火酒、煽る
日は沈み、ライトアップされた東京タワーがやけに近くに感じる。
雅が眠りについた頃、火産霊神も昏々と眠っていた。正直、背中に眠る神様をどうしたらいいか見当がつかなくて、ひとまず戻ってきたのが愛宕神社だった。
柊吾は裏手にエレベーターがあることを知らなかったから、火産霊神を背負ったまま大鳥居を潜り、うんざりするような急勾配の階段を見て天を仰いだ。
少し待ってみたが迎えらしき者も来ないところを見ると、日枝神社の時とは違って雲でひとっ飛びともいかないらしい。仕方なくヘトヘトな身体に鞭を打って、愛宕神社の階段を上がる。
しかし、やっとの思いで境内に足を踏みいれば、「そこの者、止まれ」と呼び止められる。
柊吾は心の底から溜め息を一つ吐いた。
声のする方を見れば、歳のころは五、六十といったところの男性と、二十歳前後といった年頃の女性が立っている。
柊吾が緊張したのは、その気配が人のそれではなく、どちらかと言えば火産霊神のそれと近かった事と、背負われた火産霊神を見て、男が厳しい顔付きになったからだった。
「火の御神使いの者よ、火産霊神はいかがした?」
あの長い階段をやっとの思いで登ってきたのに、歓待されるどころか詰問される。ひとまず、ずり落ちそうになる火産霊神を背負い直すと「火産霊神が他の神を神降ろしをなさったのです」と答えた。
すると、まだ何か言いたそうな男の袖を女が引いて止めてくれる。
「大山祇神、ひとまずは中へ入れてやりましょう。」
「だが、罔象女命よ、こやつは人の子ぞ?」
「そうは仰せですが、火産霊神のあの様子。先に休ませねばなりますまい。」
その言葉に「致し方あるまい」と呟き、社の神域の入口が開く。
「火産霊神を休ませるためぞ。話はまだ終わっておらん。」
柊吾は大山祇神に頷き、罔象女命に頭を下げると、本日三度目の神域の中へと足を踏み入れた。
「火産霊神の邸に入るのに、少しばかり貴方の力を使いたいのだけれど、火は灯せる?」
「ええ、ライターの火程度でいいですか?」
「十分よ。」
そう言うと罔象女神は水の輪を作ってくれて、「今です、火を」という言葉に従って、指先に灯した火を近付ける。すると、水の輪の向こう側の世界に女童がいて、火産霊神の様子を見ると「主様」と顔色を変えて近づいてきた。
「煌、御神使い殿を奥へご案内して差しあげて。」
「承知致しました。」
煌と呼ばれた女童は綺麗な立礼をすると、「どうぞこちらに」と柊吾を奥の部屋へと誘う。
「ひとまず話は後にしましょう。ここより内に入って、まずは火産霊神を休ませて上げて。」
罔象女神にそう言われると、柊吾は頷き、意を決して水の輪の向こう側へと足を踏み入れた。
「こちらにございます。」
先を急ぐ女童について邸内を進むと、最奥の間にまで通される。その部屋には屋内にも関わらず、ゆらゆらと火が焚かれていた。
「これは・・・・・・?」
燃え盛る火があるのに、不思議と部屋の中は暑くはなく、むしろその火の揺らぎを見ていると今までの疲れが軽くなるようだ。
「こちらは火産霊神の御神体にございます。」
そして、案内してくれた女童は、祭壇から瓶子を持ってくると、「御神使い様、召しませ」と神酒を注ぐ。
「いや、呑んでる場合じゃないと思うんだけど・・・・・・。」
しかし、女童は首を横に振る。
「神酒は魅と気に通じまする。御神使い様が召さば、火産霊神の御力も徐々に戻られましょう。」
そう話してお猪口に透明の酒を僅かに注ぐ。柊吾はそれほど酒に強い方ではなかったが、渋々、「日本酒を一口なら」と思って口にしたが、それは舌が痺れるほどに度数が高く、燃えるようにカッと身体が熱くなった。
(これ、まさか、スピリタスッ?!)
