とある修道院
カミラの部屋から生還したフィルは、セリカがいるであろう中庭の噴水の前に行った。
彼女はそこにいた。
噴水の縁にハンカチを敷くと、その上にちょこんと座っている。
小さな包みを持っているが、たぶん、フィルのために焼いてきてくれたお菓子かなにかだろう。
フィルはセリカのこういうところが大好きだった。
フィルはセリカの隣に座ると、彼女からクッキーと水筒に入った紅茶を受け取り、それを無言でほうばる。
その間、セリカはカミラ夫人の手紙を読み込んでいた。
真剣な目で。
フィルが三つ目のクッキーに手を伸ばすと、セリカは言った。
「……ふう、どうやら退学勧告書ではないようですね。むしろ、奉仕活動を成績として認めてくれるという温情です」
「カミラ夫人は結構優しいおばさんなの。あと、このクッキーみたいに甘いの。もぐもぐ……」
「厳しくも優しい方なのかもしれませんね。さて、これでフィルさんは祝日に奉仕活動をしなければいけなくなりましたね」
「祝日はお昼まで寝ていたいけど、残念なの」
「まあ、これで単位が貰えるならば重畳です。さっそく、明日からわたくしもお手伝いしますわ」
「え? セリカもくるの?」
「駄目ですか?」
「駄目じゃないけど、せっかくのお休みに悪いの」
「悪くありませんよ。フィル様の隣こそ、安息の地です」
「そうなの……?」
そんなことを言われてしまえば仕方ない。フィルは付いてきてもいいけど、となぜか上から目線。
「ふふふ、分かりましたわ。そのときはまたクッキーを焼いてきます」
「まじで! なら付いてきていいの。ううん、付いてきて」
フィルの扱い方を心得ているセリカはフィルを一瞬で乗り気にさせると、明日の奉仕を義務から、楽しい余興に変化させることに成功した。
翌日、セリカがバスケットを片手にフィルの寮の前に現れる。
フィルは手ぶらだった。
元々、ハンカチすら持ち歩かないような娘、その身ひとつでどこまでも行ってしまうようなフィル。
一応、セリカが注意すると、ハンカチと財布だけは持ってきた。
学院の制服はポケットが小さいから、バッグかポーチが必要であったが、フィルは通学用の鞄しか持っていなかった。
ちょうどいいのでフィル用のポーチと鞄を買おう、と、修道院による前に買い物に行くことにした。
最初は侯爵家御用達の大店に行こうとしたが、中止。
フィルは乱暴者。すぐに壊してしまうと思ったのだ。
それにフィルは平民ということになっているから、あまり高価なものを身につけるのはよくないだろう。
そう思ったセリカは修道院お近くにある小さなお店に入った。
そこで小さな肩掛けバッグと小物入れを買ってあげる。
フィルは嬉しそうにありがとう、と言った。
なんでもこれがあればお菓子もお弁当も入れ放題、とのことだった。
そういったものではなく、化粧品やハンカチ、女の子に必要なものを入れてほしいのだが、まずはバッグを持ち歩くという習慣から身につけさせるべきだろう。
そう思ったセリカは細かいことはいわず、支払いを済ませる。
可愛らしい肩下げのバッグを買ってもらったフィルはさっそくそれを肩にかけると、くるりとその場で回転、
「どう?」
と尋ねてくる。
ちょっと女の子らしいので、「可愛いらしい」と言うと頬を膨らませる。
なにがいけなかったのだろうか。尋ねてみるが、フィルは口を尖らせる。
「可愛いより格好いいほうが嬉しいの」
なるほど、とセリカは思う。
フィルにはまだ可愛いという感覚が分からないようだ。
大賢者である祖父のもとで暮らしていたから、格好いいの基準は分かっても、お洒落の基準は持っていないと見える。
それでも子猫や子犬を見かければ、なで回すような娘だから、いつかもっと女の子らしくなると思うが、いまはまだ早いようだ。
素直にフィルを喜ばせる言葉を選ぶ。
「そのバッグ、格好いいですよ」
その言葉を聞いたフィルは目を輝かせ、ありがとう! と言った。
フィルはそのまま修道院に行く。
この王都にはいくつもの修道院があるが、その修道院は女性だけの修道院。
尼さん、つまりシスターしかいない修道院だった。
男子禁制の修道院である。
神にその身を捧げるため、常に清らかな身でなければいけないらしい。
よく分からないが、パンパンする必要はなさそうなことだけは分かった。
ちなみになぜ、この修道院に呼ばれたかと言えば、それはこの修道院には女しかおらず、力仕事をするのが大変であるから、という理由であった。
修道院長と友人であるカミラ夫人は、清らかな身体を持ちつつ、ミノタウロスのように力持ちの少女を思い出し、フィルを推薦したようだ。
修道院長はフィルの小柄さを見て驚いているというか、カミラ夫人にかつがれているのでは、と思ったようだ。
フィルのような少女が力仕事などできるわけがない、と戸惑っている。
手早く彼女を納得させるには、弁舌より行動かもしれない。
フィルはさっそく、先日の地震で倒れたという聖女像を「うんしょ」と立て直す。
この像はブロンズでできており、男数人ががりでも持ち上がるものではない。
それをこうもいとも簡単に持ち上げるとは。
いったい、このような細身の少女のどこに力があるのだろうか?
思わず胸の十字架を握りしめてしまう修道院長。
ただ、よく見れば銅像を持ち上げるフィルは、神々しく、慈愛に満ちていた。
怪力ではあるが、天使のようにも見える。
修道院長は、
「ありがとう。天使さん、神の慈悲がありますように」
と、祈りを捧げた。
「ありがとう!」
と微笑むフィル。
その笑顔はやはり天使のそれに近かったので修道院長は安心すると、彼女に仕事を依頼することにした。




