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ランスロート伯爵の登場

 セリカにともなわれてパーティー会場に向かうと、ちょっとしたどよめきに包まれる。


 それがセリカの真っ白なドレス姿に起因するのか、それともフィルの艶姿によるものか、判断は難しかった。


 ただ、それでも会場にいる人々は、初めてみる小さな淑女に刮目しているようだ。

 口々にささやく。



「セリカ様の横におられる小さなレディは? 見かけぬ顔だが」


「可愛らしいお嬢さんね。まるで妖精みたい」


「どこぞの名のある貴族の娘だろうか。貴人特有の顔立ちをしている」



 貴族のような娘、というのは衆目の一致するところであるが、それはフィルが借りてきた猫モードだからかもしれない。


 いつものはつらつとした元気モードならば、この場にふさわしくない娘、というレッテルを貼られたかもしれない。


 常識がないと揶揄されるフィルであったが、だからといって無礼千万なわけではない。


 このような席で走り回ったり、大きな声をあげればセリカに恥をかかせる。

 それくらい察することができた。

 フィルにとってセリカは姉のような存在。

 彼女に恥をかかせるのは本意ではなかった。


 だからガチガチになっているのだが、そんなフィルに話しかけてきたのは、黒髪の男だった。


 黒髪にタキシード、それに黒い目をしている。

 セリカは冗談めかして、「腹の中も真っ黒かもしれませんよ」と耳打ちした。

 なんでも彼はこの国の大商人の息子。

 小国の王にも匹敵する財力を持つと言われている商人の子息。


 さらに付け加えると天性の「女たらし」らしく、恋人、愛人、情人の数は、ダース単位でしか数えられないと豪語する人物だった。


 セリカにも何度もモーションを掛けてくるが、セリカはそのたびに肘鉄を加えていた。


 今回もまた性懲りもなくやってきたのかと思ったが、目当てはセリカではなく、フィルのようだ。


 彼は騎士のようにかしづくと、頭を垂れた。


 ここで友好を結びたいのであれば女性は手を差し出し、甲に接吻をさせるのが慣例であったが、野生児にそんな常識はない。


 仮にあったとしてもそのような真似はしないと思うが。

 フィルは無知な少女であったが、嗅覚は鋭い。

 不義理な人物、自分勝手な人物はすぐに見分ける。


 目の前の男は、「女」を自分の付属物としか考えないような人物だとすぐに察した。


 なのでセリカの後ろに隠れると、舌を出した。べえーっと。

 それを見た男は顔を真っ赤にしたが、子供相手に大人げないと思ったのだろう。

 そのまま立ち去った。

 セリカは褒めてくれる。


「このようにダンス会場では望まぬ相手からダンスを誘われますが、その場合は断ってしまっていいです。八方美人である必要はありません」


 ですが、と続ける。


「断る場合も、相手の自尊心を尊重しましょう。舌を出すのはNGです」


 セリカは後ろにも目があるのだろうか、髪をかき分けて探したくなったが、それはできない。


 次の男性がダンスに誘ってきたからだ。


 先ほどの商人の息子より風体はさえないが、その代わり居丈高な雰囲気はなかった。


 気の小さそうな青年だった。

 彼ならば問題ない。そう思ったフィルは彼に手を差し出す。

 そのまま広間の中心に行くと、セリカに習ったダンスを踊った。

 こうして未来の女王? であるフィルの初ダンスパートナーになった青年。


 彼はこのとき、フィルに恋をしてしまい終生、フィルの騎士になることを誓うのだが、哀れなことにフィルはこの出会いを覚えていなかった。


 後世、そのことを他者に尋ねられたとき、彼は「残念である」と口にするが、それでもそのときのダンスを思い出すとき、彼の口元は緩むのだった。


 その後、フィルは何人かの男性と踊ったが、その踊りはまずまずだった。

 セリカたちと重ねた踊りの練習の成果は出た、と断言しても過言ではないだろう。

 誰の足を踏むこともなかったし、誰を投げつけることもなかった。

 時折、ステップが乱れるが、すぐに相手に合わせ修正し、踊りの体をなしていた。


 端から見ていても彼女がつい先日まで山で猿と駆け回っていたなどとは想像できない。


 貴族の令嬢のようであった。

 セリカはその姿を見ると安心する。


 このままパーティーはつつがなく終わり、フィルの社交界デビューは成功するかと思われたが、ここにきて難題が発生した。


