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屋烏の愛  作者: みなきら
愛、屋烏に及ぶ
30/34

籠目の封印

 柊吾が勤め先のビルを出た頃には、とっぷりと日が暮れていた。とはいえ、煌々と輝るオフィスビルの狭間にあっては、外が梅雨入り直前の重苦しい曇天でもあまり気にする事なく、日比谷駅へと向かった。


 そして、それが仇になったと思ったのは地下鉄の階段を降りた時だ。


(またか・・・・・・。)


 火産霊神に加護を受けてから、こうした不思議な経験が頻発している。特に今日は著しく、辺りは春の景色に包まれていた。


「おお、本当に来た。」


 聞き覚えのある声を頼りに邸の中を覗けば、少彦名命と何やらつり目の男と彫りの深い男が三人で酒を交わしている。


「ようこそ、火産霊神の御神使い殿。ここは常春の庭にございます。」


 妙に物腰丁寧に挨拶されるから、柊吾も「火産霊神が眷属の熾久と申します」と答える。一方で彫りの深い男は自分を見るなり、口をパクパクとさせた。少彦名命は酒に酔っているのか、「そんな堅苦しい挨拶はいいから、早く上がってきて一杯やろう」と言って手招く。


 柊吾は、念の為、辺りを見回したものの、もちろん先程までいた日比谷駅には到底戻れそうになかったから、諦めて邸に入った。


「少彦名命の御酒は、実に美味しいですよ。」

「ああ、酒は百薬の長だしな。醸せばとても味わい深く、心地よい気持ちにさせてくれるぞ。」


 そう言いながら楽しげに手招きする少彦名命の様子に、見た目が青少年なんだからそのまま下界に降りたら、補導されそうなと柊吾は苦笑した。


「では、ご相伴に預からせて頂きます。」


 靴を脱ぎ、邸の中へと踏み入れば、辺りは木の香りに包まれていて、軒に下げられた吊灯篭の光が時々春風に揺らめく。


「もっと、近う。今の世に身分などあってないようなものだろう?」

「ですが、元の私は・・・・・・。」

「今は人魑魅で、火産霊神の御神使いだ。それに俺の本性もお主は知っているであろう?」


 少彦名命は「お前にお願いもあるんだ。気にするな」というから「お言葉に甘えて」と少彦名命の隣に腰を下ろした。


 愛宕の社で会った時は火産霊神の事と、加代子の事で手いっぱいで、この酒ともに現れた神と挨拶もそこそこにしていたが、自らの過去を思い出す中で、彼が()()()()、その人だと思い出していた。


