また木を投げるの!
「う、うーん……」
頭が痛い。なにか鈍器のようなもので殴られた気分だ。
ビアンカは睡眠と気絶の中間のような状態でしばらく眠り続けたが、ここ最近、あまり眠れていないので案外心地よかった。
しばらくその状態に身を任せておきたかったが、目覚めのときは訪れる。いつまでも眠り姫を気取っているわけにはいかなかった。
ビアンカが重いまぶたを開けると、そこにいたのは天敵であった。
銀髪の悪魔ことフィル。ビアンカの恋敵だ。
見ればビアンカの身体は縄でぐるぐる巻きにされているし、もしかしたらこのまま彼女に食べられてしまうのかもしれない。
彼女の底なしの食欲は学院でも有名であった。獣人のひとりくらいぺろりと平らげてしまうだろう。
ビアンカは身震いした。フィルが近寄ってくると覚悟を決める。
「……っく、これ以上の辱めは受けない。殺しなさい」
っく、ころ、という台詞を発してみせるが、フィルは「きょとん」としていた。
「辱めってなに?」
と聞き返す。
「辱めとはわたしを陵辱し、食べてしまうこと……」
「りょうじょくってよく分からないけど、ビアンカは食べないよ」
「じゃあ、なんで縄で縛るんですか……」
「縛ってないと逃げちゃうから、ってセリカに言われた」
「お姉様に?」
「うん」
「嘘よ、お姉様はこんな酷いことしない……」
「セリカは心痛めてたよ。でも、心を鬼にした。これからボクはビアンカを木に乗せて、どこかの島に旅立つの」
「……木に乗せて? どこかの島?」
「そこでしばらくふたりでサバイバル生活をするんだって。そうすれば仲良しさんになるらしい」
「……いや、そんなとこに行きたくない」
「それは困る。もう大木を切っちゃたし」
見ればフィルの横には大きな丸太があった。その木を切ったからといってなにがあるのだろう、そう思ったが、彼女の言葉の意味はすぐに分かった。
フィルはここにまたがって、とビアンカを丸太の上に座らせると、「用意はいい?」と尋ねてくる。
用意など永遠によくないし、早く離してと言うと彼女はそれに従ってくれた。
「分かった、『離す』」
フィルはビアンカの乗った丸太をひょいと持ち上げると、そのままそれを大空に向かって投げた。
まるで小石でも投げるかのような仕草、気軽さだった。フィルの投げた丸太は勢いよく大空を飛ぶ。ビアンカはそこから落ちそうになるが、ひょいとフィルが自分で投げた丸太に飛び乗ると、腰を抱きぎゅうっと固定してくれる。
「これに乗って無人島に行くの。そこでふたりでサバイバル」
ビアンカは返答しようとするが、勢いがすさまじく、今しゃべれば舌を噛みそうだった。
太ももに力を込め、落ちないようにするのが精一杯だった。
五分ほどで眼前に島が見えてくる。先ほどフィルが言っていた無人島だろう。あそこに着陸するのだろうか。やや余裕を取り戻したビアンカは尋ねるが、フィルは首を横に振る。
「着陸するんじゃないの。不時着するの」
(どういう意味……?)
そう思った瞬間、水の中に丸太は突っ込む。ビアンカたちを乗せたまま。もちろん、フィルは魔法で逆噴射を掛けるが、それで丸太のスピードをすべて相殺することはできなかった。
「ざっぶーん!!」
豪快な音が響き渡るが、痛みはない。痛みを感じる前に恐怖で失神してしまったということもあるが、フィルが防御魔法を掛けてくれたのだ。
彼女の防御魔法は薄い膜であったが、とてもふんわりとしており、優しさに包まれていた。
十数分後ビアンカが目覚めると、目の前に葉っぱに水を蓄えたフィルがいた。
なにをしているのだろう、と尋ねるとそれをぶっかけて起こすつもりだったという。水難事故のあとに水で起こすのはどうかと思うが、それが彼女の気遣いのようだ。
胸元がはだけていたのでそそくさと直す。
「ごめん、大量に湖水を飲んでたから、お腹を押した」
そのときぴゅーっと水を吐き出したらしい。人工呼吸をされなかったのが唯一の救いか。
「あと寝てる間にパフパフとパンパンしたけど、気にしないで」
それはなんだろう、と疑問に思ったが尋ねない。もっと気になることを尋ねる。
「……ここが無人島なの?」
「うん、どこかの湖の中にある島。人は住んでいない」
「なんでわたしがこんなところに」
「セリカがここで共同生活をして仲良くしなさいって言ってた」
「やはりお姉様が……」
「ビアンカはセリカのことが好きなんだよね? ならアドバイスには従わないと」
「……そうだけど。よりにもよってあなたとなんて」
「ビアンカはボクが嫌いなの?」
フィルは純真な瞳でビアンカの顔を覗き込む。
「……嫌いになるほどよく知らない。……憎んではいるけど」
「じゃあ、もっとボクを知って。その上で嫌いになるならしようがないけど」
「……そうするしかなさそうね。しばらくこの無人島で暮らさないといけないんでしょう」
「学院の連休中はずっと。場合によってはもっと」
ちなみにフィルは帰り道は分からないらしい。帰りも木を投げて帰るらしいが、正確な方向を知っているのはセリカだけ。彼女の迎えがこないと帰れないらしい。
「……最悪、この子と数週間はふたりで暮らさないといけないのか……」
となればまず飲み水を確保せねばならないが。
冷静に事態を考察し、最善手を取ろうとするビアンカ。その姿を客観的に見たビアンカは苦笑を漏らす。先ほどまで死のうと思ったのに今は生きようとしている。人は、いや、獣人とは浅ましい生き物だと思った。しかし、フィルは笑うようなことなく、子犬のような瞳でビアンカを見つめていた。




