俺を殺るつもりなら・・・
「見やがったな」叫ぶと共に奴は殴りつけてきた。避けようと思えば楽に避けることが出来た。声だけは凄味をきかせていたが、腰のきまらぬ手先だけのパンチであった。だから。俺はかえって避けなかったのかも知れない。スナップをきかせているわけではないから、奴の拳固は鈍く俺の頬に当たっただけであった。。俺はわざとよろめき「見てません・・・・いえ・・別に何も」と機嫌を伺うように言った。逆らうと後で面倒だ。ここは、クラブ“ジュリー”の地下室だ“ジュリー”は、クラブと言っても、ナイト・クラブではない。ホステスを一学級ほど抱えた会員制の高級バーだ。一晩この店で遊ぶと最低8万はふんだくられる仕掛になっている。給料が多いのでこの店で先月からボーイをやっている俺は、主任やに言われて酒倉にブドー酒のカメを取りに来たのだ。酒倉の隣の小部屋があり、ドアが開いていたので、どうしたものかと軽い気持ちで中を覗いたら、この五人連れに部屋の中に引きずり込まれたのだ。五人のうち、三人は顔をよく知っている男だ。店のマネージャーと仲がいい。客とも店の人間ともつかぬ様子でほとんど連夜カウンターで粘っている。上品ぶった服装をしているが、暗い過去の滲み出た顔、肩を怒らせた体からヤクザのレッテルが読みとれる。三人とも勘定を払っているところを見たことがない。客が三人に近づくと一緒に暫く何処かに消えて、またカウンターの止り木に戻ってくる。俺が覗いたとき、部屋には七輪に炭火が灼熱していた。さっきまで客席にいたのを覚えている客の一人が上着を脱ぎ袖を捲ってその腕の内側に二人のヤクザが注射してやっていたのだ。俺に気づき注射器を炭火の中に放り込む・・・。「この野郎、ふざけやがって」奴ーヤクザの一人で背が高い方の、後から知ったが名前を守山という男が再び拳を固めた。「見たろ?」守山の相棒のこれも後で知った名前だが横井も、低い声で俺に言って七輪のほうを睨んだ。注射器のガラスは熱で溶け始めていた。「何も見てない。たとえ見ていても私には何も見えなかったんです。早くいい使った仕事を済まさないと主任に叱られます。もう勘弁して下さい」俺は頭を下げた。「犬め!薄汚ねえスパイ根性を出しやがって」守山は歌うように言って、また俺の頬をひっぱたいた。ーー殺してやるーー「殺っちまえよ」薬が効いてきたのか、焦点の定まらぬ瞳になり、泳ぐように体をふらつかせながら、客が守山にけしかける。「そうだなーーー」守山が精一杯に薄気味悪い笑みを浮かべ「しゃべらぬように焼を入れてやる」と、凄みながら、俺の後ろに回り込んで襟を掴んだ。「やめてくれ。私は何も見なかった・・・」俺は弱々しく言った。「そう。お前は何も見ていない。何も見ねえし、何も聞かなかったんだ。その事を忘れるなよ」守山はそう言って俺の顔を七輪に焔った炭火に近づけようとした。横井は唇を歪めて笑っている。七輪の中に投げ込まれた注射器は、熱でガラスがルビーのような色に変わっていた。守山は体重をかけて、俺の顔を火に近づけようとする。「よしなよ!」俺は思わずついに言った。俺の悪い癖だ。ある程度までは我慢できるが、その一線を越えると自分を自分で扱いきれない。「なにぃ?」守山が驚いたようだった。さっきまで俺の体を動かせていたのに動かなくなったのだ。横井の冷笑も消えた。いい機嫌なのは薬に酔った客だけだ。「よしなと言ったんだ。くどいぞ。メンスのあがったババアじゃあるまいし」俺の口から耐えていた言葉が飛び出した。「この野郎!」守山は渾身の力を込めて俺を七輪に押しつけようとする。俺は素早く肘で守山の顎に殴りながら避わした。目標を失った守山は膝をついた。そのまま、七輪に向けて勢いよくブッ倒れた。火花が散り、灰神楽が舞い上がった。守山は胸から七輪に突っ込んだ格好になったのだ。七輪は割れる。そして守山は、服の胸に燃え移った火を夢中で両手で叩きながら、絶叫しながら転げ回った。一瞬茫然と立ち尽くしていた横井は、痙攣するように尻ポケットに右手を走らせる。俺はそのときには横井に手が届く距離にまで跳び込んでいた。左足は少し不自由だったがそうスピードないわけでもない。腰を十分に落としてから、延び上がるようにして放った渾身のフックが横井の顎を砕いた。尻餅をつこうとするのを、左手で抑えておき、胃の真ん中、鳩尾に右のショート・ストレートを突き刺した。横井はジャックナイフのように体を折った。俺が左手を放すと横倒しになったが、両膝は背が丸まった上体の胸にひきつられて痙攣している。呻き声を漏らさぬのは、気絶しているからだ。守山のほうは、炎が消えて燻っている胸を抱えてのたうっていた。そして薬を酔った客だけが、何が面白いの顔をのけぞらせて笑っている。久しぶりに人を殴ったので、俺の拳は少し疼いていたが、俺はその客に歩み寄る。