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屋烏の愛  作者: みなきら
愛、屋烏に及ぶ
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天網(てんもう)

「それで? 目が覚めたら元に戻ってましたとか言う世迷い言を信じろと?」

「愛する者の口付けで目覚めたから解けたのやもしれません。だとしたら、御方様も粋な呪をかけますよね。」

禁厭(まじない)の神で通っている俺やお前でも、解呪出来ない呪だったんぞ? それで俺が信じると思うのか?」


 少彦名命に指摘されても、雅は「でも、解けてしまったんですよねえ」と苦笑するばかりだ。


「結果として解呪出来たから良しとしてもいいのではないでしょうか?」

「いや、まあ、それはそうなんだが。よく分からないままに加代子が解いてしまったと言うのがな・・・・・・。」


 雅は「そろそろ加代子さんの規格外に慣れましょうよ」と言ったが、加代子はむっとした表情を扇で隠しつつ袖を引いた。


「私ばかり規格外みたいに言わないでよ。雅だって、充分、規格外でしょ?」

「まあ、そうですね。」


 出会った頃と同じ漆黒の瞳で見つめられると、どうしてか同一人物なのに心落ち着かなくなって顔が赤くなる。加代子は扇で赤らんだ頬を隠せる事に少しだけ助かった思いになった。


「それにしても拍子抜けだな、お前をどうやってこちら側に戻そうかと算段していたというのに。」


 少彦名命が呆れ声で言えば、加代子は「その事なんだけど」と話す。


「思うに雅の今の状態って、私に埋め込まれた逆さ鱗紋と一緒で、無理矢理、抑え込んでる可能性はないの・・・・・・?」

「無理矢理、抑え込む?」

「ほら、月読命の蝶の封印の時に教えてくれたじゃない。」


 解呪をするのなら、呪をかけた者が解くか、反対の呪をかける事になる。しかし、それが出来ない場合、身を守る呪を重ねがけする事で、表に出ないように封じる事は出来る。


 雅は加代子の話を聞くと「なるほど、その考え方が理屈としてもしっくり来ますね」と神妙な面持ちで話す。


「私自身、不思議だったのです。大物主が幽世にいるはずなら、あそこを出られたのは《荒御魂》なはずなのに、なぜ自分は自我を保てているのかが――。」

「と、言うと?」

「私を葦原中国に解放した者が、加代子さんのように保護の呪をかけたということですよ。」


 召喚したものの、荒御魂のままでは敵味方関わりなく祟られる可能性がある。それを防ぐために、荒御魂の力を封じ込める呪を施したのしれない。


「そんな事、出来る奴、当時にいたのか?」


 少彦名命が驚いて聞けば、雅はにっこりとし「貴方のご子孫にいらっしやったんですよ」と話した。


武内宿禰(たけしうちのすくね)の父親は《少名日子(すくなひこ)》を冠しているんですよね?」


 そこまで言うと「それに、母方を辿れば、伊予か十里(とおり)に至るのでは? あとはお分かりになりますよね」とにっこりとする。少彦名命は目を泳がせた。


「罔象女神には言うなよ?」

「何千年も前の話です。もうご存知なのではないかと思いますが・・・・・・。」

「え、どういう事――?」


 加代子が首を傾げていると、さらさらと衣擦れの音がして罔象女神が「少彦名命、私がどうかなさいましたか?」と几帳の影から現れる。


「い、いや、何でもない。」

「まあ、そんなに慌てられて、何か悪口でも仰っていたのですか?」


 おっとりとした物言いで笑顔なのに、何故か少彦名命に有無を言わせぬ罔象女神の気配に、雅は楽しげに笑いながら「装いを新たになさったのですね」と話した。罔象女神は少彦名命の隣に腰を下ろすと、「ええ、背の君と釣り合いが取れた方が良いかと思いまして」と答える。


「背の君・・・・・・?」


 加代子がぽかんとすると、「ええ、罔象女神は少彦名命の正妻の伊豆能売姫(いずのめひめ)なのですよ」と話した。


「ええッ?!」


 雅は「いい反応ですね」とくすくすと笑う。そして「こんな素敵な奥様がいらっしゃるのに、少彦名命は加代子さんに甘えたのです。許し難いでしょう?」と言えば、少彦名命がみるみる顔を青くする。


「あら、何のことでしょう?」

「いや、少し目を離した隙に、加代子さんに膝枕をしてもらっていたのを思い出しまして。」

「まあ、()()()()()()()()?」

「な、今頃、蒸し返すのか? あ、あれはだな、大己貴を少しばかり揶揄(からか)うつもりでやっただけで、それ以上の他意はないんだ。」


 しかし、罔象女神はにこりとしたままで「やっていいことと、やってはいけないことがございましょう? その分別もつかぬのですか?」と問う。少彦名命は、雅と罔象女神に挟まれて、ただでも小柄な体躯を縮こまらせた。


