石像の正体
夜中、フィルはむくりと起きる。
「トイレ……」
と一言漏らすと眠い目をこすりながらトイレに向かうが、そこで壁にぶつかってしまう。
トイレだと思った場所が壁だったのだ。
ごちんとおでこをぶつけてしまう。
「あいたた……」
と目を覚ましてしまうが、そこで初めて自分が修道院にいることを思い出した。
「そういえばセリカと修道院に泊まって像を倒す悪い人を倒すんだっけ」
あれ? 探す? それとも捕まえるだっけかな。
まあ、どっちでもいいか、とトイレを探す。
修道院の個室にはトイレがなく、二階にある共同トイレに向かわなければいけなかった。
修道院はまっくらであるが、フィルは闇を恐れない。
フィルの住んでいた山は夜になると真の闇に包まれる。
それに比べれば王都の夜など、夜ともいえない。
フィルの目はわずかな光でも暗闇を見通せる力があった。
《暗視》の魔法など使わなくても、梟のように周囲を見渡せた。
「そういえば梟のドク元気にしているかな」
山の大梟ドクを思い出す。
彼はよく害獣であるネズミを捕まえて食べてくれた。今、工房には食べ物がないからそれを目当てでやってくるネズミは少なくなっただろうから、獲物に困っているかもしれない。
奥さんと結婚したばかりのドク。
もしかしたら子供も生まれたかもしれない。
そうなればもっとたくさんネズミがいるだろうに。
そんなことを思うと、急に山が懐かしくなったが、その気持ちに支配されるよりも先にとあることに気がつく。
トイレを終え、帰ってくると、窓の奥に気配を感じたのだ。
窓から外を眺める。
しかし、誰もいない。それでも気配はする。
「おかしいな」
と口に漏らすと、セリカはむくりと起き上がった。
彼女は開口一番に言う。
「フィル様のおかげでじっくり眠れました。そして犯人の襲来を見逃すこともありませんでした。ありがとうございます」
「犯人? 誰もいないの」
「そんなことはありません。目に《解呪》の魔法を掛けてみてください」
「うん」
と素直に掛けてみると、フィルの目にそいつは映った。
修道院の庭にいたのは、大きな人型の生き物であった。
それは修道院の門の前に設置されている有翼の魔物、ガーゴイルだった。
石像として設置されていたその守護像が、動き出し、像を倒していたのだ。
「像が勝手に動いてるの!?」
フィルが驚くと、セリカが説明をする。
「先ほど、軽く調べてみたのですが、ガーゴイル像を設置している場所は龍脈が流れていました」
「龍脈?」
「大地に流れる魔力の川です。龍脈には陰の脈と陽の脈があるのですが、そのバランスが崩れると、その近くにあるものに異変が生じることがあります」
「セリカは頭がいいの」
「これでも魔法科の生徒ですからね」
「要はあのガーゴイルが像を倒しているから、あれを倒せばいいの?」
「そうなります」
「分かった」
とフィルは二階の窓から飛び降りる。
セリカは彼女を止めようとするが、間に合わない。
「ちょ、フィル様。作戦を立ててから」
庭に降りたフィルは上を見上げる。
「作戦なんていらないの。あんなの一撃なの」
「それはたしかにそうかもしれませんが」
フィルは、凶悪なスカイドラゴン、獰猛なロック鳥ですら撃退する賢者だ。
ガーゴイルに負けるとも思わないが、どのような相手でも油断は禁物であった。
セリカも《浮遊》の魔法で、庭に降りると援護をする。
援護をする前に戦闘が始まっていたが。
フィルは無言でガーゴイルの前に行くと、げんこつを作り、それで相手をぶん殴る。
ガーゴイルは数メートルほど吹き飛んだが、それでも身体は破壊されてなかった。
「……結構丈夫なの」
と漏らすフィル。手の皮がむけ、血が滲んでいた。
青くなるセリカ。このまま彼女のもとに向かって回復魔法を掛けたくなるが、そのような隙はなかった。
