痛き心は忍びかねつも
四月の終わり。春は終わりに近付き、世の中はゴールデンウィークが間近だと騒ぎ始める。
例年なら有給休暇を取って家でのんびりと過ごしたり、趣味のドライブに行ったりするのだが、今年の島崎 柊吾の予定は大きく違っていた。
「お兄ちゃん、そろそろ戻って。」
「ああ、分かった。」
妹の真珠子の呼ぶ声に、燻らせていた煙草の火を消し、黒のネクタイを締め直す。
(もう、七七日忌か・・・・・・。)
柊吾はもう一人の居なくなった妹「加代子」に思いを馳せた。
一番下のちゃっかり者の真珠子と違って、加代子はしっかりしているように見えて、うっかりしている妹だった。そのうっかり癖のまま、命を落としてくるから困ったものだが、こうして七七日忌を迎えても、まだひょっこりと「ただいま」と帰ってきそうな心地がする。
ましてやその死に様があまりに唐突で、あまりに理不尽なものだったから、柊吾を始めとして家族の誰もが、妹の死を受け入れる事がなかなか出来ないでいた。
御堂に行けば加代子の遺影と白木の位牌、それから、骨壷が置かれている。その前には父の圭吾が一人座っていてぼんやりと加代子の遺影を眺めている。
「なんで加代子だったんだろうな・・・・・・。」
父のポツリと呟いた声が酷く嗄れていて、ドキリとする。
「別に加代子じゃなくても良かっただろうに・・・・・・。」
柊吾は父の姿がやけに小さくなってしまったように思いながら隣の席に座る。黒いリボンの掛けられた加代子は楽しげに笑っている。
その笑顔を見ると、なんで呑気に笑ってるんだよ、と思う。
加代子の死因は、渋谷の駅前で通り魔に刺された事による「左胸の刺傷による外傷性ショック死」だった。
家族一同、犯人との面識はなく、その犯人もたまたま逃げ道の先に居合わせた加代子を刺したと供述したらしい。つまり、加代子は偶然、あの場に居合わせ、偶然、胸を刺されて死んだ被害者に過ぎない。
それなのに連絡を受けて病院に行けば、既に霊安室に運ばれていて無慈悲に警察から司法解剖の話をされるし、それが片付いたら葬式の手配やら除籍するのに区役所や本籍地などあちこちと巡る羽目になるしとてんてこ舞いだった。
司法解剖の話が出た時は「痛い思いをして死んだだろうに司法解剖などさせたくない」と泣きわめく母を自分が必死に宥め、怒りに肩を震わせる父が震える手で同意書にサインをした。
そんな疲れきった所へ、どこから聞きつけてきたのかマスコミまで現れて、「取材は一切お断り」と話したのに、加代子のあれこれがニュースやワイドショーに出ていて、実の犯人よりも世間に晒されたように感じて心傷んだ。
お陰で桜の花を愛でる暇もなく春は過ぎ、もうすぐ夏になろうとしている。
賑やかだった家は火が消えたようで、父は中陰壇の前で時折ぼんやりするようになり、母はすっかり面窶れしてしまって、柊吾は父も母も急に小さくなってしまったように感じて、今度は二人が倒れてしまうのではないかと心配だった。
「意外とさ、加代子の奴は抜けてるところあるから、《あれ、私、死んじゃった?》とか、今頃、言ってそうだけどな。」
柊吾がそう話して圭吾を宥めると「確かに言ってそうだな」と呟く。
そんな話をして暫くすると、入ってきたのは加代子の会社の上司と話した青山 斎だった。
綺麗な所作で父と自分に挨拶をして、加代子に線香を上げると、もう一度一礼して後ろの席へと移動する。
柊吾は斎と話そうと席を立ったが「お兄ちゃん」と呼ぶ声に引き止められた。
真珠子が顔を御堂の入口から顔を覗かせて手招きしていて「人が増えてきたから手伝って」と言われる。若干、後ろ髪を引かれる心地がしたものの、柊吾は分かったと言うと御堂をあとにした。
一方、御堂に残された圭吾と斎は互いに言葉を交わすことなく、しばらく加代子の遺影を見ていた。屈託のない笑みは雅と一緒にいる時に見せていた笑みと同じだ。
「青山さんでしたよね・・・・・・? あの日はきちんとお礼も出来ず申し訳ありませんでした。」
圭吾が声を掛けてくる。加代子とすごく似ているというわけではないのに、ふとした表情に何故か既視感を覚える。
「いえ・・・・・・、あの日、もう少し早く自分が着いていればと、悔やんでも悔やみきれません。」
あの日、あの時、もう少し早く着いていれば、加代子を死なせる事もなかったし、その魂を方々探す事も無かっただろう。