「先日はご挨拶もしっかり出来ず、申し訳ございませんでした。少彦名命までお戻りになっていらしたのですね。」


 すると、ずっと睨むようにこちらを見ていた彫りの深い男が、突然、素っ頓狂に「あーッ!!」と言ってその場に立ち上がった。


「どこかで見たと思えば、彬久ではないかッ!! なぜお主、そんな格好をしているッ!!」


 話の腰を折り立ち上がった男は高身長で、狐目の男に「どうなってる、晴明ッ?!」と騒ぎ出す。晴明と呼ばれた男は「博雅、まあ呑め」と酒の続きを勧めた。


「晴明、お主、また俺を化かすつもりか?」

「化かしなどしなくても、お前は驚くだろう?」


 そう言ってくつくつと笑い「我らは気にせずにお話を続けてください。三人で積もる話もおありでしょう?」と先を促す。


 柊吾が「三人?」と思って振り返れば、庇のところに黒髪の男が立っていて、しばらく言葉なく立ち尽くしていた。


「彬・・・・・・久・・・・・・?」


 目を丸くして固まっている雅を見ると、柊吾も驚き、それから胸の奥が熱くなるのを感じた。


「左様にございます、吾が君。」


 まるで幽霊でも見たかのように、驚いた表情で雅がふらふらと中に入ってくる。少彦名命は「おお、驚いておる、驚いておる」と、実に楽しげに笑った。


 少彦名命が少し場を開け、雅がその場に腰を下ろす。柊吾は雅に改めて頭を下げると、「火産霊神と大山咋神、それと少彦名命にも加護と《熾久》の名を頂きました」と話した。


「加代子・・・・・・、それに琴姫をお守りしきれず申し訳ございません。」

「いや、琴子を守れなかったのも、加代子さんを守れなかったのも、私のせいですから、彬久のせいではないですよ?」


 そう言いながら、少彦名命に杯を勧められるまま、くいっと煽るように酒を口する。そして、鼻に抜ける果実の良い香りに目を細めた。


「ああ、変わらず貴方の造るお酒は美味しいですね。」

「そうだろう? 今は大山咋神の酒も色々増えたみたいだしな。この姿だとなかなか買えぬから、作られた酒を試すには難儀しているが、作るのは果物がいくつかと酵母があれば何とでもなるッ!」


 それを聞きながら雅はさらりと「現世でやると酒税法に引っかかりますから気をつけてくださいね」と釘を刺す。


「な、なんだってッ?!」

「飲めるのは二十歳から、作るのは国の許可が入りますから。」


 梅酒など例外もありますけどと伝えると「それでは画期的な酒は生まれぬではないか」と悩み出す。雅はその姿を見ながら「存在意義を問われますよね?」と笑った。


(ああ、この方だ・・・・・・。)


 一気に流れ込んできた記憶の中で誰よりも大きく、自分の命を賭しても救いたいと願った存在。これは「心酔」と言ってもいいのではないかと思う。


 柊吾も少彦名命から受けた杯を煽るようにして一気に空ける。どうして彼の事を今まで忘れられていたのだろう。彼の御神使いであることは自分にとっての勲章のようなものだったのに。


 各々、一杯ずつ煽ったせいか、互いに心持ち落ち着いて、雅は「彬久と呼ぶより、少彦名命も分かる熾久で呼びましょう」という。


「それで少彦名命、熾久をここに呼んだのは加代子さんの件ですか?」

「ああ、どうやって逃がそうかと思ってな。」


 少彦名命は「もうすぐ水無月になる」と言い、「このままでは罔象女神の結界が破られるのは時間の問題」と言う。


「根の堅洲国も危なかろうし、神皇産霊神か八嶋士奴美神、月読命を頼るのが良いかと思うたのだがどうだ?」


 しかし、雅は「そう考えるのが、妥当でしょうね」と言葉を濁す。


 高天原、葦原中国、根の堅洲国、黄泉の国と居られぬなら、夜の食国に行くのが妥当だ。


「しかし、そのあたりは高皇産霊神らも考える事でしょう。」


 加代子に聞いた話を鑑みるに、下手に夜の食国や根の堅洲国に逃げ込めば、黄泉の国同様、武力を持って攻め込まれる可能性が高い。


「一方、ここは高天原。だからこそ、高皇産霊神も表立って軍は使わずに橋姫や雉子で対処してきたとも考えられます。」

「ふむ、では、いかがする?」


 加代子から聞いた話が真実なら、当初と違いあまり悠長な事は言っていられない。


「葦原中国に逃げ込もうかと思います。」


 雅が「灯台もと暗しと言うでしょう」と言えば、少彦名命は「また突飛なことを言い出す」と呆れる。


「突飛なことでもないですよ? ここにはいざと言う時に身代わりになる《雛人形》を広めた貴方がいて、式神ならエキスパートの晴明もいるでしょう?」


 それを聞いていた柊吾も「よもや国常立尊が私を人に変じたように、人形(ひとがた)を使うのですか?」と訊ねる。


「ええ、おっしゃる通りです。かなり神威を封じる事にはなりますが、半年ほど振り切れば、向こうもこちらを追い掛けにくくはなりましょう。」


 そう言うと雅は表情を固くして「何としても高皇産霊神から逃げ切り、大物主神に会わねばなりませんし」と言う。


「大物主神に?」

「ええ、高皇産霊神を封じねば、加代子さん、いえ、須勢理毘売命は再び葉木国野尊を呼び起こす神籬として消されてしまいます。」


 それには少彦名命だけでなく、柊吾も言葉を失う。一方、話を聞いていた晴明は「高皇産霊神は須勢理毘売命を新たな天疎向津媛命とするおつもりか」と静かに呟いた。


「ええ、そのようです。」


 一緒に話を聞いていた博雅は「天疎向津媛命とはなんだ?」と訊ねる。晴明は「心の太柱は分かるか?」と博雅に問うた。


「おう、高天原を支える柱だろう? さすがにそれくらいは知っているぞ?」

「では、それが、年々、細く消えかけている事は?」

「何?! そうなのか?!」


 急にオロオロし始めた博雅は「だ、だが、それと琴姫がどう繋がるのだ?」と訊ねる。晴明は少し表情を険しくすると、「高皇産霊神は心の太柱の人柱として須勢理毘売命を人身御供にしようとしているのだ」と話した。


