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屋烏の愛  作者: みなきら
愛、屋烏に及ぶ
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積み木崩し

 高皇産霊神が新たな天疎向津媛命を立てようとしている。


 その話に加代子達が黙り込むと、いつから控えていたのか紫苑が「失礼致します」と声を掛けてきた。


「橋姫をお連れ致しました――。」


 加代子が凛に促せば、紫苑に続けて橋姫が姿を現す。その姿は淤加美神と同じように美しい銀髪で、群青の小袿に垂らした姿はまるで白滝が流れるよう、袖口から見える指先は日に透けるような氷柱のような白い肌だったから、思わずため息が出た。


 加代子が見蕩れていると凛が心配そうに「姫様」と囁く。しかし、橋姫からは今まで会った時のような禍々しさはなかったから、加代子は凛に「大丈夫」と目配せした。


「ようこそいらっしゃいました。こちらにお呼び立てしてしまい、申し訳ございません。」


 加代子が挨拶すれば、橋姫も「こちらこそ我を失うていたとはいえ、数多(あまた)の非礼、申し訳ございませぬ。」と謝罪する。


「先程、お待ちする間に耳にしてしまいましたが、貴女がかの龍(・)の(・)珠(・)姫(・)でいらっしゃったとは・・・・・・。」


 他の者にとっては先程までの天疎向津媛命の話を受けての発言にしか聞こえないものの、薄く笑う橋姫の様子に、加代子はそこに含みを感じて顔を強ばらせた。


 橋姫は淤加美神と須勢理毘売命の関係や、亨と自分の関係を一体どこまで知っているのだろう――。


 それは聞いてみないと分からないものの、ただ今の短い会話で分かったのは、橋姫は罔象女神の言うように「意気消沈」をしているわけではないと分かっただけで満足だった。


「お加減はいかがですか?」

「お陰様で心穏やかに過ごさせていただいております。先日はお見舞い下さいましたのに、夢現の心地で失礼いたしました。」


 橋姫が加代子に対するのに比べてかなり愛想よく罔象女神と話すと、違いに気が付いた凛が眉間に皺を寄せる。一方、橋姫は「闇に惑うて神使が神を害するなどという大逆、この魂を消されて然るべきなのにご恩赦下さいました事、心より御礼申し上げます」と頭を下げた。


 すると、罔象女神がふふっと笑い、「だ、そうですよ、須勢理毘売」と言う。橋姫は不思議そうに罔象女神を見た。


「橋姫。確かに貴女の穢れを払う水を与えたのは私ですが、その私を言祝いだのは須勢理毘売です。そして、貴女に恩赦を与えたのも同じ。」


 すると、橋姫は目を丸くして、それから、加代子をじいっと見つめた。


「な、なんでしょう――?」


 加代子が問えば、橋姫に「なぜ、助けたのです?」と問われる。


「二度も貴女を弑そうとした身。助けられたご理由が分かりかねます。」


 「よもや同情か何かでしょうか」と橋姫が問えば、凛がプツンときたのか「控えよ」と声を荒らげた。


「凛。罔象女神の御前ですよ?」


 そう窘めれば、凛は苦虫を噛み潰したような表情で「失礼いたしました」と頭を下げる。それでも、加代子も一言言ってやりたくなったから「凛の失礼ついでに、罔象女神にお願いしたいことがございます」と話した。