サンド・バックに見えた。腰が十分に廻った俺の右フックの一発が、そいつを壁に叩きつけた。ー俺は、グラブをはめた右手を高く挙げる。俺の名を喚くリングの周りの歓声を、一瞬聞こえたー横井の尻ポケットからハジキが出てきた。モーゼルHscの口径七・六五ミリの自動式。退屈でおまけに、銭がないときなど、貸し本屋で大藪とかというあんまりイカさない男の拳銃小説を読み散らしていたから、ハジキの操縦法は知っていた。その小型モーゼルの弾倉を抜いてみると、七発の弾が詰まっていた。遊底を引いてみると、薬室にも一発おさまっていた。俺は遊底を閉じて弾を薬室に戻し、擊鉄を抑えながら静かに倒した。弾倉も銃把の中に戻した。俺は生憎ボーイの制服を着ているから、ハジキを隠す大きなポケットはない。仕方なく上着のボタンを外し、ズボンの内側に突っ込んだ。そして上着のボタンをかける。薄暗い照明だから、外から見ただけでは一寸分からないだろう。俺はそのまま、立ち上がりかけたが、念のために気絶している男達のポケットを探った。横井の内ポケットから、革サックが出てくる。三十発ぐらい弾が入っていた。守山の大型シガレットケースを開けてみる。薬包がギッシリと詰まっていた。薬包みの一つを開けてみる。白い細かな結晶。舐めてみるまでもなくヘロインらしかった。俺は弾のサックと薬包みの入ったシガレットケースも頂いておいた。ヘロインも無断借用したのは、左の膝が痛んで耐えられないときに、鎮痛剤として使うためだ。部屋を出た俺は隣の酒倉の錠を開いて中に入った。甘酸っぱい匂いが漂う酒倉にはビールやウイスキーの箱が高く積まれ他の種類の酒はそれぞれまとめて置かれている。主任に持って来いと言われたのはキャンティのブドー酒の藁かぶりだ。そのカメを肩に乗せ、地下室の階段を昇っていく俺の左足は軽くびっこをひいているのがわかるだろう。忌ま忌ましい左膝の神経痛め。こいつのおかげで俺は、二年のときにすでにライト級の大学チャンピオンまでにいったボクシング生活とサヨナラしなければならなかったのだ。最初の痛みは二年前、プロにスカウトされ、A級ライセンスのテストのスパーリング中に突然起こった。左膝が締め付けられるような、骨が腐っていくような耐え難い激痛に捕らわれ立っているだけで精一杯だった。俺はKO寸前までおいこんでいた六回戦ボーイにサンドバックのように打ちまくられた。テストに落ちると、冷たいものであった。スポーツ新聞は俺を含めた大学ボクシングの実力を糞ミソに貶し、俺は名誉を傷つけたという訳で大学の部からも相手にされなくなった。膝の痛みはいつもあるわけではない。だが縄跳びやロード・ワークを十分も続けると骨を刺すような痛みが起こり、休止すれば体温が下がってくるにしたがって苦痛が増す。体重は増えてウェルターを越しミドルになった。これではボクシングが続けられるわけがない。俺はリングを離れた。今では誰も俺を覚えていないだろう。華々しく闘っていたときは、後援者のおかげで学費や生活費も必要なかったが、俺が再起不能と分かると暴落した株券を見る目付きで俺を見た。俺は生きていくために働いた。だが、頭に来ると何もかも虚しくなってしまう悪い癖が俺に取り憑いて一つの職場で二ヶ月続いたことことがない。今のボーイで五つほど職が変わった。大学も三年のとき落第してからたまにしか行っていない。だが、大学だけは卒業したい。大卒なら二流会社なら簡単に採用してくれるだろう。そこで少し働いて失業保険がもらえる資格が出来たら飛びだして、六ヶ月を勝手に過ごし、また次の会社に入ってから辞めてブラブラしたらいいのだ。朝方、気温が下がって膝が腐っていくような痛みに捕らわれたときなど、俺をよく、ハジキを頭に圧し当てて引き金を引く姿を想像することがある・・・。階段を昇り、バーのドアを開くと、濃厚な煙草と香水の匂いが顔を包んだ。薄暗いボックスから、猫のように喉を鳴らす女達と、上ずった酔客のダミ声が聞こえてくる。ステージの裸のショーを見て我慢しきれずホステスを促して二階に続く階段を昇っていく客もある。二階には事務所や更衣室の他に寝室も幾つか用意してあるのだ。厳重な会員制だから、外部に漏れることはない筈らしい。バーのカウンターは奥まった一角にあった。中年を過ぎたバーテンが七人ほどいる。カウンターに座っている客は見えない。マネージャーだけが腰を乗せている。「遅かったじゃないか」カウンターのそばで苛立っていた初老の主任ボーイが、俺を低いが耳障りな激しい口調で叱り「盗み飲みでもしてたのか。鍵を返せ」と、付け加えた。俺はブドー酒のカメをバーテンに渡し、主任に酒倉の鍵を返す。のっぺりした二枚目マネージャーが、ガラス玉のような目で俺を見た。フッと立ち上がって地下室に消えた。