フィルを敵対者と認めたガーゴイルは、魔力で作った三つ叉槍を具現化すると、それでフィルを串刺しにしようとする。
その速度は迅速で、とても意思のない石像とは思えなかった。
フィルは難なく躱すが、もしもセリカならばその一撃でやられていたかもしれない。
「……強い」
セリカはそう漏らすが、その感想はフィルも一緒のようだ。
表情から余裕も笑顔も消え去っていた。
「これはちょっと本気を出すの」
フィルはそう言うと、強化魔法を自身に掛ける。
そのままその場から消える。
あまりの速度に凡人であるセリカにはそう見えた。
フィルは再びガーゴイルの懐に入ると、ガーゴイルの頭部、胸部、腹、背中、すべてに拳をたたき込む。
まるですべて同時に行っているかのような攻撃だった。
あまりにも早すぎて残像が発生、フィルが4人いるかのようであった。
ガーゴイルは一撃を食らうたびに怯むが、それでも破壊される様子はない。
なんと丈夫な魔物であろうか。
このままではらちがあかない。
そう思ったセリカは魔法を詠唱する。
あの石像は悪しき邪像。通常攻撃や魔法よりも神聖魔法が効果があると思ったのだ。
セリカは魔法使いであるが、神聖魔法にも心得がある。
幼き頃、修道院で数年間修行していたことがあるのだ。
そのときに得た神聖魔法を今、使うべきだろう。
《聖なる一撃》ホーリーを今、ここで放つべきであった。
ただし、この神聖魔法は、神に祈りを捧げる時間がいる。
その時間は、そのものの清らかさと魔力に比例する。
果たして今の自分が唱えるにはどれほどの時間がいるか、想像できない。
その間、セリカは完璧に無防備となる。
ガーゴイルに攻撃を食らえば、セリカは即死だろう。ここは修道院であるが、高位の修道女の《復活》魔法でも復活できるかどうか。
ミンチになった場合、復活できないこともあると聞くが。
厭な汗が背中から流れるが、セリカの背中を押してくれたのはフィルだった。
どうやら彼女はセリカがなにかやろうとしていると察してくれたらしい。
「セリカ! 大丈夫なの! ボクならばこいつを10分くらい引きつけられるの!」
その言葉は勇壮で頼もしかった。
セリカはフィルの実力も、人格も信頼していたから、安心して祈りの作業に入った。
セリカの周りに聖なるオーラが包まれる。
「おお、すごいの。格好いい!」
とはフィルの言葉であるが、この調子ならば5分あればホーリーを放てるかもしれない。
セリカはその間、フィルの戦いを見守る。
彼女はガーゴイルの槍を颯爽とかわし、ガーゴイルを殴っている。
手の皮は破け、そこから漏れ出た血液によってガーゴイルは赤く染まっていた。
セリカはその姿に心を痛めたが、心は乱さない。
乱せば祈りの完結が遅くなるだけであった。
一秒でも早く、祈りを完結させるのが、フィルの痛みを救うことでもあった。
事実、その思いがあったからだろうか、セリカは予定よりも早く祈りを終える。
それと同時にホーリーを放った。
なにも宣言しなかったのは、一刻も早く、フィルを救うため。それにガーゴイルに気取られないためであったが、それが裏目に出た。
なんとセリカの放ったホーリーはガーゴイルに避けられてしまったのだ。
あの表情のない化け物はセリカが神聖魔法を放とうとしていたことを察していたのだ。
死角からの攻撃にもかかわらず、ガーゴイルは跳躍し、それを避けた。
セリカは心の底から悔しがったが、そんなことがどうでもよくなるくらいに肝を冷やした。
なぜならば、ガーゴイルがかわしたホーリーの先に、フィルがいたからである。
フィルにとってもホーリーの光球は、死角からの攻撃だったのだ。
フィルはその一撃をまともに食らってしまう。
セリカは仲間であるフィルを攻撃してしまったのだ!
――と、思われたが、次の瞬間、とんでもない事態が巻き起こる。




