巨大植物
セリカは脱兎の勢いで居間に戻ると、そこでお菓子を食べていたフィルに話しかける。
いや、食べようとしているが、口に運ばず、真剣な表情をしていた。
どうやら先ほどの轟音で不穏な空気を感じ取ったようだ。
元々、フィルはこの山に入った瞬間からなにか違和感を感じていた。
不安が現実になって驚いてはいるが、戸惑ってはいないようである。
なかなかの胆力である。
未来の女王に相応しい。
「セリカ、今、遠くから地響きが聞こえたの」
「ですね。どうやらこの山に封印されていた『悪魔』が解き放たれたようです」
「まじで!」
「まじです」
「セリカ、どこでそんな情報を知ったの?」
「……ええと」
少し言いよどむが、先ほど白髪の老人とかわした約束を思い出す。
大賢者ザンドルフは、「ワシがここにいることは孫娘には内緒にしてくれ」と唇に指を当て念を押された。今、会えば里心がつく、というのがザンドルフの主張するところだった。
それはセリカも同意見だったので、心苦しいが嘘をつく。
「ザンドルフ様の書斎で調べものをしていたら、彼の日記にこのことが書かれていました。この山に封印された悪魔のことが。それが復活したと見るべきでしょう」
「なるほどなの。そういえば爺ちゃん、昔言っていた。この山には竜よりも怖い存在がいるって」
「それが悪魔と書いてありました」
そう結ぶと、メイドのシャロンが言葉を発する。
「あの地響きが悪魔のものとは分かりましたが、ならば急いで逃げねば。地響きがこちらに近づいてきます。狙いは我々なのではないでしょうか?」
「正確にはフィル様です」
とは言えないが、セリカは首を横に振る。
「狙いが我々ならば、余計に引けません。我々が街に戻れば街で戦闘になるかもしれない。その場合の被害は天文学的です」
「そうだよ、シャロン。もしも戦わないといけないのならば、ここでいい。ここならば被害は少ないの」
山の仲間は足が速いの、と補足する。
フィルはさっそく窓を開け放つと、
「ほるほる」
と謎の言語を使い、鳥を集める。
集まった鳥はフィルの話を熱心に聞くと、そのまま山中に散開する。
山の仲間たちに危険を知らせるのだ。
フィルはにこりと振り返ると、
「これで仲間たちに危険はないの」
と笑った。
皆、安堵するが、メイド服の少女だけ慌てている。
「森の熊さんたちはそれでいいですが、街のメイドさんである私はどうすればいいのでしょうか」
「大丈夫、シャロンはボクが守るの。ここから応援して」
とフィルが言い切った瞬間、地響きが止む。
工房を揺らしていた振動も収まる。
それを感じた叡智の騎士ローエンは、低い声でこうつぶやいた。
「どうやら、悪魔とやらがやってきたようだぞ。メイドはそこにいろ。戦うのは我々だけだ」
と叡智の騎士は窓から飛び出す。
フィルもそれにならう。
セリカは律儀にも玄関から出る。
するとその瞬間、工房の庭に裂け目ができる。
振動と怪音が再び鳴り響くとそこから大きな物体が現れる。
その物体とは緑色の長いものであった。
最初、それを見たとき、あまりにも太く、長いので、大蛇かと思われたが、それは違うようだ。フィルたちの前に現れたのは、大蛇ではなく、大きな植物の一部だった。
それが木の枝、あるいはツタだと分かったのは、セリカが説明をしてくれたからだった。
「――大昔、この地を荒らし回った『怠惰』の悪魔は、食事すら取るのを面倒くさがるほどの怠け者だったと聞きます。彼はやがて食事すらやめ、水と日しか浴びずに生きられる秘法を見つけたとか」
叡智の騎士ローエンは皮肉を漏らす。
「たしかに植物ならばなにもせずともいい。頭のいいやつだ」
