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もう友達だよ

 小一時間ほど山を下ると、ビアンカが伏せているベースキャンプまで到着する。

 到着するやいなやフィルはキバガミの背中から降りて、ビアンカの容態を確認する。

 彼女は高熱にうなされ、意識が混濁していた。

 フィルは一刻も早く、竜髭草から解熱剤を作りたかったが、ビアンカが「雪が見たい……、雪が見たい……」と、うなされていることに気が付く。

「雪……?」

 天を見上げるが降ってくる様子はない。当然だ。この時期に雪など降るわけがない。

 キバガミのほうを向くが、彼いわく、この時期は山の頂上にもないという。

 フィルは先ほど作った氷を見るが、すでにすべて溶けていた。ならば丁度いいとフィルは呪文を詠唱する。


「精霊界に生まれし精霊の吐息、

 雲を凍てつかせ、結晶を作り出せ!」


 フィルが叫んだのはいわゆる天候魔法というやつだった、天候を操る魔法は地味であるが、自然の摂理を変える大魔法、かなりの熟練を要するのだ。


 フィルが呪文を唱え終ると、黙々と雲ができあがり、チラチラと雪が降る。


 ビアンカを屋根のある場所に移動させると、フィルはそのまま鍋に竜髭草を入れた。解熱剤を作るのである。


 竜髭草にヤモリの尻尾、ローズマリーにオオバを入れかき混ぜる。とんでもないひどい匂いがしてくるが、爺ちゃんの言葉を思い出す。


「良薬は口に苦し」


 それに飲むのはフィルでなく、ビアンカだったので気にせずそのまま作る。


 およそ一時間ほどだろうか、緑色のドロドロの液体ができあがるとそれを小瓶に入れる。


 ふうっと一息つくと、周囲が真っ白になっていることに気が付く。フィルによって作られた雪雲がそうさせたのだ。


 一瞬、綺麗と思ってしまったが、見とれることなく、フィルはビアンカのもとへ行く。伏せている彼女にできあがったばかりの解熱剤を飲ませる。


 意識を失っているビアンカ、容易に彼女は飲まなかった。やはり苦いのだろうか。それともどろりとし過ぎて意識を取り戻さなければ飲めないのだろうか。


 業を煮やしたフィルは自分で解熱剤を口に含む。口移しで飲ませる作戦に切り替えたのだ。


 口の中にとんでもない苦みが広がる。やはり苦さを緩和するため、蜂蜜でも入れれば良かったと嘆くが、そのような時間はない。


 フィルはビアンカの青くなった唇に自分の唇を当て、液体を流し込む。


 ごきゅごきゅ、なんとか解熱剤を飲み干させるとビアンカは小康状態となる。効果が完全に現れ、目を覚ますのは明日になるだろう。


 その間、風邪を引かないように火を絶やさないことにする。


 見れば雪は津々と積もっていた。もしかしたら明日には雪だるまを作れるくらいになっているかもしれない。そう思った。

 