「何をぼさっとしている。これを五番のボックスに運ぶんだ」バーテンがカウンターに置いたブドー酒のグラスのトレイを顎で示し示して、主任はまた耳障りな声を出した。それからも、俺はボックスに酒を運んだり酔っぱらいをトイレに連れていったりしながらも、マネージャーが消えたドアに注意を払っていた。だが、マネージャーはなかなか出て来なかった。別の扉から直接に二階の支配人室に戻ったのかも知れない。俺は苛立ってきた。思った通りだった。裸のショーが終わり、ダンスショーに変わったとき、正面階段と違って物蔭についてやはり二階に通じている階段からマネージャーが降りてきた。マネージャーは普段より更に無表情であった。極度の緊張を示している。ショーには目もくれず、真っ直ぐにカウンターに歩いたマネージャーはチーフバーテンに低く耳打ちした。銀髮のチーフバーテンの顔に驚きと不安ともつかぬ表情が浮かぶ。ボーイ主任が、その表情をとらえてカウンターに歩み寄った。マネージャーは主任にも耳打ちした。主任は、まさか、と言っているらしく、激しく手を振っていたが、怒りの表情で客席の間に俺の姿を捜した。俺は客がうわの空で咥えた煙草にライターの火をつけてやりながら、主任の刺すような視線を頬に感じた。マネージャー、チーフバーテン、主任ボーイ達はカウンターを離れ、シュロの植込み蔭で大分長く協議している様子だ。それが終わるとマネージャーは再び二階に戻っていった。入れ代わりに、三人いるクラブの用心棒の一人、木次がカウンターに降りてきてグラスを唇に運びながら俺の様子を伺っている。俺は素知らぬ様子で働き続けた。このクラブのラストは午前二時だ。あと三十分ほどだ。もっとも、二階に上がった連中が中々降りてこなかったりして、実際に閉店になるのは三時半頃になるが、俺のような下働きは二時で解放されるのだ。二時までの三十分をジリジリしながら待った。一時五十分ーーラストの“蛍の光”と共にいつものようにすべてのライトが十分間消された。ホステスの嬌声と男達の呻くような声と喘ぎとキスの音、さらに、パンティが破られる音や濡れ雑巾を軽く続けざまに叩くような音までが交錯する闇の中で俺は足音たてずに移動して襲われる場合にそなえてポケットからモーゼルを出してきっちり握る。灯りがついたときには、どのボックスでもまともな格好をしている男女はいなかった。スカートを拡げて股の上に乗った女を羽交い締めにして喘いでいる者など、まだ慎ましい方であった。だが、俺は見慣れたその痴態はめに入らない。俺が見たのは灯りが消される前に俺が居た場所に用心棒の木次が凶暴な顔に戸惑ったような表情を浮かべて突っ立っているのだ。マイクは閉店をアナウンスしている。木次は俺にクルッと背を向けて蔭の階段の方に去っていた。俺は握っているモーゼルをポケットにしまった。この店にボーイは三十人近くいる。まだ、女を離さない客に、二階の個室に移るか或いは再度の御来店の折りを利用するように懇願し、俺達はテーブルを片付け始める。俺達の更衣室は二階の隅にある。隣にあるホステスの部屋よりずっと狭い。片付けが終わった俺達の三分の二はその更衣室に入った。三分の一は、二階の個室係として残るのだ。狭いスペースで着替えながら俺は拳銃や弾入れや薬包みを私服の革ジャンバーに移し変えるのに苦労した。 同僚のボーイ達は卑猥な言葉を喚きあっていた。同性愛の奴等もいて、囃し立てられろと尚得々として抱き合って見せた。最後の点検の時も、マネージャーら俺に対して何も言わなかった。まるっきり惚けきっていた。クラブの裏口に続く階段を俺達は着替えを済ませたホステスと共に揉まれ出た。外の空気に触れると呼吸が楽になった。クラブの裏には、帰りのホステスを待つ自家用車が犇めき、車窓のガラスを下ろした酔客達が、それぞれの一夜の相手の名前を呼んでいた。俺のアパートまでにはタクシーを拾わなければならない。もうに時半近いから、電車はないのだ。クラブの寮もして称するアパートがあり、俺はそこに住んでいる。このアパートは食費はタダだが居残りの仕事をやらなければならない。夜の遅い東京でもこの時間ではほとんどの店は閉まっている。俺は革ジャンのポケットに手を突っ込んで、片足を引摺りながら、表通りを歩く。いつもなら同じ方向に帰る同僚と相乗りで車を拾うとするのだが今夜は早く一人きりになりたかった。都電のレールが鈍く光る大通りを、客を乗せたタクシーや白タクが気狂じみたスピードでフッとばしている俺は歩道の端に立って、右手を上げた。そのうちに空車が来るだろう。そのとき、道の向こうのデパートの横の道から、黒塗りのオースチンがレールを横断して俺の方に近寄って来た。白タクだと思った俺は車道に降りて不用意に、近づきかけた。オースチンはいきなりスピードを上げた。