浄火の儀
焼香の番が斎に回ってくる。「早う、早う」と横で騒ぐ火産霊神をそのままに、圭吾達に一礼して加代子の位牌にも一礼する。
(そう期待されても、聞こえない音域の音色ではそこまで破魔の結界は張れないんだけどな・・・・・・。)
そんな事を思いながら焼香をして、人に聞こえない音域で破魔の音色を響かせると、焼香の煙がゆらりとゆれ、香炉の中の香木からチカチカと火花が散った。
(んなッ?!)
「これ、音を止めるでない。続けぬか。」
火産霊神に叱られて、再び破魔の音色を鳴らせば、今度は人に見えざる浄化の火を伴って音色の波紋が広がり、黒い靄の濃い部分が一掃されていく。
火産霊神は「ふむ、だいぶ瘴気がうすまったようじゃの。そろそろ良いぞ? これなら入ってこれよう」と言うから、斎は眉根を寄せて怪訝そうな顔になった。
(入る・・・・・・?)
しかし、火産霊神はその問いには答えず、代わりに懐から、蝶の形に折り紙の要領で折った式符を取り出すとふっと息を吹きかけ空へと放つ。それは瑠璃色の羽根を持つ美しい蝶に変じ、不安定に揺れながら、家族の前まで行くと人の姿に転じた。
斎は思わず息を飲む。と、同時に柊吾がガタンッと音を立てて席を立った。
「柊吾、どうしたの?」
隣に座る祐子が声を掛ける。驚く柊吾のすぐ前には菖蒲色の小袿を着た加代子が半分透けた姿で佇んでいた。
加代子は柊吾の様子に驚きつつも困ったような泣きそうなような顔をする。そして、呆然と立っている柊吾の胸元に加代子は手を伸ばした。
「柊吾兄、少し身体を貸してね。」
金縛りにあったみたいに動けないでいる柊吾に、加代子はそう言うと、柊吾は泣きそうな顔で頷く。異常事態にいつの間にか読経も止まっている。加代子は柊吾の口を介してゆるゆると語り始めた。
「今日は皆様、こうしていらっしゃってくださりありがとうございます。私はもう痛くもないし、苦しくもない。誰かを怨んでもいないし、憎んでもいない。だから、どうぞ心を鎮めてください・・・・・・。」
祐子は「何、巫山戯ているの」と柊吾の袖を引くと、柊吾に触れて祐子にも加代子の姿が見えたのか絶句した。反対の手で思わず圭吾へ手を延ばす。圭吾もガタンッと席を立つと、祐子の肩を支えながらも、わなわなと肩を震わせた。
「な、何? どうしたの?」
真珠子が三人の様子に驚いて、恐る恐る柊吾に触れる。そして、「お姉ちゃん」と呟くとこちらも絶句した。
「私ね、幸せだった。今まで生み、育て、一緒に過ごしてくださり本当にありがとうございました。」
そして、「皆々様のこの先に、幸い、多からん事を」と祈り、加代子は淡い春の陽光のような優しい瑠璃色の光を帯びる。そして、それは波紋のようにして優しく光は広がっていく。
その幻想的な光景に、一部始終を見ていた斎は「ほう」と息を吐いた。先程まで渦巻いていた瘴気は解け消え、加代子の姿は再び一頭の蝶に変じ、ひらひらと火産霊神の手へと戻ってくる。
その後、口寄せをした柊吾はふらりと倒れ、一時は騒然としたが、七七日忌はよろよろとする柊吾を控えの間に運ぶと再び静かに続けられる事になった。
「何だったんだ、あれ・・・・・・。」
控え室で横になっていた柊吾は、今まであんな不思議体験をした事がなくて正直戸惑っていた。父や母、末の妹の反応だと三人も同じ情景を見ていただろう。
「《何》って《口寄せ》じゃろ?」
幼さの残る声がして、その声に辺りを見渡すがそれらしい人影はない。
「どこ見ているのじゃ?」
と、間近にオレンジ色の髪にオレンジ色の瞳の男の子のアップがあったから、柊吾は「うお」っと思い切り驚いた。
「おー、驚いとる、驚いとる。」
「それは誰でも驚くと思いますよ。」
悪戯が成功してケラケラと笑う少年に呆れつつ、部屋に入ってきたのは斎だ。
「あ、柊吾兄、気が付いた?」
その影からひょっこりと加代子も顔を覗かせる。柊吾は目を丸くする。
「んなッ?! 加代子ッ?!」
上から下、下から上へ何度もきょろきょろする柊吾に「柊吾兄、他の人には斎さんしか見えてないから声は控えめにね」と話す。
状況の飲み込めない柊吾に、加代子はオレンジ頭の水干姿の少年が「火産霊神」という愛宕神社の主祭神である事、斎は齢一千年以上の琵琶の付喪神である事を説明された。
「青山さんが付喪神・・・・・・。」
「なんじゃ、青山、青山と呼ばせておるのか?」
「真の名を知ってらっしゃるのは、私の正体を知っていらっしゃる方々くらいですよ?」
斎はこの不思議な少年と知り合いのようで、何の違和感もなく話している。確かに出で立ちは現代日本だとコスプレの状態だが、この年端も行かぬ少年が「神様」だと言われても柊吾にはピンとこなかった。
「でも、なんで兄を憑坐に指名したんです? てっきりお坊さんに言わせるんだと思っていたのに。」
「ん? 柊吾は我が氏子じゃからの。」
「氏子?」
それには加代子だけでなく柊吾も首を傾げる。
「日頃、我を祀り信心してくれておる。すでに庇護下におる故、神力も通じやすいのじゃ。」
