フィルと屋台と少女
転移装置は無事起動し、フィルたちを目的の街まで到着させてくれた。
ただし、シャロンが転移装置に酔ったようで、転移するなり、トイレに駆け込むと、豪快に吐き出した。
フィルは彼女の背中をさすりながら介抱するが、それが終ると転移の間から出る。
そこにはフィルの見たことのない街が広がっていた。
王都には慣れ始めつつあるフィルであったが、王都以外の街は初めてなのである。
「ほえぇ」
と漏らしながら辺りを見回す。
王都よりも狭い道、小さい建物、それに行き交う人々も少ない。
人種の構成も王都より多様ではなく、やや人間が多かった。
王都のようにエルフさんやドワーフさんは歩いていない。
ただ、セリカいわく、この街には比較的リザードマンが多いらしく、トカゲ人間は見かける。
冒険者風のリザードマンが数人歩いていた。
緑の皮膚のリザードマンは男、ピンクっぽいのは女だろうか。
パンパンして確かめたくなったが、セリカは無駄であると言う。
リザードマンは雄も雌も生殖器を身体の内部に隠しているので、触っただけでは分からないのだそうだ。
生殖器ってなんだろう、と思ったが、黙っておくと、セリカは南方を指さす。
「ここからフィル様の故郷までは近いですが、それでも今から歩かないと月曜日の授業に遅れてしまうかもしれません。歩き出しましょうか」
と言った。
たしかにその通りであった。
長期休暇ならばともかく、今回は週末を利用しての小旅行。
この街を散策する暇はない。
フィルは黙ってセリカの背中に付いて行くが、道中、案の定迷子になる。
「だって、遠くから旨そうな匂いがただよってくるんだもん!」
とはフィルの主張するところであるが、たぶん、それは迷子になっていい理由にはならない。理由にはならないが、それではぐれてしまったのは事実であった。
ちなみにフィルを迷子にしたのは、ドネルケバブという食べ物であった。
ドネルケバブとは羊肉をヨーグルトに漬け込み、臭みを取り、柔らかくしたものを焼いた料理だ。
くるくる回しながらじっくり焼くのが特徴で、肉汁がたっぷり、スパイシーな料理である。
外で食べる場合は、ピタパンと呼ばれる袋状のパンに挟んで食べるのが普通で、その中に野菜、タマネギ、香味野菜などを入れる。
ソースはヨーグルトをベースにしたヨーグルトソース、辛いチリソースがメインであるが、マヨネーズ風ソースを掛ける人もいる。
目の前にある屋台のおじさんいわく、うちはチリソースがオススメだよ、ということなので、銀貨を三枚取り出すと、おじさんに渡す。
「まいどあり」
と商売人特有の笑顔を漏らすと、彼はフィルに紙で包んだドネルケバブを渡してくれる。
フィルはそれを全身の水分を涎にしながら見つめると、ぱくりとかじる。
「うまい!!」
フィルは叫ぶ。
こんなにも旨い食べ物が、山の近くにあっただなんて信じられない。
羊肉は山でよく食べていたが、こんなにも凝ったものは食べたことがない。
いつも塩胡椒で焼いたものを食べていた。
それらは素材本来の美味しさを活かしている、といえば聞こえはいいが、今にして思えば野趣があふれすぎていた。
やはり羊肉はなにも処理をしないと臭みがある。
それが癖になると言えば癖になるのだが、こうしてヨーグルトや香辛料で処理をしたほうが何倍も美味しい。
ドネルケバブに掛けられたチリソースはほどよく辛く、フィルの食欲を刺激する。
最後の一口を入れる前にすでにポシェットに入った財布に手を伸ばしていた。
セリカには買い食いは一日5シルまで! と、きつくいいつけられていたが、それは学院での約束。
外出した先ではとくに制限を設けられていなかったはず。
つまり、小銭をかき集めてこのような日に備えていたフィルには先見の明があった、というわけだ。
そんなふうに勝ち誇っていると、自分の服の袖をつかむ存在に気がつく。
「……?」
と見てみればそこには小さな女の子がいた。
黒髪の子で、ぼさぼさの髪である。かなり痩せこけていて、指をしゃぶっている。
彼女はフィルが握っているケバブの最後の一口を物欲しそうに見つめていた。
「……それ、食べたいな」
蚊の鳴くような小さな声だった。
「これ? 食べたいの?」
フィルが訪ね返すと、幼女は申し訳なさそうにこくん、と、うなずいた。
(こ、これは最後の一口……)
おかわりを買う分はあるが、それでもあと一個が限界。
それにフィルは食べ物は最後の一口が一番旨いと思っていた。
それを上げるなんて……。