 ビアンカは「うーん……うーん……」と一晩中うなされる。


 しかし、それは彼女が回復しつつある証拠だった。先ほどまではうなされることもできなかったのだ。


 フィルとしてはふんだんにある雪をかき集め、時折彼女の額に乗せてやるくらいしかしてやれない。


 それも頻繁でなくともよい。ビアンカの熱は時間と共に下がり、雪が溶ける間隔は着実に長くなっていた。


 だが、それでもフィルは一晩中、ビアンカを看病する。昔、爺ちゃんがフィルを看病してくれたときのように彼女を慈しむ。



 その夜、ビアンカは夢を見た。獣人の村から旅立った日の夢を。

 母親がおにぎりを作り、それを持たせてくれたことを。

 道中、それを美味しく食べたときの夢を。

 勿体なくて、一個だけ学院まで取っておいた夢を。

 そのおにぎりが同級生に見つかり、「おにぎり獣人」と虐められた夢を見ていた。

 厭な夢であるが、救いがないわけでもなかった。

 夢でも侯爵令嬢セリカは優しくしてくれた。


 彼女はにこりと微笑むと、「わたくしは梅のおにぎりが好きです。ビアンカさんはどんなおにぎりが好きですか?」そう微笑む姿はまるで梅の花の精のように可愛らしかった。


 一瞬で恋に落ちてしまうビアンカ。ただ、ビアンカは夢でもあのときと同じようにまともに応対できなかった。


 本当は「サーモンが好きです」と言いたかったのに、ビアンカは動じてしまってなにも言えなかった。


 夢の中でくらい勇気を振り絞ってセリカ様と友達になれればいいのに。彼女の優しさを素直に受け取れればいいのに、臆病なビアンカにはそれもできないのだ。

 自分の弱さが恨めしかった。


 そんな居心地の悪い夢を見ていると、遠くから声が聞こえる。

 鈴虫が鳴くような軽やかな声だった。彼女は楽しげになにものかと話していた。

 その声が恋のライバルフィルだと気が付いたのは、まぶたを開けたときだった。

 彼女は大きな狼と戯れていた。狼に芸を教えていた。


 狼は前足で立ち、ちんちんをする。雄々しい狼に似合わぬ芸であったが、不思議とフィルが芸を仕込む姿は様になっていた。


 ビアンカはしばしそれに見とれるが、やがてこちらのほうを振り向いたフィルに目覚めたことを悟られる。


 フィルはビアンカが起きたことを察すると、盆と正月が同時にきたかのような嬉しそうな顔をした。


「おお、ビアンカが起きた」


 にこにこと近寄り、ビアンカの額に触れる。


「うん、熱も下がった。平熱なの」


「わたし、熱で倒れたのか……」


「覚えてないの?」


「ううん、覚えている。倒れたわたしをあなたが受け止めてくれたことも、必死で看病してくれたことも」


「看病したのは使い魔」


「でも薬を飲ませてくれたのはあなたなんでしょ」


「まあね」


「……ではありがとう」


「おお、お礼を言われた」


「意外?」


「ちょっと」


「そうね。わたしは意地が悪いもんね」


「そんなことはない。セリカが好き過ぎるだけ」


「……かもしれないわね」


 なにせ夢にまで見るのだから、と心の中で続ける。


「…………」

「…………」


 しばし、無言で見つめ合うが、ビアンカはとあることに気が付く。


「……そういえば周りが真っ白」


「すごい? 魔法で雪を降らせたの」


「どうして?」


「どうしてってビアンカが見たいって言うから」


「わたしがそんなことを……?」


「言った」


「ならば相当朦朧としていたのね」


「ちなみになんで雪が見たかったの?」


「それは……」


 言いよどむ。とても個人的なことで恥ずかしかったのだ。


「…………」


 ビアンカはそのまま沈黙すると過去に思いを馳せた。


 かつてセリカと共に雪を見た日のことを思い出す。そのとき彼女が発した言葉を脳内に反芻させる。


 その言葉はセリカにとってはなんでもない言葉だったが、ビアンカにとってはその後、人生の指針となる言葉になったのだ。


 その言葉を拠り所と糧にし、今日まで生きてきたのだ。

 そう思うと容易に口にできなかったが、ふと思ってしまう。


 セリカが自分の妹のように可愛がるフィルならばどのような答えを口にするのか、と。


 同じ質問した場合、彼女はどのように答えるのか、とても気になった。


 だからビアンカは尋ねてしまう。あのとき、セリカがビアンカになにげなくした質問をしてしまう。 


 ビアンカの唇があのときの言葉を紡ぎ出す。


「……ねえ、フィルさん、雪が溶けたらなんになると思いますか?」


 過去、同じ質問を幾人もの人間にした。全員が全員、「水になる」と答えた。

 当然だ。それが理知的で常識的な人間の考える答えだ。


 しかし、セリカだけは違った、とても詩的で温かい言葉で返してきた。

 そして、フィルもまたセリカと同じ温かい言葉でビアンカを満たしてくれた。



「あのね、雪が溶けると春になるんだよ」



 フィルはセリカと同じ台詞を発した。

 その言葉を聞いた瞬間、ビアンカの心の中に陽光が差す。一筋の光が広がる。

 心震わせているビアンカにフィルは続ける。


「雪が溶けたら春になるの。

 山では雪が溶けると春になるの。

 長い長い冬が終ると、少しずつ温かくなってね、溶けた雪の下から、つくしさんやたんぽぽが出てくるの。

 冬眠していたハチも起きるし、兎さんたちが野原を駆け回るの。

 だからボク春が一番好き。

 お花が一杯咲くから、爺ちゃんの腰痛がよくなるから。温かい日差しがボクを包んでくれるから」


 なんのてらいや気負いもない素直な言葉。ただただ春を愛する少女がそこにいた。


 フィルの新緑のような言葉を聞いたビアンカは思わず涙を流す。両目に溜めていた涙をこぼれ落ちさせる。


 それを見ていたフィルは慌てた。

 どこか痛いの? と尋ねてくる。


 痛いのはわたしの心だ。このような素敵な少女を今まで敵視し、嫌ってきたことを今さらながらに後悔していた。


 ――だが、まだ遅くはないはず。まだ取り戻す時間はあるはず。

 フィルと和解し、彼女と友達になる方法があるはず。

 そう思ったビアンカは生まれて初めて自分の気持ちに素直になった。


「……ねえ、フィル、よければ、よければだけど、わたしと友達になって」


 その言葉を聞いたフィルはきょとんとするが、すぐに笑顔になるとこう言った。


「ボクたち、もうとっくの昔に友達だよ」


 その言葉を聞いたビアンカは再び涙した。人間は悲しいとき以外にも涙を流すと初めて知った。


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