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屋烏の愛  作者: みなきら
愛、屋烏に及ぶ
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玉鉾(たまほこ)の道反玉

 朗々と雅の声が部屋に響き渡る。


 玉鉾たまほこに 木綿ゆう取りしでて 魂霊たまち採らせよ 御魂狩みたまが

 魂狩たまがしし神は 今ぞ来ませる


 御魂みたま見に いましし神は 今ぞ来ませる 

 玉鉾持ちて さり来る御魂 魂反たまがえしすなや


 加代子はその声を聞いていると感無量になり、胸が苦しくなった。愛宕神社で「青海波」を聞いた時と似ながらも、また違う感覚。


 あの時は弓を引き絞るように胸の奥が引き絞られる感覚だったが、今は身の内から水が滾滾こんこんと湧き出てきて、胸をパンパンに満たし溢れ出るような感覚だ。


 喜、怒、哀、楽、言葉に出来る感情とは違う。


 もっと根源的な「何か」がせり上がってきて、口を開いたらならそのまま号泣してしまいそうだ。それでも何とか堪えて琴を鳴らせば、上手く力加減が出来ないせいか、その音まで揺れてしまった。


「加代子さん、泣かれているのですか――?」


 演奏をし終えて、堰を切ったように涙を零れてきたのを拭う加代子の様子に、驚いた様子の雅が声を掛けた。しかし、加代子は胸がいっぱいで、上手く答えられず、ただただ頷く。それに助け舟を出してくれたのは博雅だった。


「あのように歌えば、涙が出るのは道理だと思うぞ――?」


 そう話す博雅も、話し始めたら感極まったのか苦しくそうに表情を歪めて、「雅信の歌は、心あるものならば誰しも心動く」と涙声で話す。


「そんな大袈裟な。」

「いいや、泣く――。」


 そう宣言すると博雅はぼろぼろと拭うこともせず涙を流し始める。


「兄者まで泣くのです?」

「分からぬ。分からぬが、泣けるのだ。」


 雅が困惑顔で訊ねれば、いよいよ博雅はおいおいと泣き始めてしまった。


「琴姫の琴の音も素晴らしかったのだが、お主の歌を聞いていたら、どうにも泣きたくなってしまうのだよ。」


 悲しいわけではない。しかし、美しい音を聞いた時に感じるような、染み入るような感慨深さとも違う。


「上手く言えないのだが、こう、魂ごと揺さぶられる感じなのだ。」


 博雅の言葉に雅は「そうですか?」と賛同しかねている様子だったが、加代子は大きく頷いた。


 揺さぶられる――。


 その表現はとても近い。音が空気を伝わるように、自分の身にも伝わり震える感じ。


 加代子は「ちょうど、今、感じているような」と思い、不意に息を飲んだ。


 大きな手が迫ってくるような感覚――。


 そして、頭の中に「見つけた」という男の声が聞こえる。


《こちらへ参れ。》


 と、須勢理の時に会ったことのある伊邪那美命に腕を掴まれ「うぬが魂は我が息の掛かりし者ぞ。戻って参れ」と言われる。


 震え ゆらゆらと 震え――。


 世界はぐらりと揺れる。加代子は先程まで雅が歌っていたのと同じ調子で「ひふみ よいなむや ここのたり」と口ずさみ、「震え ゆらゆらと 震え」と言葉を紡ぐ。


 途端にさっきまでいた局の景色に戻り、血相を変えた雅が手を伸ばしてくる。何か呼びかけられているのに、無声映画を見ているかのように声は聞こえず、やけに遠くに感じる。


 ああ、どうして世界は赤く染まっていくのだろう?