俺は横に跳び、被さるように迫って来たオースチンから危うく逃れた。オースチンは歩道に乗り上げた。右にハンドルを切り、歩道を走ってからガタンと車道に降りて遁走した。ナンバーがはっきり見えた。しかし、それを覚える必要はなかった。運転手はソフトの庇をさげ、コートの襟を立て、御丁寧にサングラスまでかけていたがクラブの用心棒の木次であったからだ。今度は用心深くタクシーを拾った。あとを尾けてくる車がないか時々確かめながら、俺はポケットの中で拳銃を握り締めていた。心強い。アパート“清風荘”に着いた。このアパートは安普請の建売り住宅やアパートが建て込んだ一郭にあった。タクシーから降りた俺は、二階の一室にある部屋に入る。俺の部屋は入ったところが辛うじて身動き出来る程度の台所が付いた六畳の部屋だ。部屋が殺風景なのは仕方ない。机が一つと卓袱台と、隅の万年床の他に畳に積まれた本の山と汗と血が滲んだグラブとシューズとパンチングボールぐらいが目ぼしい品だ。扉に鍵をかけた俺は、蒲団の足許の電気アンカのスイッチをいれておき、ヤカンをかけたガス焜炉に火をつける。机に前に座って拳銃を取り出してみた。そのモーゼルHsc自動拳銃の銃把はポケットの中で握り続けていたために脂汗で湿っていた。薬室と弾倉から全部の弾を抜き壁のシミを目標に空射ちを繰り返す。ダブルアクションだが、引く前に擊鉄を起こしておくと、引き金は絞っただけで軽く落ちた。ヤカンの湯が沸いた。俺は舌が焼けそうに熱いインスタントコーヒーをカップ二杯飲んだ少し体が暖まった。拳銃に装填し、内ポケットからヘロインの薬包みが入ったシガレットケースを出した。薬包みの一つを開いて、無色の結晶をほんの少し指先につけて舐めてみる。アルカロイド特有の苦味を感じさせると共に、舌が軽く痺れた。もっと味わいたいが中毒になるのは御免だ。日差し苦痛に耐えきれないときにだけ鎮痛剤として使おう。俺は薬包みを畳んだ。シガレットケースから出した薬包み三十以上をひと纏めにして、台所の小さな棚に乗った砂糖の缶の中に埋めた。万一に備えて、一包みだけをポケットに入れた。時計を覗くと三時半だ。俺は電気アンカのコードを抜き、ジャンバーとズボンを脱いだ。電灯を消して蒲団の中に潜り込んだ。蒲団の中でも俺は拳銃を腹の上に乗せている。目をつむるが中々寝つけない。コーヒーのせいだけではない。クラブ“ジュリー”が売春だけでななく麻薬密売の巣であることもはっきりした。奴等はきっと俺に仕返し来るだろう。さっきは轢死させようとして失敗したから今度は慎重に来るだろう。俺は闇の中に瞳を据えて待った。待つのは辛かった。廊下に忍びやかな足音がしたのは一時間程経ったときであった。続いて、部屋のドアの鍵穴に金属が差し込まれた音がした。その音がかなりの間ひっそりと続いたところを見ると、細工したピンセットか何かで解錠しようとしているらしい。俺はわざと寝息を立てて、待つ。蒲団の中で拳銃を握りしめている。鍵が開いた。ドアが開かれる長さが十分程かかったように感じた。懐中電灯の光が部屋の中を這いまわった。足音からして部屋に入ってきたのは二人だ。用心深くドアは閉じられた。俺は目を瞑っていた。潜入者は土足のまま俺の蒲団に近づいた。「起きろ。騒ぐんじゃねえぜ」用心棒の木次の声と共に、俺の掛け布団は蹴りのけられた。俺の顔に懐中電灯の光が当たった。「待ってたよ。遅かったじゃないか?」俺はモーゼル拳銃を、光線の後ろにボウッと見える木次の胸に向けて親指で擊鉄を起こした。深夜の静けさの中で、擊鉄の起きる乾いた音が異様に高く谺する。木次と、その横の男の唇驚愕の呻きが漏れた。その男は、クラブのマネージャー室に出入りしていたのを幾度か見かけたことがある。名前は吉本とか言った。吉本は右手に刃を開いたゾリンゲンの西洋剃刀をを持っていた。凄く切れそうだ。木次は光を消失させて俺を一瞬、盲にしようと懐中電灯のスイッチボタンに親指を伸ばしかけた。「よせよ。灯りを消したら、同時にブッ放すぜ。誰に当たっても構わないから、出鱈目に弾倉が尽きるまで撃ち尽くすぜ」俺は警告した。「ま、待てよ。落ち着くんだ」吉本の方が慌てて言った。「ああ、落ちついててやる。あんたは手に持っている物を捨てて、電灯をつけるんだ。早くしろ」俺は言い放つ。吉本の手から剃刀が滑り落ちた。手探りする動作で電灯のスイッチを捻った。裸電球の中で、二人の様子が見えた。木次は、ボーイとして大人しく働いていた俺をよく知っているだけに、冷笑を浮かべて拳銃を構えた俺が、まだ信じられぬと言った様子だ。俺は素早く捻りながら半身を起こした。木次は反射的に跳びかかってこようとしたが、俺の目の光を見て体を固くした。「俺を殺るつもりだったんだな。マネージャーの命令か?」俺は言った。