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屋烏の愛  作者: みなきら
愛、屋烏に及ぶ
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業火、迫る

 鳥居を抜けた先、すなわち、日枝神社は、江戸の鎮守の神社だ。江戸城の裏鬼門を護るため、徳川幕府歴代将軍から崇敬を受け、江戸の庶民からは「山王さん」と呼び親しまれてきた神社で、今は皇居に位置する龍穴を守護し、国会議事堂をそのお膝元に置く。


 柊吾と火産霊神はその神社の境内を、雲に乗せられ進んでいた。飛びいく景色はちょうどドローンを飛ばした時の映像のようで、雲に乗せられたまま拝殿に進んだ。


「到着ッ!」

「大山咋神、お主、ちと好き勝手し過ぎではないか?」


 いつも愛宕神社で勝手をしている火産霊神がツッコミをいれるくらい、日枝神社ら大山咋神はのびのびとしている。拝殿内は東京大神宮と大きく雰囲気を異にしていて、妙にガランとしていた。


「伊邪那美命は先の件でお忙しい。足仲彦は元よりこうした事は好まぬし、叔母上か博雅でも来ねば出てこまい。」


 それゆえ、大山咋神が一人で今は悠々自適に、この地を庇護していると言う。


 みずらには結っていないものの、大山咋神は十五、六といった見た目の少年で、火産霊神と二人で和気藹々と話している様子は、まるで仲の良い兄弟が悪戯事を考えているかのように愉しげに見えた。


「この社には国常立尊も祀られているのでしょう?」


 柊吾が訊ねれば、二人は顔を見合わせ、それから拝殿の真ん中に置かれた水晶玉を見る。


「国常立尊は幽世の神ぞ。ここにはその入口と繋がるという水晶玉は安置されておるが、国常立尊と繋がったとは聞いたことがない。」


 日枝神社は江戸の街を設計した天海の目論見もあって、幽世の国常立尊、黄泉の伊邪那美命、葦原中国の足仲彦、そして、国津神の代表として大山咋神を祀っている。


「本来ならこの地に大年神(父上)を祀る構想もしたようだが、江戸城の守護(本来の目的)を考えた結果、我くらいがちょうど良かったのであろう。」


 やがて再び高天原の力が強まり、時は明治に移ると、天照大神らは芝大明神を拠点とし、江戸城跡に皇居を置いた。そして、街が地震と戦で焦土と化すと、万全の守りをするために東京大神宮を飯田橋へ遷宮したのだという。


「いまやこの江戸の地の龍穴は籠目に完全に覆われておる。それゆえ、国常立尊の神は御神体としてこの水晶玉が祀られていても、そう簡単には出ては来られぬであろう。」

「では、ご挨拶は出来ないのでは?」

「こういうのは形だ。なあ、火産霊神?」

「そうじゃの、礼を失するわけには行くまい。」


 そう言うと大山咋神と火産霊神はその場に片膝を折る。柊吾もそれに続けて腰を下ろす。そして二柱が各々、それぞれ淡い緑色の光と橙色の光を手に宿し、その光を水晶玉に献上し、大山咋神は「畏み、畏み、物申す」と静かに唱え始める。


「よし、自己紹介として名前を名乗るが良い。」


 大山咋神が言うと「ここは別に字名でなくとも良いぞ、形ばかりだからな」と火産霊神が言う。柊吾は悪戯っ子のような二人組に「何で休みを潰してまで付き合っているのだろう、いや、でも両方とも神様だしな」と思いながら、頭を下げる。


「火産霊神の神使となりました、島崎 柊吾と申します。本日はご挨拶に参りました。」


 次の瞬間、水晶玉は淡く虹色に光り、辺りは不意に真っ白な光に包まれる。


 大山咋神が「なんだッ?!」と慌てる横で、急に虚ろな表情で火産霊神が立ち上がり、柊吾を見ると「我を呼ぶは()そ?」と口にした。


 吸い込まれるようにふらふらと火産霊神は虹色に輝く水晶玉に近づくと、それを手にして国常立尊の場所に鎮座する。そして、ゆっくり辺りを見渡すと「そこに坐わすは大山咋神か?」と訊ねた。


