ)の神、時護る神よ。今こそ、封印せし、御力を解き放たれよ――。》


 雅はそこまで聞くと、がばりと起き上がった。心臓が早鐘のように打っている。


(今の夢はなんだ――?)


 蛇の血生臭い息遣いさえ感じるほどのリアルさに、全身、鳥肌が立ち、身体の震えが止まらない。


「お目覚めでございますか――?」


 静かに尋ねてくる凛の声に、帷越しに短く「ああ」と応えれば、緊張した声色で「お湯と替えのお召し物をお持ちしました」と言われる。中に入ってきた凛は雅の顔色を見ると、心配そうな表情になった。


「まだお顔色が芳しくないですね。」


 固く絞られた手拭いを貰い、顔を温めると少しだが、さっきまでの言い様のない不安は治まっていく。


「加代子さんから何か連絡はありましたか?」


 雅がそう訊ねると、凛は言いにくそうに小笹より「姫様は(つつが)無いものの、贈り物は手ずからお渡しした方がよろしいでしょう」と言われた事を話した。


「なるほど、それで加代子さんの《気》が追えないのか。」

「一体、何を贈られたのです?」

「指輪を一つ。」


 それを聞くと凛も苦笑する。


「少しでも早く渡したかったのですが、呆れられてしまったようですね。他に目移りなどされぬよう、形あるもので縛っておきたかったのですが・・・・・・。」


 凛はふふっと笑うと「それなら、尚更、直接お渡し頂いた方がよろしいかと」と話す。


 持ってきたお湯を使って雅が身体を清めている合間に、凛は替えの服を準備しながら、加代子と火産霊神が接触した事や四十九日法要にて言祝ぎをして邪を祓った事、それから、ようやく《神力》を使っている事を自覚した様子な事を話した。


「法要の際に兄君が火産霊神の憑坐となり、その後、正式に眷属になられたとか。」


 その言葉に小袖を着流し、羽織に手をかけていた雅の手が止まる。


「《加代子さん》のお兄さんなら、人間でしょうに。火産霊神は人の子を眷属になさったのですか?」

「そのようでございます。」


 雅は「それはまた、加代子さんの規格外は血筋なんですかね」と苦笑いした。凛もくすりと笑うと「本当に」と相槌を打つ。それから、雅は「寝汗をかなりかいていたから、お湯を持ってきてくれて助かった」と話して、凛にお礼をした。


 身体を清めてさっぱりした事や、加代子の様子が分かり気も紛れた事もあり、顔色は相変わらずだったが、雅の雰囲気はかなり和やかなものに変わっている。


「最近、立て続けにご無理をなさっているのです。この機会にごゆるりとなさり、ご自愛くださいませ。」

「ああ、そうだね。そうさせてもらうよ。」


 雅がにこやかに答えると凛は少し安心したのか、使い終わった盥と、雅の脱いだ衣を手にすして部屋を出ていく。一方の雅は、凛が立ち去ったのを見届けると、のろのろと現し世を映す大鏡の前に立った。


 映し出されたのは加代子と約束を交わした東京タワーの特別展望室の上だ。


 辺りは東京の夜景が映り、まるで地に広がる天の川のように見えて、この一つ一つに人の営みがあると思えば、不思議と愛おしさが胸に広がった。


 この地にもはや加代子の姿は見られぬと分かっていても、つい眺めてしまうのは、自分の知る世界(それ)と彼女の愛する世界(それ)のどこが違っているのか、正解のない間違い探しをしたいのかもしれない。


《世界が私たちを排除するとして――。もう一度、受け入れて貰えるようにする方法はないの?》


 雅の頭の中では、加代子の言葉がリフレインし、静かに渦巻いていた。


 天照大神率いる高天原と、大己貴命が率いた出雲一族は袂を分かって久しい。もう一度受け入れてもらうなど、普通に考えれば絶望的だ。


 それでもその方法を模索してしまうのは、彼女への償いの心ゆえだった。


 あれが《必然》な事だったとは分かっていても、渋谷駅前で加代子が刺される瞬間を思い起こすと、胸が張り裂けんばかりの後悔の念に苛まれる。しかし、その一方で、彼女の魂を自分の手の内にした時の、あの例えようのない高揚感も思い出される。


 自分を「雅」と呼ぶ桜桃のような唇――。


 崩れ落ちた彼女の肉から離れる、この美しい星のような瑠璃色の魂――。


 あの魂を手にした瞬間に感じたのは「悲しみ」ではなく「喜び」で、許されるならそのまま喰らってしまいたいような心地になっていた。そして、今は、あの時そう感じた事が何より恐ろしい。


 雅は再び気分が悪くなって、御帳台に横になると、うつらうつらとする。


 まぶたの重みに眠ってしまいそうになるものの、「もう眠りたくなどない」という心地が頭を(もた)げる。


 眠れば、また、哀しい夢を見る。


 あの悪しき夢を――。


 しかし、襲い来る睡魔には適わず、雅は意識を手放す。そして、静かに眠りに落ちた。

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