夜気が冷たく俺は左手を伸ばして革ジャンを左膝に被せて痛みが起こるのを防いだ。「そ、そうだ。マネージャーに言われた。だけど、あんたを殺すつもりはなかった。嚇かしてブツを返してもらおうと思っただけだ」吉本が喋った。「黙れ、お前は口が軽すぎる」木次が吉本を叱った。「あんたの口も俺が軽くしてやるぜ」俺は言って立ち上がる。今度、木次は俺をめがけて肩から巨体で体当たりをしてきた。まともにくらったら、壁に叩きつけられ、俺はノシイカになってしまうだろう。だが、俺にとってはそれを避けるのは優しい事であった。目標を失って壁に突っ込みそうにになり、危うく姿勢を立て直そうとする木次の耳を俺は、擊鉄を親指で抑えて暴発を防いでいるモーゼルで、おもいっきりひっぱたいてやった。耳を鋼鉄で殴られて答えない奴はいない。木次はあまりの激痛に悲鳴さえあげれずに横倒しになった。部屋が揺らぐ。明日は下の部屋の奴から文句を言われるかも知れない。木次の耳は裂けて血が出ていた。発作的にその傷口を木次は抑えようとそるが、脳震盪も起こしていて、足が面白いように痙攣している。吉本に俺は銃口を向けたが、その必要はなかった。両手を開いて無抵抗の意思表示をしている。俺は吉本のそばの畳から素早く剃刀を拾った。それで、木次の右の手首の筋と神経を切断すろ。動脈は避けたので大した住宅出血はないが意識が回復したとき、木次は用心棒失職の心配をしなければならないだろう。俺は吉本の方を振り返った。吉本は黄色っぽく蒼ざめた顔に大粒の汗を浮かせ、「な、何でも喋る。不具にしないでくれ!」と、呻いた。吉本を壁に向けて立たせておき、俺はズボンを履き革ジャンバーを着た。木次は意識を取り戻し、血が滲み出る右手首を左手で抑えて、弱々しく俺を罵り続けている。「よし。尋こう。あんたの役割は?」俺は吉本に問い掛けた。「俺はケチな情報屋、つまりタレコミ屋だ。鍵なしで鍵を開けるのも得意で無理矢理連れてこられたんだ」「この嘘つきめ」木次が吐き出すように言い、「こいつは殺し屋なんだ。実力の程は知らないがそういう触れ込みだ。自分では普段そう自慢してやがる。俺は命令を受けたが、お前を殺るのは気が進まねえと言ったんだがこいつが手伝ってやると割り込んできたんだ。それを、俺にだけ罪をなすりつけようとしやがって!」と、唸った。「やっぱり俺を殺るつもりだったんだな。薬は何処から買うんだ!」乗りかかった船だ。俺は最後まで漕ぎ通してみようという気になっていた。どうせ、このままズルズル長生きしたところで、大したことはない。「知らん。俺に聞いても知るわけねぇ」吉本は言った。「そうか、マネージャーの用心棒さんなら知ってるだろうな」俺は木次に近づき、その傷ついていない方の耳に左手の剃刀を当てた。「知らねぇ。殺されたって知らないものは知らなぇ」木次は喚き叫ぶように言った。俺は鋭利なゾリンゲンの剃刀で奴のその耳を深く切った。たちまち傷口から溢れ出た血が、音を立てて蒲団に落ちた。「今にズタズタなはしてやる。そして、仲間がこんなめに合っているのを、お前さんは自分だけが助かりたいために黙って見ていたことを言いふらしてやる」俺は吉本に嚇しの如く言った。吉本の鼠のような顔に紛れもない恐怖の表情が剥き出しになった。喘ぐように、「そいつだけは勘弁してくれ・・・・この木次を片付けて・・・消してくれたら俺は何でも喋る。こいつが生きていて!俺が裏切ったことを告げ口しやがったら俺の命はないんだ」と、懸命に言った。「犬畜生」木次は自由に動く左手で吉本を捕まえようとした。吉本は木次の手に噛みついた。木次は唸り声を上げて、それを振り払ったが出血で顔が蒼ざめている。「そうか。安心しろ。こいつはもうじき出血多量で死ぬ。喋ってくれたらあんたがどんなに口が固かったかをたっぷり宣伝しといてやるよ」俺は吉本を安心させるようなことを言ってやった。「マネージャーは、マネージャーだ。薬は社長が仕入れて、マネージャーが通じてクラブで売りさばく」吉本は喋った。その間、木次は吉本を黙らせようと唸り声をたてている。「社長の仕入れ先は?」俺は尋いた。「そ、そんなことまでは知らねぇ」吉本は顔を振る。「よし。マネージャーの所まで案内してもらおう」「それだけは勘弁してくれ。手引きしたことになって、後でリンチに会う」「贅沢をいうんじゃない。命と引き換えでなければ、俺の言うことに嫌だとは言えないはずだぜ」「・・・・・」「あんたはこんなところで俺が拳銃をブッ放すはずはないとタカをくくってるだろう。ところがそいつは大間違いだ。間違いだよ。俺は生きてたってしょうがねえ男なんだ。だけど、舐められて大人しく震えているのも性に合わねぇ。アタマに血が上ったら、もうあとの事は考えねえんだ。