「そのまま永遠に日向ぼっこをしてくれていれば良かったのですが、彼も完全復活を狙っているようです」
「つまり、フィルのお嬢ちゃんの身体を欲している、というわけか」
「あるいはわたくしでもいいのかもしれません。これでも王家の血が流れている」
「ならば両お嬢様を危険な目に遭わせるわけにはいかないな」
と叡智の騎士は一歩前に出る。
「太古の悪魔だか知らないが、俺は円卓の騎士ローエン。このような手合い、ひとりでもなんとかなる」
「危険すぎます。ここは三人で」
「まあ、それは俺の剣技を見てから言ってくれ」
ローエンはそう言うと、腰から剣を抜く。
「ここ数ヶ月、フィルのお嬢ちゃんばかり活躍しているが、こう見えてもこの俺はこの国最強の騎士。その実力を少しばかりお見せしよう」
とローエンが言った瞬間、彼は消えた。
否、消えたわけではない。
あまりの速度、無駄のない動きのため、常人には補足できない動きをしただけだった。
彼は初老にも関わらず、人間とは思えない速度で動くと、緑色の巨大生物のツタに、
「一閃!」
を加える。
目にも止まらぬ速さ、誰も剣を振るった姿を見れない。
そう思ったが、フィルだけは視認していた。
流れるようなフォーム、そこから繰り出される横なぎの一撃は、まるで神聖な儀式のように美しく、速かった。フィルはなんとか視認できたが、もしもあの速度で斬られたら、自分とて避けられないかもしれない。そんな速度だった。
その一撃によって丸太ほどのツタは一撃で両断される。
「す、すごい!」
思わずフィルはそうつぶやいてしまうが、セリカはあまり驚いていないようだ。
彼女は得意げに言う。
「叡智の騎士ローエンは、13人いるこの国の円卓の騎士でも最強といわれた騎士です。長年、我がセレスティア家に仕えて、その剣を捧げてくれています。あのようなツタくらい余裕です」
と言った、瞬間、斬られたはずのツタがセリカのほうまでやってきて、彼女の足に絡む。
まるで触手のようであった。
「きゃああ!」
と悲鳴を上げるセリカ。
フィルは冷静に《風刃》の魔法でツタを切り裂くと、そのまま炎の魔法で火葬した。
「スゴイ生命力なの」
「で、ですね。危うく、触手まみれにされるところでした」
足首に付着した白い粘液を気持ち悪そうにぬぐうセリカ。
白い粘液自体に毒はなさそうであるが、独特の匂いと粘り気がとても気持ち悪かった。
それを見たフィルは、
「よくもセリカを!」
と闘志を燃やす。
全身に魔力をまとわせると、「本気モード」になる。
その姿をごくりと見守るセリカ。
普段ならば白濁液で汚されたくらいで怒らないでください、と諭すところであるが、相手は悪魔、異形の魔物。悪魔に仮借する必要などひとつもない。
それにここは山奥、フィルが本気を出しても周囲に被害はでないだろう。
なのでセリカは珍しくこう言った。
「フィル様、あの化け物は全力で倒してください。遠慮も手加減もいりません」
そう言った瞬間、地鳴りが大きくなり、地面の割れ目が広がる。
そこからさらなる増援が。
いや、増援ではなく、本体が現れた。
巨木のような身体にはイボイボやとげとげがたくさんついている。
どうやらツタの本体、木の幹が現れたようである。
ツタや触手も気持ち悪かったが、幹はさらに気持ち悪かった。
本来ならば悪寒を覚え、戦慄し、恐怖を覚えるところであるが、横にいるフィルから感じる強大な魔力、それが温かくセリカを包む。
この娘の魔力ならば、この無尽蔵の力ならば、太古の悪魔とて一撃ではないのだろうか。
そう思ったセリカは頭の片隅にも「敗北」という言葉を置かなかった。
セリカの頭の中央にあるのは「廃木」という言葉だった。