 驚いて固まっていた大山咋神は、火産霊神から発せられる溢れんばかりの神々しさに畏れをなして慌てて居住まいを整えるとその場に伏せた。


「渾沌の地の古の神よ、ようこそいらっしゃいました。此度は(ぬさ)も用意せで――。」


 そう言いながら、すっと右手を伸ばして、美しい楓の枝をひと枝生み出し献上する。


「代わりにこちらをお納めくださいませ。」


 すると、国常立尊は「何、構わぬ」と言うから、大山咋神はほっとしたような顔になる。そして、今度は態度も改めて「此度はこちらにおります火産霊神が神使がご挨拶したいとのことでお呼び致しました」と話す。


 国常立尊は柊吾の姿に目を向けた。


 天照大神の時の比ではない。しかし、息苦しさはなく、むしろ、ただ仰ぎ見ていたいような心地にさせられる。


「お初に・・・・・・お目にかかります。火産霊神より受けた字名は熾久、現世での名は申し上げました通り、柊吾にございます。」


 大山咋神と同じように深々と頭を下げる。しかし、国常立尊は「お主と会うのは初めてではないぞ」と笑った。


「ああ、だが、そうか。人の子として生まれ変わったゆえ、私との関係は忘れてしまったのか?」


 国常立尊に手を翳されると、途端にぐらりと目の前が揺れて、様々な映像が次々と脈絡なく頭の中に流れてくる。


 暗闇で胸を一突きにされて抵抗も出来ずに斃れた瞬間。遠のく意識の中で過ぎったのは、見知らぬ男と加代子に似た女の姿。


 それから、再び映像が切り替わり、幸せそうにする二人の姿を見て、幸せを感じている自分と、先程の男を「君」と呼び、慕う自分。


 さらに遡ると、同じ男を「殿」と呼び、全国津々浦々、一緒になって行脚した日々。


 そして、目線が急に低くなり、辺り一面、火に囲まれる景色。


 そこでは、自分は一匹の小さな《鼠》だった。


 ◇


 辺り一面の火。


 柊吾は一匹の鼠として、必死に野を駆けていた。


 巣作りのために折れた鏑矢の矢羽根を咥えた所までは良かったが、気が付くと辺りは焦げ臭いがしていて、野を走り出した時にはかなり近くまで火の手が迫っていた。


 あるところは朽ちた木の下を潜り、あるところは茨の隙間を抜けて、それでも四方を火に囲まれると、流石に死の覚悟をして「ああ、何故、こんなものを持ってきたのだろう、どこかに打ち捨てて逃げれば、生き残れたかもしれないのに」と後悔する。


 しかし、その絶体絶命と思った瞬間、一方の草むらが剣で薙ぎ払われて「さあ、こちらにおいで」と呼ばれる。


 そこには同じように火に追われてやってきたのか顔を煤だらけにした男がいて、手を差し伸べられた。


「おや、お前が持っているのは鳴鏑の矢羽根かい? どうだ、それを私にくれやしないだろうか?」


 火の手が迫るのに呑気に交渉をしてくる男に業を煮やしてか、肩に乗った小さな野鼠が「急げ」とひと鳴きする。


「分かりましたって。でも、この子も助けてやらねば。」


 そう言って男は「チッチッ」と舌を鳴らして、「怖がらなくていい。己もお主と同じ身の上だ。早くしないと焼け死んでしまうぞ?」と優しく言うから、野鼠と貸した柊吾は男の手に乗った。


「よし、いい子だ。このまま、大人しくしておくれ。」


 そう言うと剣で草を薙ぎながら男は肩の野鼠の指示に従い、走っていく。


 内はほらほら、外はすぶすぶ――。


 柊吾はどうしてかその言葉が頭を過ぎると、やがて一人ひとりが屈んで進めるかどうかといったサイズの穴を探す。


 そして、自分の一族の棲む巣穴を見付けると、男の手のひらからするりと抜け出て、「こちらにお入りください。入口は狭いですが、中はかなり広い洞窟になっています。入口を閉じてしまえば助かります」と示した。