だけど、どうせ死ぬのなら、思い切り暴れて世間様にもあんたのような蛆虫達にも大いに迷惑をかけて死にてえよ」俺は吐き出すように言った。本音であった。「分かったよ。俺は死にたくねぇ。俺が死ぬと、俺のために泣く女が多すぎるんでなぁ」吉本はわざと気楽そうに言った。木次の手首や耳からの血は止まっていた。頑強そうな体格だけはある。。しかし、蒲団や畳に落ちた二リッター程の血の量から見て分かるように、顔は土色になり、爪なども完全にちの色を失って、もう口を開く気力くもないらしい。「よし、この男を運び出せ」俺は吉本に命じた。「木次を?」振り返った吉本の顔は困惑しきっていた。木次の体重は100キロはあるだろう。「ああ。背負うんだ」俺は冷たく言った。吉本は喘息持ちのように喘ぎながらら、やっとのことで木次を背負い上げた。背骨が軋んでいる。木次は時々呻くだけで、吉本の背中でグッタリしている。「ここまでに来るまでには車で来たはずだ。そこまで運ぶんだ」「殺生な・・・・・」吉本はよろめきながら歩きだした。俺は剃刀をたたんでポケットに納めた。モーゼルを腰の辺りに構えてそのあとに続く。廊下に出てから、俺はドアに鍵をかける。うまいことに、木次の傷口から再び滲み始めた血は吉本の服を濡らすだけで廊下に垂れない。二人の刺客が乗ってきた車はアパートの裏通りに駐めてあった。先程のオースチンだ。裏通りには、マーケットや小さな商店が並んでいるが、どこも眠りを貪っている。オースチンの後部座席に木次を投げ出した吉本はその上に身を伏せるように崩れて、しばらくの間動けなかった。クラブのマネージャー寺田は赤坂台町の高級アパートに住んでいる。俺が助手席で拳銃を突きつけた吉本が運転するオースチンは、アパートの横手の駐車場に滑り込んだ。駐車場は有料ではないから、管理する者はいない。後ろの座席の木次は大量出血で昏睡状態に陥っている。これ以上動かすと死ぬだろう。そのアパートは地上十一階だ。ホテルのような外観だ。無人のホールを奥に進んだ俺と吉本は自動エレベーターに乗りこんだ。マネージャー寺田の続き部屋は七階だ。エレベーターを降りた俺たちは、グリーンの模造絨毯を踏んでドアの前に立った。俺は首や肩を捻って骨をポキポキ鳴らしている吉本の腰辺りにモーゼルを食い込ませ、「上手く頼むぜ」と、囁いた。吉本は、ドアの横についたインターホンを押した。ベルの鳴る音が部屋の中から微かに聞こえてくる。「どなた?」すぐに、抑揚のない寺田の声がインターホンから応えた。「帰ってきました」吉本は喉に詰まったような声で答えた。「待ってた。すぐ開ける」寺田は答えスイッチが切れる音がした。ドアが開いた途端ーー寺田は顔を歪めて暖かそうな部屋着のポケットに右手を突っ込もうとした。俺はそれより早く、体重を乗せた渾身のストレートを奴の顎にブッ放した。奴の顎は砕けた。ダダッと後ろによろめき、おあつらえ向きのように置かれていた肘掛け椅子に尻餅をついた。意識が朦朧としている。俺は吉本をその応接間に突飛ばし、自分も中に入ってドアを後ろ手に閂をおろした。膝をついた吉本の後頭部をモーゼルの銃身で殴り昏倒させておき、寺田の部屋着のポケットから、プローニング自動拳銃を取り上げた。それを自分の内ポケットに突っ込む。「チ、チンピラが!」やっと意識が戻った寺田は呻いた。見る見る顎が膨れ上がる。俺はその寺田から目を離さず広い寝室のドアを開けてみた。ガスストーブが桜色の熱を放つ寝室では、二十二、三の女が、毛布だけを巻きつけて豪華なダブルベッドの上で半身を起こしていた。逃げようにも、七階の窓から跳び降りることも出来ない。俺は女に近寄った。女は発作的に卓子の花瓶を掴んで振り上げ、「穢らわしい。失礼よ。出ていって!」と、俺に唾を吐きかけた。唾は俺に届かなかった。女が口中に吐きつける唾を溜め始めたとき、俺は頬に平手打ちを咬ました。ベッドの上で女は一回転した。花瓶が飛び、毛布が解けて、全裸の女は俺の方にあしを開いてベッドの上に仰向けに倒れた。情事の名残りの粘液と紙屑が、まだ乾いていない。「お前さんこそ穢らわしいぜ」俺は金切り声をあげようと口を開いた女の下腹部に左の拳を突きだした。切りつけられた猪のような叫びをあげて女は気絶した。「よくも俺の大事な女を!」寺田は呻いたが立ち上がることは出来ない。俺は引き返し寺田の前に立った。モーゼルHscの擊鉄を静かに倒してポケットに仕舞い、ゾリンゲンの剃刀を出して刃を開いた。拳銃の銃口を覗かせていた時には、どうせ撃てまいと思ってか、それほどでもなかったが、今は寺田の瞳は恐怖にひきつっている。その瞳は今にも飛び出さんばかりに、紫色を帯びた素晴らしい鋼材の剃刀を見つめている。俺は、その刃を寺田の喉に当てた。「悲鳴を上げてみな。一寸こいつを横に引いて見せるから。そうすると声帯が二つに切れて、悲鳴は空気の漏れる音にしかならない」と、言ってニヤリと笑った。