「お願いしたいこと、ですか?」

「ええ、これからしばらくは《元人魑魅同士の喧嘩》と思って聞いて頂けますと幸いにございます。多少、言葉も乱れるでしょうが、どうぞご容赦くださいませ。」


 そして、加代子が「この事はどうぞ内密に」と話せば、罔象女神は「それは構いませぬよ」と笑った。


「されど、荒事となれば、殿方の耳にも入りましょう。」


 そして、罔象女神は「その際は中(・)立(・)の(・)立(・)場(・)に立つ」と言い、それでも差し支えないか聞いてくるから、加代子は「是」と答えた。


「橋姫もよろしくて?」

「相違ございません。」

「そう、では、お二人でどうぞ。」


 罔象女神の許可も降りると、加代子はにっこりとした。


「凛、そういう事だから決着が着くまでは口を挟まないで。」


 迎撃態勢を整えた加代子は、いつになく険しい表情で橋姫と対峙して「貴女を助けるつもりなんてサラサラないわ」と口火を切った。


「ただ、やられた分はやり返したから、それ以上は要らないと言っただけ。それとこれ以上、手を出さないでくれるならそれでいい。」


 もう自分のせいで雅が傷付く姿は見たくない。


「あと、亨にも貴方の元へは戻らないと伝えて。」

「《龍の珠姫》が、《龍》の元を離れると?」


 加代子は橋姫の問いに「ええ、こぼれた水は盆に還らない」とピシャリと言い切った。


「一昨年の春にね、彼は私に別れを告げたの。もう終わりにしよう、って。」


 それなのにどうしてここまで執着されるのか分かりかねると答えれば、橋姫はその話を聞くとそんな事は有り得ないと鼻で笑い一蹴した。


「龍の珠姫を心より求めておる主様を愚弄するか? 今でもうぬを探していらっしゃるほどなのに、自ら手放すなど有り得ぬ・・・・・・ッ!!」


 それは気の遠くなるような時間――。


 一千年以上前、未だ橋姫が鬼となる前に、橋姫は淤加美神から「鬼となりたくば」という言葉と共に龍の珠姫の話を聞かされたのだという。


 ◇


「主様にお会いした日は今でも忘れぬ――。」


 栗花落(つゆり)の頃、しとどに降る雨の中、恋しくも憎き心にその身を焦がし、その苦しさに精進潔斎をして、貴船の神に七日参りをしていた。


 橋姫が「生きながらに鬼として欲しい」と頼めば、最後の日、後ろから不意に「何と哀れな」と声をかけられて振り返る。そこには美しい銀髪の男が、烏帽子も付けずに髪を肩に流したまま立っていた。


「《生きながら鬼になりたい》と実(まこと)に思うておるのか?」


 紅玉のように赤い瞳に見つめられて、橋姫が「あの女を殺せるなら」と即答すれば男は悲しそうな顔をする。


「女を殺したとて、男の心にはその女の事が残ろう? まいて、相手が死して二度と会えぬとなれば、その記憶は焼き付き、決して覆ることは能わぬ。」


 そう話す声は静かな凪の海が打ち寄せるかのように穏やかでありながら、それでいて足元の砂をさらって深い淵に引き込んでしまうような危うさがあって、聞いていた橋姫は胸が塞がる思いがした。


「では、どうしたら良いとおっしゃるのですか・・・・・・?」


 迷い苦しみ、いっそ鬼になれたらと思って七日参りをしていたのだとほろほろと涙を零して訴えれば、「まだ泣けるのであれば、鬼となるのは思いとどまるが良い」と淋しげに笑って、その指で涙を拭ってくれる。


 その指先が触れて、雨に打たれている自分と違い、男の周りだけ雨が避けているのを見て、やはり彼が人ならぬ身だと知る。


「泣けなくなったら、鬼となれるのですか?」


 橋姫が問えば、男は「いいや、泣けねばも(・)の(・)と化すだけだ」と答えた。


 悲しみが過ぎれば心は防御反応で何も感じぬようになり、人は心虚ろなも(・)の(・)となる。それがやがて死せば《物の怪》となり、人を喰らう《魔縁の者》と化す。


「それは神とて同じ――。」


 この身に巣食うという八岐大蛇は、今まで作ってきた世界を、積み木を崩してしまうかのように、いとも簡単に壊われてしまうだろうと話した。


「今宵もこの世など、いっそ壊れてしまえば良いと思うて、宇治川へ向かうつもりだったのだが・・・・・・。」


 自分を呼ぶ声に貴船の社へと降り立てば、「生きながらに鬼にして欲しい」と嘆く女の姿があり、その嘆きが須勢理の心の内にあった嘆きに似ているように思えて不憫に思った。


「遠くよりお主の姿を見て、愛しき我が珠姫かと思うたのだ。」

「珠姫?」

「ああ、このような所にいるはずもないのに・・・・・・。」


 珠姫として淤加美神の邸で過ごしていた須勢理は、ある日、忽然と姿を消した。


 もちろん淤加美神とてその行方を探すため、三界に渡って白蛇を放ち探させたものの、玉依姫の邸近くでその痕跡は途絶え、それ以降の行方は杳として知れず、徒らに時が流れて今に至るという。


「珠姫の存在も、共に過ごした時も、今では幻だったのではないかと思うほどだ。」


 初めこそ、そう遠くには行っていまいと思っていたが、日が経つにつれて見つからぬ事に対する焦燥感と苛立ち、それから、なぜ目を離したのだろうという悔いが募ってきて、淤加美神は苛まれた。


「我とて我が愛した姫を奪ったこの世が憎い。彼の者の心を壊し、踏み躙る者はいっそう。しかし、愛しき分だけ憎しみが大きくなれば、心はやがて虚ろになり、そこに溜まりし思いはこの身を焼き尽くさんばかりの激情となる。」