 しかし、男には言葉が通じぬようで「急にどうした?」と訊ねてくる。と、肩に乗っていた野鼠が自分の言う通りに奥に入っていくので、男は少し困ったような顔をしつつも「背に腹はかえられないな」と言って穴に入る事にしたようだった。


 それから「下準備をしてから入るから、お前も先にお入り」と言うと、近付いてくる火に向かって向かい逆走する。そして、何ヶ所かに分けて、軽い火傷を負いながら向かい火を付けてから、男は真っ暗な穴の中へにじり入ってきた。


 鼠の身の上だから正確なところは定かではない。それでも二、三メートルと言ったところだろうか、奥へ進めば、中は急に広くなっていた。


「悪いね、お邪魔するよ。」


 後ろから声がして見上げれば、男は胡座をかいて剣の柄を使って土を掘り、今、入ってきた穴を塞いで、火が吹き込まないようにする。


「これでダメなら、万策尽きたな。」


 明かりもないのに見えるのは鼠だからだろう。男は大量の汗をかき、肩で息をし、熱でぐったりとしている。


 すると、先程まで男の肩に乗っていた鼠だろう。彼の背中から肩へと駆け登り、切なそうな声でひと鳴きした。


「そんなに心配しないでください。《嫁が君》の貴女が待っていてくれるのです。きっと貴女の元に戻りますよ。もし生き残れたなら、一緒に逃げて下さいますか?」


 すると、その鼠は、男の首筋に頭を一度擦りつける。「それならば、必ず生きて戻らねばなりませんね。待っていてください」と大己貴命が独り言ちて、愛しそうに肩の鼠を撫でる。


「絶対に戻ります。ですから、安心してお目覚めなさい。あまり他の生き物の目を借りていたらご負担でしょう? 戻れたら、必ず攫いに行きますから。」


 だんだんと穴の中は暑くなり、サウナみたいになっていく。それでも、彼は笑みを保って耐えていた。


「さあ、早く戻って。」


 名残惜しそうにひと鳴きした鼠は肩から降りて一目散に逃げていき、男は他の鼠にも「もっと奥へお逃げ」と声をかけた。


 入り口近くにいた鼠達は自分を除き、奥へ奥へと去っていき、彼は再び湿り気のある土を掘り始めると凭れていたあたりにその土を塗りつけていった。


「こんなところで死んでたまるものか。」


 ギリリと歯噛みをして、一心不乱に入口から穴の中に火が入らないようにを守ろうとする。


 柊吾は男の姿に心打たれて、彼の近くでチュウと鳴いた。


「お前、さっきの・・・・・・。ここに残ったのか?」


 もう一度、チュウと鳴けば「お前のためにもここは守らねばな」と言う。それでも、一晩中となると彼も睡魔には耐えられなかったようで、火の勢いが落ち着いて泥の乾きが鈍くなった頃、すうすうと眠り始めた。


(我が君――。)


 静かに寝息を立てる男の名を思い出す。


 彼は「大己貴命」だ。


 鼠となった柊吾はその横をすり抜けると、熱で亀裂の入った土を掘って、小さな穴を空けて外へと出る。


 そこは真っ黒に染まった焦土と、同じく闇夜に浮かぶ満天の星空だった。


(助かった・・・・・・?)


 いや、まだだ。あのままでは、大己貴命は死んでしまう。そして、不意にぼうっと浮かび上がった薄紫色の光の玉が現れる。


(ああ、そうだ・・・・・・。)


 国常立尊の「思い出したか?」という声に、柊吾は「ええ」と答える。


「私は、あの時、貴方とお会いして《常世の比々羅木》の名を貰い、命を救ってくれた大己貴命の《神使》となる事をお約束した。」


 柊は火にくべられて魔除けとなる木。そして、永久の地を守護する常磐の木。


 柊吾は改めて頭を下げる。


「此度、火産霊神より《熾》の名を貰い、火産霊神の眷属としての力も手に致しました。」

「人魑魅まで、よく《(十九)》を上げたな。」


 国常立尊は言祝いでくれたが、柊吾の心中はすごく複雑だった。


 国常立尊に記憶の蓋を開けられて、「柊吾」としての幼い頃の記憶も次々と思い出した。


 自分が加代子に過保護になったのは、加代子がよくそれと知らずに、悪しき者に狙われる事が多かったからであったのに。


 父や母には見えぬらしい黒い靄のようなものや、異形の者が近づいてくる度に、道を変え迷子になりかけながらも家に連れて帰った事が何度もあった事を何故かすっかりと忘れていた。


