狼の主キバガミ
狼と対峙するフィル。
狼はフィルの喉元目掛けて牙をむくが右手でガードする。
フィルの細身の腕に牙がめり込むが、魔法によって傷付くことはなかった。
フィルの左手、右足、左足にも狼たちは食いつく。そのまま四肢を切り裂こうとしたが、フィルの強靱な身体は狼の力も寄せ付けない。逆にぐるんぐるんと回り、狼たちを吹き飛ばす。吹き飛ばされた狼たちは巨木に打ち付けられ気を失う。
フィルと狼の間には明らかな実力差があったが、その代わり狼たちには高い士気があった。数匹、倒されてもものともしない。仲間の敵を取ろうと次の狼たちが襲いかかってくる。
第二陣の狼たちは第一陣の狼たちと同じように牙をむいてくる。狼たちには牙と爪しかなく、一番強力な牙に頼るしかないのだ。その愚直なまでの行動はまさしく『犬』であったが、フィルはそれを馬鹿にしなかった。たったひとつの武器で強者に挑む様は尊敬に値した。
尊敬に値したが、それでも負けてやる道理はない。フィルは全力で狼を倒す。
拳に蹴り、頭突き、体術を駆使して狼たちを倒していく。
10匹目の狼を倒したときだろうか、状況に変化が訪れる。
後方から明らかに他の狼とは違う雰囲気を持ったやつが現れる。
その狼は額に大きな傷があり、身体も一回り大きかった。
「……こいつらのボス?」
そう口にすると狼は人語で返した。
「仲間たちが世話になったな、小娘」
「人間の言葉を!?」
「話せる」
「なら戦闘は止めて、ボクに敵意はない」
「なにを言う、我が同胞を喰らっている癖に」
犬鍋は最近食べてない、と返すが、そんな反論通じないようだ。
ボス狼は身体に魔力をまとわせ、フィルに体当たりをする。
「魔法で強化できるの?」
まさかそのような攻撃をされるとは思っておらず、フィルはその攻撃をまともに受けてしまう。ぐえ、とお腹を押さえる。苦痛にうめくが、驚いているのはボス狼だった。
「まさか、俺の渾身の一撃を耐えるだと? お前は化け物か」
「……化け物じゃない。ボクはフィル」
「……フィルか、良い名だ。……オレの名はキバガミ、この牙狼族を率いるもの」
「格好いい名前だね。君とは友達になりたかった」
「オレもだ。しかし、なぜ、同胞を殺す。お前のような良い眼をした娘が――」
そう言い掛けたキバガミに向かって攻撃をするものがいる。
フィルではない。フィルは弓矢など使わない。攻撃したのは緑色の醜悪な怪物だった。
ゴブリンと呼ばれる小鬼がキバガミに弓を射かけたのだ。
キバガミはその不意打ちを受ける。背中に弓が突き刺さる。キバガミの顔に苦痛の表情が浮かぶ。きっとゴブリンを睨み付ける。
「ゴブリン!! 我が同胞を狩っているのは貴様らか!!」
にたりと笑うゴブリン。どこかで見覚えがある。
フィルはエルフの森で出会ったゴブリンたちを思い浮かべる。彼らの頭には皆、青い入れ墨がしてあった。
「ブルーキャップ!!」
そう叫ぶフィル。
キバガミは問い返してくる。
「ブルーキャップとはなんだ?」
「頭に青い入れ墨が入った特殊なゴブリン」
キバガミはゴブリンの頭部を見つめる。
「たしかに青い入れ墨がある」
「普通のゴブリンより強い。それにずる賢い。なんでここにもいるんだろう」
「ここにも?」
「前にエルフさんの森であった。戻らずの森というところで」
「最近、増えているのか? ……まあ、いいか、どうでもいい。あいつらの口からは同胞の匂いがする」
それはつまり牙狼族を食べたのはフィルではなく、ブルーキャップだという証拠である。
「銀髪の娘よ、誤解してすまなかった」
「謝らなくていいよ」
「大物だな」
「それは知らないけど、ちっこい割には強いよ」
フィルは断言すると、斬り掛かってきたブルーキャップを正拳突きで倒す。
一撃であった。ゴブリンは一撃で吹き飛ぶと、白目をむいた。
キバガミはうなる。
「敵として対峙したときはこれほど恐ろしい相手はいないと思ったが、味方になるとこれほど頼もしい相手はいない」
「ボクも。狼と一緒に戦うのは竜の山以来。狼は勇敢だから好き」
いつか一緒に竜を狩った日を思い出す。
過去に思いを馳せていると後方からぞろぞろと数十体のブルーキャップがやってきた。その数は30体ほどだろうか。
狼は半減してしまっているので厳しい数だが、臆することはない。狼を半減させたのはフィルなので、ブルーキャップは全減させればいいだけ。
そう思ったフィルは風のようなスピードでブルーキャップの懐に入り込む。
ハンマーを持っていたブルーキャップの懐に入り込むと、リバーブローを打ち込む。
おええ、と嘔吐したブルーキャップのあごにショートアッパー。あごを粉砕。
次にやってきたブルーキャップにはドロップキック。全体重を乗せたドロップキックを食らったブルーキャップは悶絶する。
そのブルーキャップの足を掴むとフィルはぐるんぐるんと回す。
ジャイアントスイングだ。
勢いよく回るゴブリン、ゴブリン自体を武器として襲いかかるゴブリンをはね除ける。
最後にゴブリンの集団に投げ込み、大ダメージ。
その姿を見ていたキバガミは「す、すごい……」と感嘆の声を漏らす。
「もしかしてオレいらないんじゃね?」
そんな結論に達しているようだが、そんなことはなかった。
キバガミたちには半減したブルーキャップを相手してほしかった。
フィルが楽をしたいからではない。その逆である。
フィルはきっと山の奥を睨む。そこには先ほどからこちらを見下ろす存在があった。
おそらくそいつがこのブルーキャップの集団を操っているのだろう。
フィルはそいつを倒すことにした。
すべてを察したキバガミはあごをわずかに縦に振るうとこう言った。
「フィル、やつは手強そうだ。ひとりでいけるか?」
「ひとりでいけるか?」
フィルは不敵に笑う。
「ボクは古竜を素手で倒す女の子だよ?」
そう問い返すと、近くにあった大きな木を引っこ抜く。
根元からぼこりと行く。
それを見ていた狼たち、それにゴブリンたちはぎょっとする。
彼ら同時に思ったことだろう。なんという化け物に喧嘩を売ってしまったんだ、俺たちは、と。
フィルは木を頭上で振り回しながらこう叫んだ。
「やあやあ、我はフィル、遠からんものは音に聞け、近くばよって目にも見よ。ボクは大賢者ザンドルフの孫! ドラゴンを土下座させる女!」
この口上は白百合寮のメイド、シャロンが考えてくれたものだ。半分以上意味が分からないが、格好いいので採用している。
この口上を聞いたブルーキャップのボスは、鼻息を荒くし、興奮していた。
フィルはそいつのもとへ歩み寄った。