 マグマ溜りに人知れずマグマが溜まるかのように、憎しみや恨み、悲しみは静かに心の虚ろに溜まっていく。


「泣けるうちはまだ良い。涙が苦しい思いを浚い浄めよう。」


 波が逆巻き滾る様に、涙は心の虚ろを洗い流していく。


「その苦しみから救われたければ、罔象女神を訪ね、その悲しみを呑み込んで貰え。」


 そう話すと現れた時と同じように消えようとするから、橋姫は頭(かぶり)を振った。


「救いなど要りませぬ――ッ!」


 前の世でどんな業を負ったのか、この世で贖罪し来世を願えと人は言う。輪廻の輪に還り、その先の約束されぬ次の世を思え、と――。


 されど、その考えを受け入れれば、これから先は人の笑いものになる人生が確実だ。


「御身も御仏と同じように紅(くれない)の涙を流して、この苦界を生きよと仰せですか?」


 橋姫が縋るようにして嘆けば、淤加美神は「我を祀らむ 宇治の橋姫」と呟いた。


「実(まこと)の鬼となりたくば、姿を変えて、宇治の河原に行き、三七日(みなのか)の間、川に浸かり禊するがよい。」

「禊を――?」

「ああ、それをしてもなお、鬼になりたいというならば、これも何かの縁(えにし)。お主を我が神使として迎えよう。」


 男は「しかし、黄泉の神の神使となるは業が深き事」と話す。


「我が神使となれば輪廻の輪には戻れぬ。されど、六根一筋に仕えるならば、お主を裏切ることはしまい――。」


 その姿は痛ましく、それでいて、神々しく、慈愛に満ちていた。


 ◇


 橋姫は話をし終えると、「主様の正体は龍(・)ぞ。その主様が只人のように心変わりなどするものか」と巻くし立て、加代子へと腕を伸ばす。


「姫様――ッ!」

「速(・)水(・)、そこまでです。」


 凛が声を上げて割って入るのと、罔象女神が橋姫を名前で縛るのはほぼ同時で、橋姫は加代子の腕を掴んだだけでそれ以上は動けなくなった。


 一方、加代子は橋姫に触れられた所から、橋姫の記憶の欠片が流れ込んできて、まるで雷に撃たれたかのように、目を見開いたまま打ち震えた。


 亨の仕草も、好み、ふとした表情――。


 途端に胸いっぱいに懐(・)か(・)し(・)さ(・)が溢れてくる。


 思い出してみれば「亨との出会いもインパクトがあったな」とか、「ああ、はにかむように笑う人だった」とか「ああ言えばこう言うと、喧嘩したっけ」と次々と思い出す。


 そして、亨の口調でスマートフォン越しに「もう終わりにしよう」と告げられて、凍り付いた日の事も思い出した。


「あの日はたまたま喧嘩をしてたの――。」


 加代子がぽつりと呟くように言えば、橋姫が眉根を寄せる。


 きっかけは本当に些細な事で、それが発展して「家族が大事なのか、自分が大事なのか選べ」と言われて心がささくれ立っていた。


《もう終わりにしよう・・・・・・。君といるのに疲れたんだ。》


 思い出せば、今でも心が軋む。胸が苦しくなって、加代子の眉間にも皺が寄る。


「別れを告げてきたのは、本当に亨(かれ)の方なのよ――。」


 自分を納得させるようにして口にしても、須勢理毘売命の記憶と、亨を好きだった頃の自分が「彼の言葉だとは信じられない」と話す。


 しかし、それを認めてしまえば、雅に後暗くて拳をきつく握りしめた。


「たとえ淤加美神が貴女の言うようだったとしても、私は彼の元へは戻りはしない。戻っても彼を傷つけるだけだから――。」


 橋姫の指摘するように「心変わりだ」と言われれば、確かにそうなのかもしれない。それでも加代子は亨と過ごした日々を思い出して、ひとつの答えが出た気がした。


 これは、もう恋(・)ではない――。


 名を縛られた橋姫は忌々しげに加代子を睨む。罔象女神は「橋姫、須勢理毘売は嘘を吐いていないわ」と言った。


「何故、そう言いきれるのです。」

「私は今、中(・)立(・)の(・)立(・)場(・)にいます。嘘を吐いていれば分かりますよ。」

「では、主様が本当にそんな事を言ったと、罔象女神も仰るのですか?」


 その問いには加代子が代わりに答えた。


「声は《亨》だったけど、《淤加美神》ではなかったのかもしれない。」


 これはひとつの推測でしかない。


「どういう意味だ?」

「運命の書に死亡日が記されて、あの頃は三年が経つところだった。」


 三年が経つ前に見つかったから、雅が見た際に《失踪者(LOST)》の表示は無くなっていたものの、恐らく淤加美神の元で三年が過ぎていれば、自分はもっと早く運命の書のルールから抜け出せていたらしい。


「誰かが淤加美神の神域から私を連れ出したがったんだと思う。」

「では、主様を騙った者がいると?」

「ええ、可能性はあるわ。私は今、高皇産霊神に狙われているから。」


 天疎向津媛命として――。


「ねえ、宇治の橋姫、私を憎み、嫌っても構わない。けれど、どうか淤加美神を助けてあげて欲しいの。」


 加代子が「彼が幸せであるように」と言えば、橋姫は臆面もなく面と向かって加代子に「やはり妾はうぬが嫌いだ」と言った。

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