 いや、それはフィルが悪いのではなく、その人物が無礼というか、我が儘すぎるのだ。


 遅れてやってきた大貴族、ボールドウィン伯ランスロート。


 彼は貴族の中でも紳士的な人物として知られていたが、その日、会場に遅れて現れた。


 しかも遅れただけでなく、口からは酒気をばらまいていた。

 まるで火竜の吐息のように。

 片手には蒸留酒を持ち、手勺で常に飲んでいる。

 王都の下町にいる酔っ払いのようであった。


 あの紳士の中の紳士、ボールドウィン伯がどうして? 居並ぶ上流階級の人々は疑問を呈したが、誰もそのことを口にしたり、伯に声を掛けたりしなかった。


 触らぬ神に祟りなし、を貫いていた。

 伯はそれが面白くなかったのだろう。

 ちょうど、ダンスに合わせていた楽曲が途切れたとき、大声を張り上げる。



「みなさん、ご静粛に」



 会場中に響き渡らんばかりの大声であった。


 さすがは貴族の中の貴族。武門の家柄の当主。その声量は戦場にいるかのようであった。


「ワシの名はボールドウィン伯ランスロート。この国で貴族をしており、かつては大将軍としてこの国の軍の中枢にいた。しかし、昨今、この国に不穏な空気が流れつつある」


 聴衆は沈黙する。その意味をすぐに了解したのだ。

 この舞踏会は、王国を二分する貴族、セレスティア侯爵家主催のパーティー。

 会場に居並ぶ人々を見ると、セレスティア家の息が掛かったものばかりであった。


「口にするのもはばかれることながら、近く、この国はふたつに割れるだろう。誰を次の王にするか。貴族どもが喧嘩を始める」


 伯とフィル以外の人間はぎくり、と肝を冷やす発言だった。


 公の場所で口にしていい言葉ではなかった。もしも伯がこの国の重鎮ではなければ翌日には縛り首になってもおかしくない発言である。


「無論、この国の剣となり、盾となり、戦い、守ってきたワシとしては、そのような事態は望んでいない。だからここ連日、貴族の夜会に顔を出し、この国を二分しようとしている連中を観察している」


「観察の結果はいかがでしたか?」


 気丈にも尋ねたのはこのパーティーの主催者であるセリカだった。

 凜とした口調と表情だった。


「ロッテンマイヤー家に味方する貴族には骨のあるやつはいなかった」


「では我がセレスティア侯爵家はどうでしょうか?」


「それは分からぬ」


「わたくしとしては、この会場にいるものは皆、憂国の士だと思っています」


「さて、それはどうかな。特に男どもは女の尻しか見ていないような気がする」


 するとランスロートは先ほどセリカとフィルに肘鉄を食らった大商人の息子をにらみつける。


 彼は「ひい」とヒキガエルのような声を漏らすと、控え室に逃げ帰った。


「というわけだ。ここにいる男は男の風上にも置けない連中が多い。それにワシはその組織を見るとき、男よりも女を見る」


「女? ですか?」


「ああ、女だ。すべての男は女から生まれ、女に育てられる。戦場で幾人もの仲間の死を看取ったが、皆が最後に口にするのは母親の名前であり、恋人の名前だ。国王などお呼びではない」


「ならば伯はこの会場の女性を観察していると?」


「ああ、その通り。もしも、この会場にワシを納得させるようなおなごがいれば、ワシは全知全能を捧げ、そのものの味方をするだろう」


「つまりそれはセレスティア侯爵家の味方になってくれると?」


 ランスロートは深々とうなずく。

 セリカは一瞬、迷ったが、すぐに意を決した。


 この舞踏会にランスロートを招いたのはなぜか、彼が来ると聞いたとき、心に喜びが湧いたのはなぜか。


 それは彼がセレスティア侯爵家の味方になってくれればいいと思ったからだ。


 彼の今宵の行い、発言は、無礼千万であり、看過できないものでもあるが、彼らしいと言えば彼らしかった。


 裏で蠢動することなく、互いの陣営にやってきて、自分が気に入った方に味方する。


 彼を味方にするのは困難だと思われるが、それでも彼のような人物を味方にすれば、百人力である。


 そう思ったセリカは、ランスロートが出した条件を飲むことにした。


 彼が出した条件とは、


「この会場の中にいる女性で、ひとりでもいい、自分の心を震わせるなにか見せろ」


 というものであった。

 難しい条件ではあったが、もはや、やるやらないの問題ではなかった。

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