 ◇


「加代子さん――ッ!?」


 雅が呼び掛けた時には、加代子は蛍火のように淡い光を放ちながら姿を消え始め、雅が加代子の身体を支えた頃には、小笹の依代であるネックレスを残して瑠璃色の宝玉のような姿に戻ってしまった。


 小笹は驚きのあまり声も出せずに呆然とし、紫苑は警戒の色を露わに辺りを見回す。几帳越しに接していた博雅も、騒然とした雰囲気や雅の血相を変えた様子に困惑の面持ちになった。それと、ほぼ同時に少し離れた庭からも「晴明」と罔象女神が呼ぶ声が聞こえてくる。


「な、何が起こったのだ?」


 そう言って中庭の方を見やる博雅を放っておいて、雅は「紫苑、先に晴明の元へ行っていただけますか?」と告げ、小笹の依代となっているネックレスを手にすると「お前は一時的に私の預かりとする。悪いが一旦戻っておくれ」と指示する。


 二人が「承知致しました」と各々身を隠す中、博雅は「お、俺はどうしたら?」と訊ねた。


「何者かが、晴明と、加代子さんに干渉したのです。」

「な、何ッ?! では、晴明の身も危ういのではないか?」


 雅は大事そうに加代子の魂を手にすると懐から瓶を取り出してそっと隠すように懐にしまった。それから「この事は晴明にとっても不測の事態でしょう。中庭に急ぎましょう」と促す。博雅は雅の後に付いて、中庭の見える渡殿へと急いだ。


「晴明――ッ?! その姿は・・・・・・。」


 見えてきた中庭には葛の葉が生い茂るように方陣を埋めつくし、鉾鈴のように葛の花があちこちに咲き乱れている。その真ん中には人の背丈の倍はありそうな白く輝くような毛並みの白狐がいて、前足の部分で一匹の雉を捕らえているのが見えた。


《この姿で、俺が分かるのか、博雅よ――?》


 愉しむように話す声は確かに晴明のものだ。一方、博雅は狐にそう話しかけられて、目の前にいるを自然と晴明だと認識していた事に思い至る。雅は履物も履かずに、勾欄を乗り越えて庭へと降りると、晴明の後ろに佇む女を前に膝をつき頭を垂れた。