「だいたい根の堅洲国に戻られていたなら、こちらに顔をお出しくださってもいいのに。」

「あ、はい、すみません・・・・・・。」


 完全に尻に敷かれている少彦名命の様子に、加代子は笑ってはダメだと思いつつも、ふふっと笑みを漏れる。一方、雅も「そろそろ話を戻しましょうか」と言うと、大まかに罔象女神に、今、話していた内容を説明した。


「では、幽世に戻られた時は、晴明と同じように禁厭に長けた者によって、貴方の荒御魂としての力を《封じる呪》が元々施されていた、と?」


 罔象女神が内容をまとめれば、雅は大きく頷いて「ええ、そう考えれば伊邪那美命の《唐草の呪》は《解きの呪》だったのではないかと推測されます」と話す。


「今までは少彦名も私も、御方様の呪を《我が身を縛るための呪》と思って、解き方を考えていたのですが、それとは全く逆の性質の《呪》なのであれば、解き方そのものが変わってきます。」

「なるほど、そもそも掛けられた呪が《封印を解くため呪》ということか。それは考えていなかった。では、加代子が偶然にも施したのは《魂鎮めの呪》か《魂結びの呪》というわけか?」

「ええ、そのいずれにせよ、加代子さんの言うように解呪して和御魂となったのではなく、呪の重ねがけをした結果、和御魂に見えるのであれば、それは《見せかけの和御魂》の状態ということです。」


 そう話しながら、伊邪那美命に言われた「お前の内にも宝珠を求む龍が巣食っているようだけれど」という言葉を反芻する。


「伊邪那美命の呪は、私の自我を残しながら、荒御魂の力の一部だけを解放する――。そんな呪だったのかもしれません。」


 今のように逃げ場なく荒御魂の力を封じた状態では、力が完全に解放された際には自我など消し飛んでしまうであろう。


「だが、見せかけとはいえ、お前を和御魂に戻したのであれば、益々、高皇産霊神は加代子を欲するな・・・・・・。」

「ええ、今は淤加美神及び私の力が一番弱体化している好機。加代子さんの魂を心の太柱の神籬に差し出す心積りでしょう。」


 話を聴きながら、加代子は「心の太柱の神籬」とぽつりと呟く。その表情は、まるで急に冷水を浴びせられたかのように怯えたものに変わっていた。


「加代子さん、どうかしましたか?」


 雅が驚いて尋ねても、目を泳がせて首を振るばかりだ。その様子に只事じゃないと判断すると、雅は「少し二人だけにして貰えますか」と少彦名命と罔象女神に話した。


「分かった。加代子が落ち着いたら、話の続きを聞かせてくれ。」

「ええ・・・・・・。」


 そう答えながら、加代子を安心させるべく胸元に引き寄せれば、心底、怯えた様子で顔を埋めてくる。そして、二人きりになると雅はもう一度「何をそんなに怯えるんです」と訊ねた。


「あの夢は、予知夢だったんだって気がついたの。」

「予知夢・・・・・・?」

「須勢理が幾度となく見ていた悪夢。葉木国野尊(はこくにのみこと)神籬(ひもろぎ)にされる夢――。」


 真の名で縛られて、無抵抗なままに、この胸を木の杭で穿たれる。そして、穿たれた木の杭は、自らの魂を糧としながら、この身を壊しながら根付き、芽吹き、育っていく。


「あの(ひと)はきっと殺しにくる。」


 神経質そうな、そして、恐ろしく冷たい眼差しの男。まるで血の通っていない機械のような冷徹さが思い起こされて、雅の胸の内にいるのに怖くてたまらない。


 雅が「()()()とは高皇産霊神の事ですか?」と訊ねると、加代子はこくりと頷く。


「もし、須勢理が高皇産霊神と交わした約束が生きているなら、彼はきっと私を捕らえにくる。」

「約束――?」

「ええ、須勢理が天照大神と高皇産霊神に真の名を証した時の約束。」


 大己貴を置いて別室で交わされた約束の内容を、加代子は雅に告げた。


「どうして・・・・・・。どうして、そのような約束を・・・・・・ッ!」


 雅の嘆きにも似た問いに、加代子はただ頭を横に振るばかりだ。


「あの時はそれが最善だと思ったのよ。このような事態になるなど思ってなかった。」


 そう言われれば、雅は二の句を告げずに黙り込む。


 数千年の時が経って、再び、追われる身になるなど誰が予測できるだろう。


 ましてや、生まれ変わり、記憶を失っているにも関わらず、履行を求められる約束など。


「どうか過去の私を許して――。」


 雅はその言葉を聞くと、返答する代わりに抱き締める腕の力を強くした。

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