寺田の口から、血に混じって唾液が溢れてきた。唾を飲み込む喉笛の動きで声帯が切れては大変だと思っているらしい。「さあ、吐くんだ。薬は何処に蓄えている?」俺は低く圧さえつけた声で尋ねた。寺田は何か言おうとし、喉を痙攣させた。俺は剃刀を少し奴の喉笛から離してやった。「氷、冷蔵庫の氷の中だ」寺田はやっと声を絞り出した。俺は寺田の襟を掴んで立たせ、台所に案内させた。ステンレスと電気器具でピカピカ光った二坪程の台所だ。冷蔵庫は、米国製の大型だ。冷蔵庫の重い扉を開けてみる。肉類や果物類やビールなどが、店でも開けそうに詰まっている。冷蔵庫の製氷室の冷凍板の下に、大きな氷の塊が垂れて白く霜が降っていた。氷自体も白っぽく不透明だ。俺は台所にあったアイスピックで力一杯その氷の塊を突き刺した。氷の塊が割れ氷とよく似た色をしたプラスチックの小箱が転げ落ちた。寺田はそれに跳びつこうとしたが、俺がアイスピックを軽く肩に突き刺すとだらしなく尻餅をついた。俺はバナナの房の上に落ちたそのプラスチックの小箱を開こうとした。箱と蓋が接着剤でくっつけられて空気が入り込まぬようにしてあったから、開かない。仕方ないから左手に持っていた剃刀で切った。箱の中には、幾つものカプセルに入ったヘロインが収まっていた。全体でニ00グラムもだ。小売りにすると最低、五、六百万円になるだろあう。俺はそれをポケットに仕舞いこんだ。寺田を客間に連れ戻した。気絶から醒めた吉本が這いながら戸口の方に逃げ出そうとしていたのでまた頭を蹴って大人しくさせなければならなかった。女は、下腹を抑えて体じゅうに脂汗を浮かせている。胸の谷間や股の窪みに溜まって皮膚を褐色に見せている汗が好色的だ。「社長・・・つまり、このクラブの持主は何処から薬を手に入れる?」俺は寺田に尋ねた。「横浜からブローカーが運んでくる。週に一回だ」逆らっては痛めつけられることを知った寺田は急いで答えた。「ブローカーの先は何に繋がっているんだ?」「知らん」「今、急に忘れたのか?」「本当に知らないんだ知る必要もないし、教えてもくれない」寺田は掠れた声を絞り出した。「そのブローカーとはどうやったら連絡が取れる?」「俺には出来ない、社長だけが連絡できるんだ」「よし、それでは社長の所に連れてってもらおう」俺は言った。まだクラブで働きだして日の浅い俺はそうは言っても社長が誰か知らない。吉本は服を脱がせた。裸にすると貧弱な体格だ。その吉本をベッドに運び、これも素っ裸の寺田の情婦と重ねた。二人を戸棚から捜しだしたロープでしっかりと縛り合わせた。寺田に奴自身のピュイックを運転させ、東の空が青灰色を帯びてきた未明の街を走らせた。ピュイックが向かうのは四谷若葉町にある社長佐藤の妾宅だ。カマをかけて寺田から名を聞き出したのだ。左右に静まり返った離宮や国会図書館の佇まいや大邸宅の杜を見ながら、起伏の多い坂道を車は突っ走る。寺田は俺の命令で背広姿に着替えさせていた。佐藤の妾宅は大谷石の塀に囲まれたブロック建築の瀟洒な二階建てだ。前に庭が芝生と花壇になっている。俺はその妾宅の近くに車を停めさせ、拳銃で背中をつついて寺田を車から降ろした。門はブルーのペンキを塗った低い柵状だ。二人は苦もなくそれを跳び越えることが出来たが、裏庭から巨大なコリーが姿を現した。まずいことになったと、俺は思った。しかし、コリーは寺田に慣れているらしく、舌を突きだして尻尾を振っている。俺はそれをあやかすふりをして、左手に取り出した剃刀でいきなり喉を切った。血飛沫が五メーター程飛んだ。剃刀の刃は勢い余って頸まで切断したのだ。吠えることも出来ずに、コリー発作的に五メーターほど走り、芝生に突っ込むように倒れた。たちまち断末魔の痙攣が襲ってくる。掴みかかってこようとする寺田の顔面に剃刀を向けると、奴は肩を落として玄関に向かった。暫く躊躇ってから玄関のベルを押す。玄関に灯りがつき、足音が内側から近づいた。「どなた?」と、女の声がかかる。ふっくらとした三十前後の女だ。「私です。寺田です」「今、開けますわ」鍵が鳴った。玄関のドアが開き、レースのついたラベンダーのネグリジェの上にキルティングのナイトガウンを羽織った色っぽい女が上がり框に立っていた。佐藤の二号、紀子だ。寺田に向けてあだっぽく微笑した紀子の顔が奴の背後の俺を訝しげな表情を浮かべた。寺田を突飛ばし、俺も入り込んだ。突き飛ばされた寺田は必要以上もよろめいてから上がり框に跳び上がり紀子に抱きつくような格好になった。急にシャンとし、素早く紀子の背後に回り込んで羽交い締めにした。紀子を引きずるようにして後退りしながら、「社長、大変だ。奴の逆襲だ!」と声の限りに叫ぶ。俺はそれを追おうとした。