乙女の純潔を捧げるようなもの、とこの前覚えた言葉を使って、悲劇性を例えてみる。(意味は分かっていない)
フィルはしばし逡巡するが、女の子があまりにも痩せ細っており、哀れに思ってしまった。
きっとこの子は自分の何倍もおなかをすかせているに違いない。
そう思ったフィルは、最後の一口を上げようとするが、ケバブ屋の店主に止められる。
「お嬢ちゃん、やめときな。その子は浮浪児だ」
「浮浪児?」
「親なしの子だよ。街の貧民街に住み着いて、物乞いや盗みで生計を立てている」
「でも、この子痩せてる……」
「そらそうだろうが、餌付けすれば骨までしゃぶられるかもしれないぜ」
そう言って店主は諭すが、フィルには食べものをほどこさない、という選択肢はなかった。
最後の一口ではなく、財布の中にある銀貨をかき集めるとそれで彼女に真新しいケバブを買ってあげる。
店主はやれやれ、と手渡してくれたが、女の子はそれを受け取ると意外そうな顔をした。
「どうしてお姉ちゃん、食べ物をくれるの?」
「だって、あなたがおなかをすかせていたから」
「でも、あたし、悪い子だよ?」
「そうなの?」
「うん」
「でも、おなかをすかせた人を放っておけない」
フィルがそう笑顔で言い切ると、女の子は本当に不思議そうな顔でフィルを見上げていた。
フィルは女の子の頭をなでながら、女の子がケバブを食べるのを見守った。
女の子が食べやすいように、物欲しそうな目はしない。涎も流さない。おなかも鳴らさない。
フィルは淑女にしてお姉さん、小さな女の子の前ではしたない真似はできなかった。
その後、女の子は手を汚しながらケバブを食べ終えると、こう言った。
「……ありがとう。人のいいお姉ちゃん」
彼女はそう言い残すと足早に去って行った。
その姿を最後まで見守りながら、フィルは手を振るが、その姿を見て呆れるのは店主だった。
「……お嬢ちゃん馬鹿だねえ。あんた、盗人に追い銭って言葉知ってるか?」
「知らない」
きょとんとするフィル。
「じゃあ、教えてやろう。あの浮浪児は、お嬢ちゃんのお財布に手を掛けたぞ」
「え? ボクのお財布?」
慌ててポシェットを探るが、たしかにそこにはお財布はなかった。
小銭が幾ばくか残っていたはずであるが……。
あの子が盗ったのだろうか? 店主の言葉を信じるならそうなのだろうけど。
「どうする? 街の護民官に突き出すか?」
店主がそう尋ねてくると、遠くから女の子が戻ってくる。
両脇を護民官に囲まれていた。
女の子は護民官に捕縛されてしまったようだ。
護民官は、「ふぃる」と書かれたガマグチをフィルに見せる。
「この財布はお嬢ちゃんのだね」
いいえ、違います、と言おうと思ったが、それはできない。
財布にはしかと名前が書かれているし、携帯している身分証にはフィルと書かれている。
今さらごまかすことはできなかった。
「この浮浪児はスリの名人なんだ。今日はようやくその現場を押さえた。お嬢ちゃんが被害届をだしてくれれば、この娘を有罪にできる」
「有罪になるとどうなるの?」
「…………」
女の子は沈黙する。
「継続的なスリ行為は重罪だ。手を切り落とされる」
それを聞いたフィルは嘘をつく。
普段、フィルは嘘をつかない。
嘘をついたら地獄に落ちる! と爺ちゃんに言われて育ったということもあるが、根が善人過ぎて嘘をつけないのだ。
そんなフィルは必死の表情で嘘をついた。
「それはその子に上げたの! 盗まれたんじゃないよ! ほんとだよ! だから護民官さん、その子を許してあげて」
フィルは必死に、涙ながらに、頭を下げる。
土下座なる王都にきて覚えてた謝罪行為までしてなんとか彼女を解放してもらうように交渉するが、護民官は困惑していた。
まさか財布を盗られた本人がこんな真似をするとは思っていなかったのだろう。
護民官ふたりはどうしたものか。
と相談したが、その隙を突くように女の子は護民官の腕をかじる。
「う、うぁああ!」
と悲鳴を上げ、女の子を掴む手を緩める。
女の子はフィルに財布を投げ返すとこう言い放った。
「お姉ちゃん、この恩は忘れないから」
彼女はそう言い切ると、脱兎のような勢いで逃げていった。
護民官は彼女を追おうとするが、その速度にとてもついて行けない。
こうして女の子は逃げだし、護民官もいなくなる。
その後、しばらく呆然とたたずんでいると、セリカがやってきた。
彼女は少し怒り気味であったが、フィルが『少しだけ』お姉さんになったことに気がついたのだろう。
非難の言葉を聞くことなく、そのまま手を引かれ、街を出ることになった。




