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屋烏の愛  作者: みなきら
愛、屋烏に及ぶ
13/34

玻璃の祠

 少彦名命の手から離れた鷦鷯みそさざいの羽はひらひらと舞い、空中のある所に来ると何かに吸い込まれるようにして、代わりにこぽりと小さな水の玉が出来た。


 それを見ると雅はお礼をして「続きはこちらで致しましょう」と話す。


「良いのか?」

「ええ、先程、瘴気を晴らすのにかなり力を使ったのでしょう?」

「まあな――。」


 そして、空中の水球を見つめ呆気に取られている加代子に向かって、雅は「加代子さんにもお手伝いをお願いしたいんですが」と話した。


「お手伝い――?」

「ええ。」

「でも、私、力を使いこなせないよ?」

「大丈夫ですよ。私をここまで呼べたのですから。」


 そして、加代子に向かい合うと両の手を取って「水面を()()してください」と言う。


「水面?」

「ええ、頭に情景を思い浮かべて頂ければ、あとはこちらで入口を()()します。」


 そして「さあ、目を瞑って」と言われると、催眠術にかかったかのように瞼が重くなっていく。


「ここは水の神のお社。四方は満々と満ちる水。さあ、目を閉じて静かな水面をイメージして。」


 その言葉に加代子はそっと目を伏せると、言われた通りに静かな水面を思い浮かべる。


 不思議と想像されたのは、雅の髪色のように黒い世界で、南面の池よりも広く、四方八方、どこまでも満々とした水面が続く景色だった。


「想像出来ましたか?」

「うん・・・・・・。」

「では、同じように続けて。水の神に 畏み 畏み 物申す――。」


 低く朗々と吟ずる雅の声を聞きながら、加代子は不思議と懐かしさを覚える。落ち着いたその声を聞いていると、ずっと聞いていたいような心地良さも覚えた。


 雅の声に反応して水面はゆらゆらと揺れ、(さざなみ)が近付いてくる。


 加代子はそのゆったりとした心地良さに浸りながら、一拍置いて、雅の後に続いてゆるゆると言葉を紡ぐ。


「水の神に 畏み 畏み 物申す――。」 


 すると、今度は自分を中心に漣が生まれ、波紋が出来ていく。


「祓い給え 清め給え 惟神(かんながら) 守り給え さきわえ給え。」


 自分の声で生まれた波紋と混ざるようにして、雅の声の波紋が重なっていき、ある所は大きく波立ち、またある所は打ち消し合い、複雑な模様を生み出していく。


 加代子は雅の後に続いて「惟神 守り給え 幸わえ給え」と唱えていたが、不意に途端に水面がぐっと近くなったと思うと、次の瞬間、水の中へと引き込まれてしまっていた。


 飲まれる――。


 水の中は冷たくも熱くもなく、息苦しさはない。ただ静かに沈んでいくだけだ。


 雅はぐらりと前のめりにバランスを崩した加代子を支えると、耳元で優しく囁いた。


「加代子さん、今、何を()ていらっしゃいますか?」


 淡い青の世界――。


 ここは水底だろう。上を仰ぎ見れば、さっきまでいた水面が遠くに見え、美しい光の網目がゆらゆらと揺れていた。


 近くに雅の姿は見えないものの、不思議と近くにいる心地がして、加代子は雅の問いに答える。


「青の世界。光の網目、それから――。」


 水底にはゆらゆらと揺れる光の網に照らされるようにして小さな祠が建っていて、そこから水が湧き出ている。


 祠のサイズは立石の熊野神社の水神社のそれと同じか、一回り小さいだろうか。小さな扉が付いていて、僅かに扉が開いていた。


「小さな祠と木の扉があるよ――。」


 その返答にやはりどこからか雅の声が聞こえてきて「そちらを開けてください」と話した。


「分かった、開けるね。」


 雅に言われるままに祠の扉を開ける。途端に水流は強くなり、水が祠の中から溢れているのを感じる。少し離れて中を覗けば、丁寧に水晶玉が置かれていた。


「開けられましたか――?」

「うん。中に水晶が置かれているけど。」

「それは御神体ですから触れてはいけません。先程のところまで戻ってください。」


 水流に流されるようにして元の位置に戻り、雅に「戻ったよ」と言えば「さあ、仕上げです」と言う。


「その祠に向かって、《こちらよりお戻りください》と水の神にお祈りしていただけないですか?」

「こちらよりお戻りください?」


 すると、ゆっくりと祠の扉が揺らぎ、内側から湧き出る水が強くなり、涼やかな声で「(だく)」と言う声が返ってくる。