「ご機嫌麗しゅうございます。」


 そして「須勢理をお助け下さりありがとうございます」と話す。


「苦しゅうない。須勢理が魂は妾の物。雉子如きに盗られるわけにはゆかぬ。それより、この件はどう落とし前をつけるつもりかえ?」


 その言葉に雅はすくりと立ち上がると、生弓矢を生み出し、狐姿の晴明が捕らえた雉子の脳天に目掛けて躊躇なく射抜いた。


《おや、せっかく生け捕りにしましたのに、殺してしまわれたのですか?》


 狐の姿から再び人の姿に変じながら、晴明が訊ねれば「雉子らは舌を抜かれていますから話すことは能わないでしょう」と話す。


「この者どもの背後にいる方は一筋縄ではいかぬ方です。彼の方にとっては《手駒が戻らぬという事実》を突き付けた方が効きますよ。」


 その言葉に晴明は「怖や、怖や」と笑う。少彦名命は罔象女神を守っていた槐の花の護りを解くと雅に文句をつけた。


「おい、俺がいたから良いものの、罔象女神にも類が及ぶところだったぞ。」

「貴方がいらっしゃるのです。問題ないでしょう?」

「ほう? この事態、全て折り込み済みだとでも言うのか。」


 すると、雅はにこりとして「橋姫を差し向けた何者かが、監視役を置かぬままに橋姫を泳がせるとは思えません」と答える。


「確かに幾ばくか不測の部分はありましたが、おおむね想定内です。」

「ほほう、その不測の部分とやらが、この強襲ではないのか?」

「いいえ、それは先程もお伝えした通り、そちらは想定内です。不測だったのは、加代子さんにまで干渉された事くらいですよ。久々にひやりとしました。」


 それを聞いた少彦名命はさっと顔色を変えて「須勢理毘売に何が起こった」と声を荒らげる。


 雅は懐より小瓶に収まった瑠璃色の魂を取り出すと「そう声を荒らげないでください。こうして無事ですから」と話した。


「先程の雉子を介して、高皇産霊神が無理やり魂呼ばいしたのでしょう。咄嗟に御方様が反魂してくださったので大事には至っておりません。」

「何が大事に至ってないだッ! かなり危うい話ではないかッ!」


 少彦名命は噛みつかんばかりに雅に詰め寄る。


「大己貴命の折、利を求めすぎて後先を顧みなかった結果、高皇産霊神に足を掬われたのを忘れたのか? もう少し慎重に期さねば、二の舞を踏む事になるぞッ!」


 すると、雅も「ええ、そうですね」と神妙な顔で答えた。


「青山を奏でて、事前に張っておいた結界をも、ああも易々と掻い潜って干渉してくるとは思いませんでした。今回は本当に運が良かった。私も、もうこのように危うい橋を渡るような真似をするつもりはありません。」


 その言葉に少彦名命も幾ばくか溜飲を下げたようだったが「次、やったら、素戔嗚尊に注進するからな」と釘を刺す。雅は「肝に銘じておきます」と頷いた。


 そんな風に喧々諤々としている二人の様子を眺めていた罔象女神は一区切りついたタイミングを見計らって「そろそろお話は終わったかしら?」と訊ねてくる。


 中庭いっぱいに茂っていた葛はいつの間にか姿を消し、向かって右に罔象女神と紫苑が、反対側に晴明と博雅が、雅と少彦名命のやり取りを待っていたようだった。


 そして、真ん中には葛の蔓で編まれた輪に、真拆のかずらを編み込んだ冠を身につけた女性が立っていた。


 落ち着かない様子の博雅が、晴明に「何がどうなっているんだ?」と訊ねる。晴明は訳知り顔にニコリとすると「雅信殿にお聞きくださいませ。雅信殿がこちらに坐わす方をお呼びになったのでございましょう?」と話した。


「ええ。本来、阿知女とは五十穹いそらのこと。そして、阿知女を奏でるのは安曇五十穹(あずみのいそら)のお仕えする神をお呼びするため。」


 天の岩戸をきっかけに、高天原は五十穹が仕えるその神を「天照大御神」であるかのように装ったが、本来、安曇五十穹が仕えてきた神は「伊邪那美命」ただ一人であり、阿知女を歌う事で彼女の荒ぶる御心を言祝ぐと言う。


「ここまで呼び出したのは雉子退治をさせるためだけではないのでしょう?」

「ええ、仰る通りにございます。」


 そしてにこりとすると雅は「高皇産霊神の《魂狩り》にお呼びしたのですよ」と言い、いつものように大鎌を生み出した。


「この鎌は、私が長年使う中で、魂を狩るのに効率の良い形にした結果なのですが、この鎌の元の形はこうなんですよ。」


 そうしてくるりと一回転させると、刃には鋸のようなギザギザが生まれ、柊の葉に似た幅広の鋸刃になり、反対側にも装飾めいた木の穂先が付いている。


 本はかなほこ、末はきほこ


比々羅木(ひひらぎ)八尋やひろほこ――。」


 晴明が呟くように言えば、雅は頷き、再び元の大鎌の姿へと戻す。雅をつぶさに見た。


「大祓詞も元は高天原のための祝詞ではなく、那智の祝詞なのです。」


 風雲より雨が降り、滝となり、川となり、再び風雲となり、姿形を変え、幸わい言祝ぐための言の葉。


「先の世の私、つまり、大己貴命の治めた《(うつ)し国》こと、《瑞穂の国》は、本当の名を《任名(にな)》と申しました。少彦名命の本性である蜷貝(にながい)から名付けたのです。」


 そして、別名、水珠乃国(みなまのくに)と言われたことも話すと「ここにはその国でお祀りしていた神皇産霊神を除いた四柱が揃っています」と告げた。


 那智の鳴滝、濁流(さくなだり)として河川(かわ)に流れ込み、飛沫(しぶき)を以て天を清め、波濤(はとう)を畳みて地を祓う――。


 雅の視線で瀬織津姫は伊邪那美命、速秋津姫は罔象女神、気吹戸主は自分で、速佐須良比売は須勢理毘売だと匂わす。


 博雅はその話を聞くとぽかんと口を開け、大きく目を見開いた。

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