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フィルのホームシック

 ダンスの実技、奉仕活動によって留年の危機は去った。


 これで安心して、枕を高くして眠れますね、とはセリカだったが、フィルの特技は快眠、試験前日だろうが、余裕で熟睡していたフィルに、枕を高くするなどという感覚はない。


 いつだろうが、どこだろうが、ぐっすり眠る。

 それがフィルの哲学であり、特技だった。

 なのでその日もいつものようにぐっすり寝る。


 寮に戻ってきたフィルは、食堂でたくさんご飯を食べると、そのままふかふかのベッドに入り、ふわふわの枕に頭を押しつけた。


 フィルの銀色の髪がぱさあっとベッドに広がり、神々しい姿が見えるが、この部屋には誰もいないため、誰も鑑賞できない。


 セリカが見たら見とれて睡眠どころでないかもしれないが、問題はそこではなく、フィルの頭の中にあった。


 どのような人間も夢を見る。


 中には見ないと言い張る人もいるらしいが、とある学者によればすべての人間は夢を見るものらしい。


 朝起きたとき、覚えているかいないかの差だけなのだそうだ。

 かくいうフィルも良く夢を見る。


 見た夢もはっきりと覚えているタイプで、朝、枕がよだれで濡れていれば美味しい食べ物を食べた夢、布団がめくれ上がってれば夢の中で大暴れした夢と分かりやすかった。


 ただ、その日のフィルが見た夢は特殊だった。

 フィルは初めて夢の中で泣いたのだ。

 朝起きたとき、フィルは枕を涙で濡らしていた。




 

 フィルが見た夢はこんなものだった。

 爺ちゃんと山で暮らしていたころの夢だ。

 山の仲間も全員いた。

 熊のハチ、銀色狼のギンジ、カーバンクルのカーくん、猿のモンキチ。

 フィルの友達は全員いた。


 彼らは特になにかをしているわけではなかったが、フィルが近づくとささっと遠ざかってしまう。


 いや、彼らではなく、フィルが遠くに行ってしまうのだ。

 頑張って走るのだが、彼らに近寄ることはできない。

 いくら走っても彼らのもとには行くことができない。


 やがてフィルは疲れて走ることをやめてしまうのだが、すると地面が揺れて、そこからなにか大きなものが飛び出してくる。



 そんな夢を見たら、フィルの目元は涙に包まれていた。


 それはおそらく、ホームシックというのだが、フィルの辞書にはそんな言葉はなく、朝、起きたとき、その感情に対処することはできなかった。



「ま、いっか……」



 と顔を洗うと、下着を着替え、制服に袖を通す。

 まだ心にぽっかりと穴が空いていたが、それよりもお腹のほうが心配だった。

 フィルは朝ご飯を食べないとその日一日、元気を失ってしまうのだ。


 食堂におもむくと、食堂のおばちゃんがいつものように山盛り特製フィルセットを出してくれる。


 今日のメニューは、クリームシチューにフルーツサラダ、それにパン。クリームシチューは、「ふぃる」と書かれたどんぶりに大盛りに装ってくれる。

 パンも三個はくれる。


 大食漢のフィルにだけ許された特別仕様だ。

 他の寮生からの不満はない。

 元々、この寮に集まっているのはお嬢様ばかり。意地汚い子はいない。


 それになんだかんだで体形が気になるお年頃。むしろ、自分の分を残して、フィルに上げるというのが慣例になっている子もいる。


 なのでフィルは食欲のない子からパンを半分分けてもらい、実質、4個のパンを平らげた。


 その食欲は朝からすさまじいものがあるが、実はこれでもセーブしているのだ。


「なにごとも腹八分目というしね」


 常人の3倍は食べた娘の言葉ではないが、これはこの白百合寮の日常風景であった。

 フィルは朝食を食べるとそのまま学院に向かった。


 その日も授業をつつがなくこなす。


 フィルは最近、礼節の授業や一般教養なども真面目に取り組み、少なくとも赤点は取るまいと頑張っていた。


 そんなフィルであるが、今日はどこか様子がおかしい。

 両肘を付き、顔を押さえ、ぼんやりと窓の外を眺めていた。


 担任教師であるミス・フラウ・フォン・オクモニックは、そんなフィルの姿に気が付いたが、物思いにふける少女の姿があまりにも絵になっていたので、結局、注意することはできなかった。


