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叱責

作者: 三月 探


 君は、口だけだな。


 脳裏に焼き付いている、その言葉。


 何度も言われ、言われ続け、心を荒ませていった言葉。


 努力はしている。していると、信じている。しかし、結果は出ない。そして、結果がなければ多くの人が俺の評価を下げる。


 口だけだと言われるのは、俺も嫌なんだ。嫌で、嫌で、たまらないんだ。


 ネズミ返しのように波で削れた崖の上から下を覗く。そこには底が無いと思わず錯覚してしまうような海が広がっていた。


 ふーっと、冷たく、海特有の臭いのする風が、下を覗き込んだ私の上半身に吹き付ける。寒い。薄い長袖一枚に、下は脛あたりまでの長さのズボン。極めつけはサンダルを履いている。俺は何でここに、こんな格好で立っているんだろうか。少し前の、家を出発する前の俺の決定を不満に思う。


 ざーっ、ざーっ、と音をたて波が岩にぶつかるのが見える。大きな岩にぶつかった波は白いしぶきをあげながら高く上がっては、重力に従い落ちていく。


 ああ。俺はあの波のように岩に正面からぶつかれているだろうか。そもそも、俺は本当に努力出来ているんだろうか。


 もう、努力の仕方さえ分からない。テレビでよく、結果より過程が大事だ。だから、努力が大切なんだ、などと聞くことがあるが、結局、評価されるのは結果だ。


 この人は新しい発見をした人だとか、金メダルをとった人だとか。偏差値45の男が、東大に入るのなんて簡単だって言っても誰も信用しない。


 それは、その男が偏差値45という事実すなわち結果が、東大に落ちた、たくさんの秀才たちがいるという結果が、そうさせている。


 しかし、世の中は結果だけで出来ているとまでは思っていない。俺は実績を出せていないが、他にも楽しみ、癒し、生き甲斐があれば十分だと心から思う。


 しかし、無い。無いのだ。彼女もいない。趣味もない。友達もいない。仕事もできない。運動もできない。顔が良い訳でもない。


 俺はどうやったら生きていけばいいんだ。今、この瞬間俺は生きているのに生き方さえ忘れそうだ。





 じりじりと崖の端へと進んでいく。冷たい感触が頬を伝う。あと、一歩踏み出せば、今よりずっと幸せな未来が待っているはずだ。


 そう信じ、海へと日が沈んでいく中、目をつぶり、足を一歩踏み出そうとした、そのとき。


 女の歌い声が後ろから聞こえてきた。その声は人が出せるものではないと、そう思わせるほどには神秘的で、美しかった。






 振り向くと、そこには綺麗な女がいた。





 いや、綺麗という言葉では物足りない。その女の美しさは、この世に存在する言葉では表せない。そう悟った。白いワンピースを着ている彼女は、夕焼けのオレンジ色で化粧をしていて、長く黒い髪の毛を風でたなびかせていて、ほんとうに、ほんとうに、美しかった。



「君は何をしていたの。」



 泣きそうな声で彼女は俺にそう言った。



「未来に、来世に賭けてみようとしていたんだ。」



「来世なんて、本当にあるか分からないし、人生を途中で投げ出す人に神様は良い来世を与えてはくれないと思うよ。」



「そんなのは、やってみないと分からない。あなたは何でこんな所に?」



「いいや、分かるわ。分かってしまうの。嫌でもね。」



「はぐらかさないで。」



「君と同じだよ。」



「あなたは美人だし、歌が上手いし、理由が見つかりそうにない。いや、失言だった。出すぎだことを。」



「気にしないで。あと、君はもう、理由を言ってるよ。」



「どういうこと?」



「歌が上手くて、歌が大好きで、歌と一緒に生きてきた私だから、声を徐々に失っていくのが耐えられないの。せっかく、バンドも軌道にのってきたのにね。


 私、グース病にかかっているの。


 ほら、最近、巷で話題の。初期発見だったけど、治療法も何も見つかる目処もないし、今世紀中の治療法の発見は無理と断言される始末。笑っちゃうでしょ?」


 はにかむ彼女は涙ぐんでいた。


「笑わないよ。絶対に。」



「ありがとう。」



「俺さ、歌詞書いてるんだ。でも、歌が下手くそで、交渉力も友達も、何も無くてさ。

 歌詞を見てさえ貰えてない現状なのに、東京ドームに出るんだとか、言い張って。口だけって言われて。心もおれちゃって。俺の方が馬鹿で情けないんだ。笑ってくれ。」


「笑わないよ。でも、私最近までバンド組んでたから興味あるな。歌詞、聞かせてくれないかな?」


 俺は彼女に歌詞を教えた。彼女は食い入るように聞きながら、笑ったり泣いたりしていた。


 彼女が口を開く。


「ねえ……。私が私でなくなるまで一緒に、バンドしよう。」


 その声には目には決意がこもっていた。大きな黒い瞳は真っ直ぐこちらを見ている。


「さっきまで、死のうとしてたのに?それにバンドの仲間はどうするつもりなの?」


「今はさっきの続きじゃないの。バンドはもう抜けてある。君は楽器できるの?」



「キーボードなら」



「完璧ね。君の歌詞に一目惚れしたんだ。いや、一聞きかな。お願い、バンドしよう。二人で」



 さっきまでは意気消沈して、来世に賭けてみようとかいってた俺は今、心地よい気分だ。思えば、初めて逢った彼女と敬語も使わずに話していた。それは、どうしようもないほどに相性が良いことを証明していたのかもしれない。彼女となら叶えられるかもしれない。



 夢を。



「ああ。でも、やるからには一つ叶えないといけないことががある。」



「なに?」



「東京ドームでライブをやること。口だけなんて、もう言わせない。」


 彼女はそんな俺に笑顔で頷いた。



 吹き抜ける風はさっきよりも暖かく感じた。




 

作中に出てくる病気は存在しません。

お読み頂きありがとうございました。

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