その言葉に斎が「火伏せだと料理人か消防関連、火起こしなら鍛治か製鉄あたりか」と言うと、柊吾も加代子も「あ」と言った。
「製鉄業の会社に勤めてるから・・・・・・。」
「なるほど、毎朝、始業前に手を合わせてる神様がこちらの方というわけか・・・・・・。」
柊吾が苦笑いを浮かべると、オレンジ色のみずらをゆらりと揺らして、火産霊神が「こんななりではがっかりさせたかの?」小首を傾げる。加代子は「火産霊神の神力は、神様の中でも五本の指に入る神様なんだからね?」と補足した。
(いや、そういう問題じゃない・・・・・・。)
お寺に神様って言うのもだし、死んだ妹が見えると言うのもだし、有り得ないことだらけでもう一度気を失いたくなる。それを慮ってくれたのは斎だった。
「今は混乱しているだろうし、こんな騒ぎを起こしたんだ。死神協会がそろそろ乗り込んでくるんじゃないか?」
その言葉に火産霊神と加代子は顔を見合わせる。
「ああ、そうじゃったッ! 加代子ッ!」
そう言うと再び加代子を蝶に変じ、そのまま火の輪で異空間の入口を生み出すと「早う、戻るが良い」と急いで逃がす。そして「これでひとまず証拠隠滅じゃ」と言った。
「ちょッ、なんで彼女を逃がすのです?」
斎が訊ねると「理由はあとじゃ。まずは口裏合わせをせねば」と火産霊神は控えの間の上座に鎮座した。
「口裏合わせ・・・・・・?」
「お主とて妹を助けたいじゃろう?」
「加代子に何か問題が?」
「そうじゃの。詳しうはあとで話すが、ひとまず我は《氏子が悪鬼に攫われそうだったから》で押し通す。お主らは《知らぬ、存ぜぬ》で通せ。」
それならこの状態が見えないようにして貰いたかったが、今は《神の憑坐》となっているがゆえに、そうしたことは出来ぬらしい。柊吾は死んでからも手のかかる加代子にため息を吐いた。
「全く何をしたやら・・・・・・。」
一方、口を真一文字にした火産霊神の様子に、斎も質問したい事を飲み下した。
やがて、斎が話したように死神協会から支部長の灰峰と数名の死神がやってくる。灰峰は辺りを確認してくるように指示し、それからお寺の玄関先で斎に文句を零した。
「今日が《島崎 加代子》の法要だと知っていたら、もう少しこちらに人員を割いていたのですが?」
「いや、まさか、こういう事になるとは思わなくてですね。それにまさか支部長直々にいらっしゃるとは・・・・・・。」
「《島崎 加代子》の件は、《時任》の事もありますからね。こちらも最優先せざるを得ないんですよ。それに、またしても貴方がいらっしゃるでしょう?」
「いや、俺は今回も完全に巻き添えですよ?」
「一度目は魔法騒ぎ、二度目は爆発騒ぎ、三度目は魂泥棒騒ぎ、そして、今回ですよ?」
「いや、でも、本当なんですって。それに当事者には控えの間で待ってもらっていらっしゃいます。」
一般の死神なら火産霊神が坐すのを見れば立ち去るだろうが、灰峰くらいの幹部クラスになると天津神とも普段からやり取りしてるから、きっとしっぽを巻いて帰るなんてことはしないだろう。案の定、灰峰は火産霊神を見ても大して動じなかった。
「火産霊神でいらっしゃいましたか――。」
「我が名を呼ぶのは誰じゃ?」
さっきまで明るいオレンジ色だった瞳は神力が溜まり濃い朱色に染まっており、騒がしかった気配はすっかりなりを潜め厳かな雰囲気に包まれている。
「死神協会が日本支部支部長、灰峰 亮と申します。此度は瘴気を祓ってくださったとの事、ありがとうございます。騒ぎを聞きつけて馳せ参じた次第ですが、なぜ貴方様のような方が、斯様なところに御座します?」
灰峰が自己紹介と質問をすると、火産霊神はゆるゆると口を利いた。
「我は我が氏子が悪鬼に喰われんとするを、止めに入ったに過ぎぬ。」
「氏子・・・・・・?」
すると、火産霊神はすっと部屋の入口に立った柊吾を指差す。柊吾と斎がこちらを無視して話しているところを見ると、彼にはこちらは見えていないのだろう。
「彼は?」
「あの者は柊吾は加代子の兄じゃ。加代子の事は世情に疎い我とて、多少は耳に入っておる。ましてや柊吾は加代子が縁者じゃ。うぬらとて加代子の二の舞は嫌であろう?」
その指摘に灰峰も苦々しげに頷く。それから、灰峰は形通りの質問をもう二、三つして、雅と加代子の居場所を探ったが、火産霊神は「知らぬ」と話した。
灰峰はこれ以上は火産霊神から情報を聞き出せないと判じて、少し表情を曇らせて「承知しました」と話すと、供の者を連れて「正式な御礼は愛宕の山まで参ります」と話して部屋を後にする。そして、斎とすれ違うと「君にもまた改めて、話を聞かせてもらいたい」と話した。
「この状況ですし、仕方ないでしょうね。そう答えられる事は多くないと思いますよ?」
「それも分かるが、こっちも上が煩いからな。」
天津神や国津神の争いに死神や付喪神が口を出せるはずもない。灰峰はそれもわかっていると暗に匂わすと去っていく。斎はこの場だけでも灰峰が引いてくれた事に安堵した。