(でも、死神協会が総出で探して、四十九日間近でも見つからない・・・・・・。)
だから遺族がこんな風に法要をしても、彼女の魂は三途の川を渡っているのかどうかさえ分からなかった。
「そう仰らないで下さい。あれは《偶然の出来事》だったんですから。」
圭吾は沈痛な面持ちながらそう言ったが、斎はこれは《必然》の事だと思っていた。
(きっと、みっちゃんが《黄泉》へ連れていってしまった・・・・・・。)
黒い長い上着を着て、加代子の遺骸の傍に佇んでいた雅の姿が目に焼き付いていて、あの日から「なんで」という思いに苛まれていた。
加代子から自分との想い出を奪ってでも助けて、人の世に戻したと言うのに、一年ほどで再び連れ去ってしまい、その消息は杳として知れない。
(失踪者となれば、二人とも高天原にも人の世にも戻れなくなる・・・・・・。)
よしんばその後に見つかっても、魂を拐かした者、本来受けるべき裁判から逃げ出した者として地獄で償いをせねばならぬだろう。
斎の辛そうな表情に圭吾は「そんなに悲しまないでください」と話す。
「騒がしく書き立てるマスコミに腹立たしくも思った時もありましたが、それ以上に多くの方に哀悼の意と励ましの言葉を頂いていた事に加代子のSNSのアカウントを見て気が付きました。」
報道では《悲劇のヒロイン》のように祭り上げられている気がして堪らなかったが、SNSで普段やり取りしていたであろう人から「冗談止めてよ」「嘘だと言って」といった言葉と共に綴られた哀悼の意は新しい形の墓標のように思えた。
「加代子が死んでも・・・・・・、まだ、どこかで元気でいる気がしてならないです・・・・・・。」
きっと墓に骨壷を納めても、その感覚は消えないだろう。圭吾はそう言うと、感極まったのか目頭を押さえた。「年を食うと涙脆くていけない」とぼやく。そこに加代子の母親の祐子が姿を見せた。
髪を纏め和服姿の祐子は圭吾を手招く。斎は一礼すると一旦御堂を出た。もうまもなく法要が始まる時刻だからか、控え室はさっきまでの御堂の中とは違ってガヤガヤとざわついている。
話を漏れ聞くにこの寺の住職が代替わりしたらしい話や、犯人に対する文句、加代子に対する同情、それと自分の家族じゃなくて良かったという安堵の声がこそこそと聞こえた。
黒い靄があちらこちらからゆらゆらと立ち上る。そして、それは場所が御堂の中に移っても、七七日の法要が始まっても変わらなかった。
本来なら読経が始まればこうした瘴気は晴れていく。しかし、控え室で聞いた通り、代替わりしたばかりと聞く年若そうなお坊さんでは、ここまで膨れた瘴気は祓いきれないようだった。
「ふむ、どうやらあの方丈見習いの法力では、この瘴気を祓いきれないようじゃの。」
不意に自分の心の内を見透かすような声に、声の主を探す。
「これ、青山。何をきょろきょろしておる。さっさと破魔の結界を張らぬか。お主の音色なら朝飯前じゃろ?」
読経をしている方丈様の近くにはオレンジ色の髪をみずらに結い、所々緋色のアクセントカラーの入った水干を着た男の子がふわふわと浮いていた。
「そうじゃ! お焼香のタイミングで鳴らしておくれ。少し仕掛けをして来よう。」
そう言うと呆気に取られている斎をその場に置いたまま、焼香台に何やら呪を掛けたり、柊吾の事をじいっと見て「おお、珍しい。こんな所に氏子がおる」と嬉しそうにしていたりする。
ふわふわと浮いていた時点で《人の身ではない》とは判じていたものの、斎は自分の真の名を知っている不思議な男の子にハラハラとした。
(ちょ、ちょっと待ったあ――ッ!?)
斎の念に反応して、ふわりと宙を滑るようにして火産霊神がすぐ傍に戻ってくる。
「どうした? 何を待てばいいのじゃ?」
もしかして念じれば通じるのだろうか?
「もちろんじゃ。神だからな。念じれば通じるぞ?」
そう言うと「我は加具土または火産霊と呼ばれしもの」と教えてくれる。
(な・・・・・・?! 御堂に神様ッ?!)
「そんなに驚くことないぞ? 愛宕は元々、勝軍地蔵として地蔵菩薩に通じておるからの。」
そう楽しげに笑い、「ほれ、焼香のタイミングでさっさと結界を張らんか」と言われる。そして、焼香の順番になると斎は渋々人の耳に聞こえない音域で破魔の音色を響かせた。