その時、宿痾の左膝のの痛みが突然起こったのだ。膝の骨が崩れていくような激痛だった。アタマにきた俺はモーゼルを突きだし銃口を女の胃に接近させて引き金を絞った。銃声は多分に弱められたが発射さの逃げ場が女の体で遮られたので反動はひどかった。俺は一瞬、膝の痛みを忘れた。弾は紀子の胃を貫き、寺田の腹を深くえぐっていた。二人は将棋倒しに転がった。死にきれずにのたうって汚物を曝け出す。二連散弾銃を腰だめにして、二階から初老の男がかけ降りてきた。一目で朝鮮系の三国人とわかるクセのある顔だ。それが、紀子の苦しみ様を見た途端に、さらに醜く歪んだ。手から滑り落ちた二連散弾銃が階段を跳ねながら落ちてきたが、安全装置が掛かっているので暴発はしなかった。転がるように自分も階段を降りた佐藤は、苦悶する紀子にすがりつき、アイゴー、アイゴーと、母国語で叫んだ。その佐藤を威嚇して、横浜のブローカーに電話させ、ヘロイン五00グラムを至急運んでくるように伝えた。先程の銃声は外にはあまり漏れなかったのか、パトカーは現われない。もっとも、俺の知っている男が深夜酔っぱらって散弾銃で表の鈴蘭灯を打ち砕いたことがあったが、そのときは近所の連中は気がつかなかったようだ。佐藤を縛った俺は耐えられぬ程痛む足を引き摺って、庭のコリーの死体を片付けた。もう夜は明けている。家のなかに戻った俺は、台所でヘロイン一包みを飲んだ。たちまち激しい吐き気が襲い俺は海老のように体を折って吐いたが、吐き気が鎮まったら、膝の痛みは直っていた。。その代わりに睡魔が襲い、俺は今度はそれと戦わなければならなかった。門の外に神奈川ナンバーをつけた旧型のベンツが停まったのは、二時間ほど後のことであった。その頃には紀子も寺田も絶命していた。俺はカーテンを細目に開けてそれを見届けた。ブローカーが来たのだ。だが、不吉な予感が走った。車の中には四人の男がいた。それが、みな大型のバイオリンケースを提げて車から降りたのだ。俺は本能的に拳銃を抜いた。だが、撃つのを躊躇った。男達は前庭に躍りこむとバイオリンケースを開いた。短機関銃を取り出す。トミーガンだ。俺は窓ガラス越しに一発射った。真中の男が短機関銃を放り出して尻餅つくのをわずかに認め、俺は思いきり首をすっこめた。窓ガラスの破片が降りかかってくる。だが、首をすっこめたのが俺の命を救けた。残り三人の男が短機関銃を掃射してきたのだ。前庭に面した窓ガラスは残らずミシンに碎け、壁には弾痕が針の太いミシンで縫ったように繋がった。嘆き悲しんでいた佐藤が死体のそばに縛られたまま狂ったように哄笑した。笑いに喉をつまらせながら、「麻薬組織の雇ってる殺し屋だ。儂とブローカーの取引は絶対に家でやらぬことになっているんだ。警察に踏み込まれた時に逃れぬ証拠を残すそんなヘマなことはするものか。儂がここか本宅で取引きしようと言うときには儂が絶体絶命の窮地に追い込まれているときに限るんだ。奴等は儂とお前を消して、口を閉ざす積もりなんだ。儂はもう死んでもいい。命より大事な紀子を無くしてしまったのだから。だけど、お前は死にたくないだろう。死にたくない奴の死に様を儂はゆっくり見物してやる。さあ、もがけ、もがきやがれ」と呪いを込めたような口調で言い続けた。再び前庭から一斉射撃が始まった。室内は吹き飛ばされた壁の漆喰の破片で霧がかかったようになり、続けざまに重なりあう連続射音で耳が裂けそうだ。一人は裏口の方から攻撃していた。眠気は完全に去り、俺の体は頭脳も冴えてきた。俺は一斉射撃の合間をぬって階段の踊り場に駆け昇った。そこに腰を降ろし、両手で拳銃を握って待っている。また掃射の銃声が響き、階下では弾をくらった紀子、寺田、そして佐藤の死体が生きているかのように跳ねている。俺は待つ。麻薬のせいか恐怖はない。奴等の一人でも視界に入ったら、一発のもとに射ち倒せるような自信に満ちているのは麻薬のせいなのか。まるで悪霊の神が俺に宿ったようだ。その後、二時間ほど掃射が続いた。俺は弾倉を換えている奴等に反撃した。全員殺した。俺は勝ったのだ。その場に座り込み呆然としていると、外にはパトカーのサイレンが谺して来る。「ハァッ・・・」俺は溜め息と共に呟き立ち上がる。俺の体は無意識にさっき殺した奴等の短機関銃を広い集めていた。弾倉も集めた。まだ、二十数本あった。そのときパトカーのマイクから「そこはもう完全に包囲されている。無駄な抵抗はやめて武器を捨て、両手を上にあげて出てきなさい。少しでも抵抗したら射殺する。」と何度もアナウンスしている。俺は返事代わりにマイクを持った警官に短機関銃トミーガンを掃射し始めた。警官の断末魔の叫びと共に、警察側からも一斉射撃が始まった。「ウオーーー」と、俺は心の中で、そして口でも叫びながら短機関銃トミーガンを掃射する・・・・・・。