「天疎向津媛命とは、かつてその膨大な霊力に目をつけられて、生きながらに賢木を撞かれた娘のこと。」


 最初に地に沈められた娘がどういった素性の者か、長い時の中で散逸してしまって、今には伝わっていないが、晴明らの生きていた一千年前はそれでも幾ばくかの逸話が残っていた。


「天疎向津媛命は祓戸大神を産んだ神と聞きます。」


 賢木を撞かれた娘は、その身から流れ出た涙や血で数多の川を生み、喘ぐ息で風を生み、苦しみもがき絶命したと伝えられ、そして、その娘の死を嘆き悲しんだ龍が八岐大蛇の姿に変わり果て、高天原や葦原中国を荒らしたと言う。


「で、では、琴姫がそのように扱われるというのか?」


 顔色を悪くして博雅が尋ねれば、晴明は黙りこむ。


「晴明、他に何か手立てはないのかッ?!」

「方法がないわけではないが・・・・・・。」


 晴明が言葉を濁せば、その言葉を引き取るようにして雅は「ですが、我らは()()をやるしかないでしょう」と静かに告げた。


「どのような方法なのだ?」

「龍穴の《籠目の封印》で解かれてしまった《桔梗の封印》を結び直すんです。」


 出雲、宇陀、三河、難波、そして、江戸。


 失敗すれば地盤の弱いところから、龍気が漏れ出る事で水害や大地震など災害が起こりかねないが、成功すれば新たな天疎向津媛命は不要になる。


「それをすれば天疎向津媛はいらないのか? では、なぜ高天原はそれをせぬ?」

()()()のではなくて、()()()()んですよ。」


 大己貴命が最初に施した宇陀の地を守る桔梗紋は、千年以上経った今も破られておらず、宇陀の龍穴を守っている。


「それを破ろうとしたのか淡路を中心に籠目を結ぼうとしたようですが、結界はうまく解けねば、呪詛返し同様、破ろうとしたものに返ります。」

「爆弾処理みたいですね・・・・・・。」


 柊吾の感想に雅が「ええ、おっしゃる通りです」とため息を吐く。


「しかも、江戸は様々な時代の様々な呪法で結界が施されていますから、解くのは禁厭(まじない)に通じている私や少彦名命、晴明でも簡単ではありません。」


 晴明は「ですが、なさるのでしょう?」と言えば「ええ」と答える。


「では、私めは難波に参りましょう。」


 晴明は「それであれば、この庭を維持していても、そこまで負担にはなりません」と話す。


「宇陀はどうする? あそこは大己貴命(おまえ)や俺では相手にされぬだろう?」

「そう思って、宇陀は罔象女神と橋姫にお願いしております。私が初めにかけた桔梗紋が働いていますから、あとは淤加美神を引っ張り出してきてくだされば何とかなりましょう。橋姫は淤加美神の眷属ですし、彼女とて主の大事とあらば協力せざるを得ないでしょう。」


 そして、素戔嗚尊に出雲を、八嶋士奴美神と天津甕星に三河を解いてもらい、自分と少彦名命で江戸の結界を解くと話す。


「だが、八嶋士奴美神には連絡がつくのか?」

「ええ、猿田彦神の邸にて、この後、会うつもりです。加代子さんの守りは熾久にお願いしようかと思います。」


 雅が柔らかな口調で「お願いしますね」と言えば、博雅を除く三人は頷く。博雅は困惑顔で「すまぬ、雅信よ。俺はどうしたらいいのだ?」と雅に訊ねた。


 春の夜は霞み、月は朧ろに輝く――。


 雅はにこりと笑うと「加代子さんの琴の指南役でも、もう少しお願いします」と言って、「今は一曲いかがですか?」と篠笛を差し出した。

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