アルコール特有の鼻に抜ける感覚と喉を焼くような熱さに眉根を寄せる。
「ささ、私と共に酒祝ぎの言葉を。この神酒は、我が魅、気ならず、酒の神。」
常世に坐す 石立たす 少名御神
神寿き 寿ぎ狂ほし 豊寿ぎ 寿ぎ廻おし
献り来し御酒ぞ あさず食せ 神楽声
そして、煌が酒を火の中に投じると火勢が一気に増す。眩しさに目を閉じて再び目を開ければ、歳のころは火産霊神と同じ頃で、スチームパンクな世界からやってきたような少年が立っていた。
「俺を呼んだのはお前か?」
「呼んだ・・・・・・?」
すると「我らがお願いしてお呼び頂きました」と、こちらもいつの間にか二人になった女童が答える。急に現れた少年も二人の姿に目を向けた。
「私は炬。こちらは煌。この社の屋代神にございます。少彦名命には急なお呼び立てをしてしまい、申し訳ございません。」
そう話す女童は声色や顔立ちが僅かに先程の子と違う。
「それは構わぬ。だが、屋代神が神使に力を使わせて呼び出すとは珍しいな。社の守護が主であろう?」
「我らの主の状態が、急を要しましたゆえ。」
少彦名命はその言葉に柊吾の傍らに眠る火産霊神の姿を見る。そして、一気に険しい表情になった。
「火産霊神に何があった? このように神威を使ってしまうとは。」
少年のなりをしていても、今様な格好をしていても、火産霊神や神皇産霊神のためしもある。柊吾は居住まいを正すと、炬の代わりに「日枝神社で国常立尊を降ろしたのです」と答えた。
「国常立尊を降ろしただと?」
「はい――。」
神妙に答える柊吾の様子に少彦名命は大仰にため息を吐くと「次から次へと」とぼやいた。
「こっちは大己貴と須勢理の事で手一杯と言うのに。」
「加代子ですか――?」
少彦名命は柊吾の顔を見ると目を細める。
「お前、雅信と加代子に縁があるのか?」
「仰る《加代子》が火産霊神と縁ある《加代子》なら、それは私の妹です。」
そして、あまり詳細に思い出せてはいないが、古に大己貴命に助けられた鼠だとも話す。それを聞くと少彦名命は頬を引き攣らせた。
「常世から戻れたと思ったら、これだよ・・・・・・。やはり意味無くあそこから解放などされないか・・・・・・。」
少彦名命は火産霊神に《気》を分けるべく、御神体の火に向かって、「一二三四五六七八九十」と数えながら、スピリタスと呪符をともに捧げる。それから日枝神社で見たのと同じように、やや黄色っぽい光を産むと、「震え ゆらゆらと 震え」と唱えた。
幽世の 千引の岩の
石立たす 国常立尊
畏み 畏み 物申す
十種の 生玉 振り振りて
乞い願わくは 今一度 霊・腑・身を結び
幸魂 奇魂 守り給え 幸い給え
少彦名命の持っていた黄色っぽい光の玉は輝きを増し、火産霊神の身体の中に吸い込まれていった。
「魂結びをし直したから、これでひとまず大丈夫だろう。」
炬と煌にそう言うと、二人は安堵の表情を浮べる。一方、少彦名命は柊吾の方へと向き直った。
「さて、今度はこちらか。国常立尊は火産霊神に降りて、何か仰せになったのか?」
「はい、八岐大蛇が目覚め、《大峠》が来ると。あと、審神者が始まるとも仰せでした。解釈に困りますが、『幽世への鍵を持つ扉の開き手を連れて来よ。さすれば道は開かれん』と仰せです。」
それを聞くと少彦名命は炬と煌に「大山祇神や罔象女神はいるか?」と訊ねた。
「はい、御座します。主の身が落ち着き次第、御神使い様を連れて参れと申し仕っておりました。」
「ならば、一緒に我も案内せよ。」
炬と煌は少彦名命に恭しく「畏まりました」と言うと、炬が「では、こちらへ」と先導を始める。柊吾はまだ顔色の悪い火産霊神の様子に立ち去り難く思って躊躇した。