「良いのだ。人は忘れてこそ、新しい力を手にし、立ち上がれる生き物ぞ。神々と同じように、いつまでも忘れられねば、苦しみ続けるであろう?」


 国常立尊が「かつての大己貴命や須勢理毘売のように」と言えば、柊吾も頷く。


「本来なら大己貴命を生まれ変わらせ、全て片付く予定であったのだが・・・・・・。」

「高天原が大己貴命の魂の転生を留めたのですか?」

「左様――。」


 彬久と琴姫の魂は輪廻の輪に乗せられたものの、雅信のは本人の意思と高天原の思惑が合致してしまった。


「龍の宝珠は精錬されたが、淤加美神も大己貴命も今は哀しみに過ぎている。このままでは《大峠》が来てしまう。」

「《大峠》にございますか?」

「ああ、そうだ――。真冬に桜の咲くような、真夏に雪の降るような天変地異に始まり、やがて大地は大きく揺れ、山は火を噴き、川は洪水を、海は津波を引き起こそう。」


 その度に人々は惑い、自然を畏れ、神の言葉を望む。


「八岐大蛇が真に目覚めて《大峠》が来れば、生きとし生ける者の全ては、風に審神者(さにわ)される事になる。」


 それを聞くと「例外はないのですね?」と柊吾は訊ねる。


「ああ、無い――。高天原は落ち、葦原中国は崩れ、心の太柱は礎から崩れ、伊邪那美命の手を離れた八雷神と黄泉軍が疫病となって三千世界を跋扈しよう。残せぬと判断すれば天津神であろうと国津神であろうと例外はない。」


 それまで火産霊神を介して語られる話を、静かに聞いていた大山咋神は「《大峠》自体を回避する方法はないのですか?」と訊ねる。


「一つだけ、残されている――。」

「それは?」

「完全に心の太柱が壊れる前に、幽世への鍵を持つ扉の開き手を連れて来るが良い。」


 国常立尊は「さすれば、道は開かれん」と話す。そして、途端に火産霊神から水晶玉へと虹色の光が戻っていき、ぐらりと揺れて前のめりに倒れてくる。柊吾はその小さな身体を咄嗟に支えた。


 小さな肩は上下し、顔色が酷く悪い。心配していると大山咋神が「しばらくお主が手を握っておけば、お主に渡した自らの気を取り込もう」と話す。確かに頭を撫でてやれば、少しずつ穏やかな表情になっていくようだった。


「それにしても国常立尊への御挨拶が、よもや御神託になるとは思わなんだ。あの厳重な籠目を破って出ていらっしゃるとは思わなかった。」

「やはり、この事態は予定外だったのですね。」

「ああ。本当なら水晶玉に挨拶してもらってお茶でもしながら、お主が何者なのか探ろうかと思っていたのだが・・・・・・。」

「自分が何者なのかを――?」

「火産霊神がお主を心配していてな。」


 大山咋神の言葉に柊吾は国常立尊に見せられた数々を簡単に話す。すると、目を見開いた大山咋神は「素戔嗚尊(おじい様)には我よりもう少し掻い摘んでお伝えよう」と話した。それから首飾りから勾玉を一つ抜き取ると「これを」と柊吾に下賜する。


「これは?」

「我の護りの珠だ。我が神体は、あの日、お主が迫り来る火から守った鏑矢。我が身の内に宿るは、素戔嗚尊の須勢理毘売命を護らんとする心と、大己貴命の須勢理毘売命を護らんとする心が一つになったもの。その勾玉に願う時、それは破魔の矢に変ずる。急場凌ぎにはなろう。」


 大山咋神は「いざとなれば国常立尊の力で守護し、火産霊神の力と我が力を使い攻撃に出よ」と話す。柊吾はひとつ頷くと火産霊神を抱えて「有難く頂戴致します」と話した。

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