 途端に火産霊神のところで天詔琴を弾いた時のように、自らの口から言葉が自然と紡がれていった。


 祓い給え 清め給え

 惟神 守り給え 幸わえ給え

 (くく)られし 魂霊(たまち) 放ちて

 惟神 魂霊(たまち) ()えませ


 加代子が祝詞を口にする。


 見物をしていた少彦名命は目を丸くした。


 加代子が祝詞を紡ぐ度、白い糸のような光が立ち上って、複数の複雑な魔法陣を結んでいく。


 それに比例するように小さかった頭上の水の玉は、両腕で抱えられないほどの大きさにゆるゆると膨らんでいき、魔法陣の色合いが白から青へと変色していく。


 やがてその水は生き物のようにうねったと思うと、最後の結界を破ろうとしていた橋姫を包んでしまった。


 暫くは黒い血を流しながらもがいていたが、息が続かなくなったのか脱力する。


 荒潮の潮の八百路(やおじ) 八潮路(やしおじ)の潮の 八百会(やおあい)にて

 罪穢れ 持ちて加加(かか)呑み込む 


 水球の中で、黒い墨のような邪気は祓われていき「悪鬼邪気、祓い清め、その名を奪わん」と言えば、橋姫は悔しげに「速水」と告げて意識を失う。


 雅はその様子を見計らって、加代子の耳元に唇を寄せると「伊豆能売(いづのめ)よ、そろそろおいでませ」と囁く。


 加代子は眉間に皺を寄せ「その名を呼ぶのはどなた?」と訊ねた。


「それは、こちらにお戻りになればわかる事でございます。」

「分かりました、そちらに参りましょう。」


 そして、魔法陣の色合いが一層濃い青に変わり輝くと、そのまま色は抜けて白く細く消えていく。


「もう目を開いていいですよ。」


 その声にハッとした加代子は、薄青い世界の中で「目を開けているのにどうやって目を開ければいいの」と戸惑った。


 見えるのは先程までと変わらぬ淡く青い世界と、金色に揺れる光の網だけ。


 いつの間にか、目の前にあったはずの祠もなくなり、加代子は雅の姿を探した。


「雅、どこにいるの――?」


 目を伏せたまま困惑した声で訊ねてくる加代子の様子に、雅は「少し奥深いところまで行かせすぎましたかね」と苦笑する。


「加代子さん、大丈夫ですよ。落ち着いて。」

「うん・・・・・・。」

「そういう時は、一旦、目を閉じてみて。」


 雅に言われるままに、水底で目を閉じる。


「閉じました?」

「うん・・・・・・。」


 不安げに返事をする加代子の様子に、雅はそっとその顎に手を添えると、鼻を擦り寄せるようにして唇を重ねた。


 びくりとして反射的に逃げようとする加代子を抑えこんで、そのまま深く口付ける。


「ん、ん・・・・・・ッ?!」


 舌を割り入れて、探るようにして絡めれば、さっきまで力の抜けていた加代子の手が雅の服を掴んで抗議するように引っ張ってきた。


 押し流される――。


 背筋がゾクゾクとして、顔が上気していくのが分かる。意識がだんだんとはっきりしてきて、薄目を開ければ、赤く燃える様な瞳の雅と目が合う。


 雅は悪戯(いたずら)めいた目に変わり、今度はわざと口内の敏感な所を刺激してくる。


(ちょっと・・・・・・ッ?!)


 何するの、と言いかけた言葉ごと吸われ、離して、と掴んだ手からは力が抜ける。やがて腰砕けになり、支えてくれている雅の腕に身を任せると、ようやく満足そうな表情になって唇を解く。


「な・・・・・・、に、するのッ!」


 開口一番に加代子が悪態をつけば、雅は可笑しそうにくつくつと喉を鳴らして笑った。


「目は覚めましたか? 眠り姫。」

「眠ってないし・・・・・・ッ!」

「では、迷い姫ですかね? 戻ってこられないご様子でしたでしょう?」

「いや、途中からわざやってたでしょッ!」

「少しばかり。ですが、助けて上げたのですからお礼を頂いてもよろしいでしょう?」

「お礼って・・・・・・ッ!」


 むくれている加代子を揶揄(やゆ)している雅の様子に少彦名命が溜息を吐く。


「あー、水を差して悪いが、そろそろ結界が破れるぞ?」


 加代子は少彦名命と目が合うと、恥ずかしさにますます顔を赤くした。


「ああ、いらっしゃったんでしたね。」


 悪びれる雰囲気もなく雅が言えば、少彦名命はわざとらしく肩を竦める。


「そういう所は本当に大己貴命の頃のまんまだな。」


 加代子をその腕の中に閉じ込めたまま「そうですかね?」と雅が満足そうに笑うと、少彦名命は相手をするのも面倒くさくなってそれ以上は突っ込まずに「ところで、この後はどうするんだ?」と訊ねた。