 休み時間何気なく声を掛けたが、フィルは上の空だった。


 これは重症であるとフラウは、彼女の友人であるセリカに報告すると、彼女は放課後、すっ飛んでやってきた。


「フィル様! フィル様はいずこ!?」


 その血相の変え方、慌て方は尋常ではなく、白百合の君の異名を誇る令嬢の面影はない。


「フィル様、もしかしてどこかおかげんが悪いのですか?」


「おかげんってなに?」


 ぼうっとした表情で返す。


「体調が優れないのでは、ということです」


「元気だけど」


「ほんとですか? お腹が痛いとか、頭痛がするとか、ありませんか?」


「ないよ」


 ほっと胸をなで下ろすセリカ。


「では、どこが悪いのでしょうか?」


「どこも悪くないよ」


「いいえ、そんなことありません。先ほどうかがいました。今日はお昼ご飯をいつもの三分の一しか食べなかったと」


 それでやっと普通の女の子並みだけどね、とはクラスメイトのシエラの言葉であるが、セリカは無視する。


「あのフィルさんがおかわりをしないなんて前代未聞。はらわたがこぼれ落ちているのではありませんか?」


「大丈夫だって」


 べろん、と制服をめくり、お腹を見せる。

 真っ白なお腹だった。


「ならば一体、なにが……」


 たぶんだけど、と、顔を突っ込んできたのはシエラだった。


「フィルさんはホームシックになったのだと思う」


「ホームシック?」


「うん、ノートを見てみて」


「あ……」


 ノートには山の絵と、動物たちがたくさん書かれていた。


「それにさっき、クラスの子が自分のお爺さまの話をしていたら、フィルさんはじいっと見ていた。物欲しそうに」


「そんなことが……」


 絶句するセリカ。


「だからたぶん、ホームシックになったのだと思う」


「ホームシックってなに?」


 フィルはきょとんと尋ねてくる。


「里心が付いたってことさね」


 とはシエラの説明だが、フィルにはよく分からなかった。


「簡単に言うとフィルさんは自分のお爺さまに会いたくない?」


「お爺さまには会いたくない」


「なら爺ちゃんは?」


「会いたい!!」


 即答する。


「というわけ。セリカ様、ちょっと対策を練ったほうがいいと思うよ。部外者だけど」


 と、シエラは眼鏡をきらりと光らせる。

 新聞部のエースはなかなかできる人物のようだ。

 セリカは素直に彼女の助言に従うと、フィルを白百合寮に連れて行くことにした。

 学院で話をしてもいいが、実はこの教室はちょっと騒然としている。


 白百合の君である自分が慌ててやってきて騒ぎ立ててしまったから、他のクラスからも見物人がきてしまっているようだ。


 ――恥ずかしい。


 今さら取り繕っても失地挽回はできないだろうが、一応、侯爵家の娘として振る舞う。



「さ、さて、フィル様、続きは寮でしましょうか」

 


 フィルは素直に「うん」と言ってくれたが、見物人たちは、セリカがどんな話をするのか気になるようだ。


 もちろん、内容は明かさないが、あくまで優雅に去る。



「それでは皆さん、ごきげんよう」

 


 会心の笑みを浮かべ、軽く会釈をする。


 手を振る生徒に合わせ、こちらも手を振るが、フィルのようにぶんぶん振り回すのではなく、エレガントにゆっくりと振る。


 それでごまかせたわけではないだろうが、フィルのクラスメイトたちはこう思ったようだ。



「学院一、優雅なセリカ様もフィルさんのことになると取り乱すのね」



 と。

 今さらであるが、それを確認したクラスメイトたちは微笑ましく思った。

 フィルもセリカにも、彼女たちは好意を抱いていたからだ。

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