「御神使い様、ここには私が残りますゆえ、ご安心くださいませ。」
煌に言われて、後ろ髪を引かれつつも頷くと、柊吾は炬と少彦名命の後に付いて、部屋の外に出る。
「お前は大丈夫か? お前の魂の火で魂が解ききらぬように維持して帰ってきた様子だが。」
「ええ、多少疲れはありますが、スピリタスを気付け代わりに飲んだからでしょうか、意外と大丈夫です。」
「あれを飲まされるくらいに弱っていたのか・・・・・・。ならば、これものんでおけ。」
そうして渡されたのは「少彦名命印の万能薬だ。よく効くぞ」と緑色の液体の入った小瓶だ。少彦名命は「前に別の奴に飲ませた時よりは、幾ばくかマシな味になっているはずけどな」とカラカラと笑う。
「これから大山祇神とももう一戦だろ? 少しばかり回復薬は取っておいた方がいい。」
少彦名命にそう言われると、柊吾は意を決して青汁のようなそれを飲んでみる。しかし、若干の青臭さはあったが、ミントが配合されているからか、覚悟したよりは飲みにくくなかった。
「味はどうだ?」
「以前は分かりませんが、そう飲めない味でもないかと。」
「それは良かった。改良した甲斐があったというものだ。またあいつにも飲ませてみよう。」
少彦名命はそう言うと悪意のある笑顔を浮べる。
「あいつ、ですか?」
「ああ、お前の主も幽世から戻っている。」
「大己貴命が、ですか?」
「ああ、お前や加代子と同じで人の世に転生してるから、もしかしたら、すぐにそれとは分からないかもしれないがな。」
そうこうしている内に炬に「こちらでございます」と言われて、通された先は大山祇神の神域らしく建物の雰囲気が火産霊神の所と変わっていた。
「大山祇神、御神使い様をお連れしました。」
「入られよ。」
職員室に呼び出された学生の心地で、炬に続いて入れば、大山祇神は少彦名命の姿に目を見開く。
「お久しうございます、大山祇神よ。」
「常世の国から戻られたのか?」
「ええ、不意に根の堅洲国に戻ったのです。」
そして、今は素戔嗚尊に依頼されて、槐の精霊に力を借りて須勢理毘売命と共にいる事、大己貴命が荒御魂として黄泉に降っている事を話す。
「こちらに戻ろうかとも思ったのですが、高天原の動向が分からない。考えなしに戻れば、この身もこちらも危うかろうと隠れていたのですが、火産霊神の神使に呼ばれてしまった次第。」
「少彦名命はこやつを神使として認めるのか?」
「ええ、もちろんです。彼の者は元は大己貴命の神使。火産霊神と大山咋神はそれを保護する意味合いもあって、人の身であるこの者を眷属として迎え入れたのでしょう。」
「大山咋神が加護を与えた、と?」
「先程、私が重ねがけをしたばかりなので、分かりにくいかもしれませんが、感じませぬか?」
大山祇神は柊吾をじっと見つめ、胸元のポケットに入れていた勾玉から大山咋神の気配を感じ取ったのか嫌な顔をする。
「偽りではないようだな――。」
一つ嘆息して、大山祇神は目を伏せる。
「神同士の諍いに人の子を巻き込むなどすべきではないと思うていたが、大己貴命の関係者であれば、否が応でも巻き込まれるな。」
「そういう事です。それなら人の身ながら神使として認めて、使えるように鍛えればよろしいかと。」
大山祇神と少彦名命が自分のことを無視して話す内容に、柊吾は呆気に取られる。大山祇神が「致し方あるまいな」と言いながら、座るように勧めてくれる。
柊吾がどうしたものかと少彦名命を見ると、「この者はまだヒヨっ子ですので同席しても差し支えないですか?」と訊ねる。
「ああ、構わぬ。人の子よ、人の身で神ごとに関わるのだ。下手をすればお主の魂なぞ、簡単に吹き飛んでしまう。それゆえ、心して聞くが良い。」
そう言うと大山祇神は長い話を始めた。