 雅は大きく育った水の玉を見上げる。そして、静かに罔象女神へ呼び掛ける。


 罪穢れ 加加(かか)呑みてむ 水の神に

 大願を 成就なさしめ給へと

 畏み 畏み 申す


 雅の声に水の玉は形を崩れ、まるで龍が空に翔けるようにして、渦を描き、辺りに漂っていた黒い靄も(よど)んでいた空気も瞬く間に一掃していく。


(うわ・・・・・・、綺麗・・・・・・ッ。)


 邸の南面に広がる池には雲間から漏れ出でた光が幾筋も降り注ぎ、水面はキラキラとその光を反射し、あとはにわか雨の後の晴れ間のような清々しい空気が残るばかりだ。


 少し頭上が曇ったと思えば、ふわりと白地に銀と青の流水紋の小袿を着た女の人が、袖を翻しながら舞い降りてくる。


「なんとまあ、酷い有様だこと――。」


 そして「諾」と答えてくれたのと同じ涼やかな声で「お気に入りの庭だったのに」と呟く。憂い顔をして残念がる仕草さえ美しく、流れるような所作に加代子は彼女の姿を目で追っていた。


「お帰りなさいませ、罔象女神。」


 雅の言葉に罔象女神は「はて、高天原の探し人によう似た男がいる」と目を細めて微笑む。


 一方、雅も流麗な笑みを浮かべて「他人の空似にございます。出回っている人相書きとは細々したところが違いましょう?」と返した。


「他人の空似でとぼけるのね? 今度は何をしでかしたのかしら?」

「さあ? また国を譲れと攻め込んでくるのでは? 此度は高天原に味方なさるというなら御相手致しますよ。」


 二人のやり取りに不穏な空気を感じて、少彦名命は「まあ、待て」と溜息を吐く。その声に罔象女神は目を丸くした。


「少彦名命?」

「ああ、そうだ。先ごろ幽世から戻った。」

「幽世から戻れるものなのですか?」

「ああ、どういう訳かは分からぬし、俄に信じられないかもしれないが本物だぞ?」


 罔象女神は眩しそうな顔で「お帰りなさいませ」と微笑む。


「ちなみに言っておくとだ、俺を幽世に閉じ込めたのは高天原の者共だぞ?」

「では、大己貴命が貴方を弑したというのは?」

「そんな話になってるのか? だとしたら、真っ赤な嘘だな。」


 少彦名命の言葉に罔象女神は、雅を見ると「では、()()を穢すような事はなさっていないのですね?」と訊ねる。


 それを聞くと雅はさっきとは違い、困ったような表情で「何を以て()()とするかによって変わりますよ」と話した。


 加代子は罔象女命を「敵」とも「味方」とも判別できず警戒をしたのに対して、雅はにっこりとして「我らがこちらにいる事は黙っておいていただけませんか?」とお願いをする。


「既に手配書が出回っているようですが、色々と追われておりまして。居場所を探られると困るんですよ。」


 心配そうな加代子の手を握ると、雅は「二度とこの(ひと)を離すまいと思っているのです」と罔象女神に訴える。


「高天原は加代子さんを探しています。恐らくあちらも宝玉の存在に気が付いたのでしょう。そして、死に物狂いで探している。淤加美神の眷属さえも誑かして襲わせるほどにね。」


 その言葉に加代子はハッとした表情で、水に濡れて、倒れ伏している橋姫を見る。


「この者の事は心配には及びません。先程、彼女の名を奪いましたから、私の眷属でもあります。」


 そして、水に飲み込まれ、すっかり邪気を祓われた橋姫は、しばらくこの常春の庭に留めるつもりだと話す。


「ただ、貴方たちとは相性の悪そうな子のようだから、一緒には居ない方がいいでしょうが・・・・・・。」


 雅は加代子を見る。加代子は「そっとしておいてくれればそれでいいよ。もう悪さしないんでしょう?」と話すから、雅は「やはり罰しなくていいんですね?」と訊ねた。


「罰? 何で? 大量の水で溺れるので十分苦しいと思うし。雅の攻撃で片腕も怪我してる訳だし。十分でしょ。」


 加代子が真面目な顔でそう言うから雅は「加代子さんならそういうと思いました」と笑い、罔象女神に「我らは落ち着いたら、場所を移す心づもりです」と話す。


「ただ、少彦名命や晴明、紫苑など、残す者たちの庇護をしてくださいますと助かります。」


⠀すると、罔象女命は「それでは、いつもとそう変わりがありませんね」と笑った。

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