セリカの心配事
このように日々を過ごすフィル。
フィルの毎日は楽しく、周囲の人間も同じくらい楽しい。
フィルの座右の銘は、今日が楽しいと明日も楽しい。明日が楽しいと来週も楽しい、なのだ。
その哲学は、常にフィルを幸せにし、周囲のものの笑顔を絶やさない。
願わくは、それが王国中に広がるといいが。
そんなふうにセリカは思ったが、とりあえず気にしなければいけないのは明日のパーティー。
セレスティア侯爵家主催の舞踏会。
定例の夜会であるが、明日の主催者はセリカだった。
父親は外交官として諸外国を歴訪中で、この屋敷にいない。
姉や兄たちも忙しく、パーティーの主賓になるような時間はなかった。
またセリカを一日でも早く、立派な淑女にするために任されたパーティーでもある。その期待に応えるため、やることがいっぱいあった。
来客者たちへの招待状の手配、会場の確保、会場で出される食事の用意、呼び出す劇団の選定と契約。
些事はすべて執事がやってくれるが、それでも細かいところまで目を光らせなければいけない。
特に明日はフィルの社交界デビューである。
フィルはこの国の王の血筋、いつかは王位を継ぐ存在であるが、そのことはまだ内緒。
それ自体はフィルも決して吹聴しないだろうが、なにを拍子に露見するか、分かったものではなかった。
そういった意味では招待者は厳選したい。
次期王座を巡り争っている王弟たちや、セレスティア侯爵家の政敵であるロッテンマイヤー伯爵家の息の掛かったものは呼びたくない。
セレスティア侯爵家の親派、あるいは志を同じくするものたちで固めたかった。
もっとも、貴族の世界は魑魅魍魎が跋扈する場所、今日、親しげに会話をしていても、明日、ありもしないスキャンダルを吹聴されるなどはよくあること。
昨日の敵は今日の味方、今日の味方は明日の敵、そんなことは日常茶飯事で、完全に敵を排除することなど不可能であった。
そんなことは分かりきっていたが、せめて明日のパーティーはつつがなく進行することを願っていた。
セリカは最後に、出席者の名簿を確認する。
おおよその人物を把握しているつもりだが、ひとりの人物に目がとまる。
「あら、珍しい」
思わずそう口にしてしまったのは、出席者に意外な人物の名を見つけたからだ。
もちろん、その人物に招待状を送ったのは把握していたが、まさか出席するとは思わなかったのだ。
なにかの間違いではないだろうか。
執事のハンスに尋ねるが、彼はゆっくりと首を横に振る。
「いえ、間違いではございません。ボールドウィン卿は出席されます」
執事は説明する。
「たしかにボールドウィン伯爵は近年、このようなパーティーに顔を出されませんでしたが、思うところがあったのでしょう。あるいはお嬢様の顔見たさに出席を決意されたのかもしれませんが」
もしもハンスが貴族の男子ならば「まあ、お上手」と返すところだが、セリカはそこまで純情ではなかった。
セリカは出席者のリストを睨みながら考察する。
ボールドウィン卿はセレスティア王国の貴族の中の貴族。いわゆる門閥貴族。その歴史は古く、この国の建国王であるアルフォンス一世と苦楽をともにした将軍の家柄。
歴代の当主から何人も御三卿と呼ばれる大臣を輩出し、大将軍も何人も送り出している。
武門の家柄にして、王国貴族の要ともいえる家柄。
それがボールドウィン家。その影響力はセレスティア侯爵家、ロッテンマイヤー伯爵家にも比肩する。
ただ、ボールドウィン伯爵家の現当主ランスロートには政治的な野心がなく、今回の騒動――
次期国王選出争いにも無関心で、一切の介入をしてこなかった。
そんな人物が急にセレスティア家の舞踏会にやってくるというのも奇妙な話である。
ボールドウィン伯が単純に女好きで、セリカの色香に惹かれただけ、というのならばまだいいが、なにか裏があるのか。
あるいはこの期に及んで中立を保てぬと判断した伯爵が品定めにきた可能性もある。
そちらのほうが可能性が高いだろう。
自分が味方すべきはセレスティア侯爵家か、あるいはロッテンマイヤー家か。
近く起こるかもしれない全面政争に備えている可能性が高い。
ならばどんな手段を用いてもこちらの味方に引き込むべきであったが、セリカは小賢しい真似はするつもりはなかった。
ロッテンマイヤー家は、王弟と協力し、有力貴族とコネクションを築いているようだ。
王弟の娘たちを貴族たちの婚約者にし、将来の王位を約束しているという噂もある。
その噂が真実ならば、王弟の娘たちは夫を何人も持たなければならないだろう。
セレスティア侯爵家はそのような不実な真似はしない。
当人の望まぬ婚姻で政略結婚を強いたりはしない。
フィルの正体を明かし、その夫に有力貴族を迎えるという手法はセレスティア家の家風に合わない。
それは王族の血が流れるセレスティア侯爵家の誇りでもあった。
セレスティア侯爵家に謀略はなし、セレスティアの血族は常に敵に胸を晒し、味方に背を向ける。
つまり、セレスティア家のものは常に正々堂々と敵に対峙、味方よりも前に出て敵に戦うということだった。
セリカは改めてセレスティア家の家訓を思い出すと、執事のハンスに指示をした。
ボールドウィン伯爵に媚びを売るつもりはないが、彼がワイン好きなことを思い出したのだ。
セレスティア家の酒蔵に、王国歴218年もののワインがあったはず。
それを明日、伯に提供させようと思ったのだ。
それを聞いた執事はうやうやしく頭を下げると、そのまま立ち去った。
手配をするのだろう。
さて、これで少し肩の荷が下りたが、実はセリカが心配しているのは、誰が敵で誰が味方というよりも、明日のパーティーの主役となる人物だった。
彼女の正体はまだ秘匿するつもりだが、フィルという少女は、主役になるために生まれてきたような少女。
明日、どのように慎ましやかに過ごしても、めざといものはその存在を認知するだろう。
いや、慎ましくなどできるはずのない少女は明日、舞踏会にて一波乱起こすだろう。
それがセレスティア侯爵家にとって吉事となるか、凶事となるか。
いや、そんなことはどうでもいいか。
明日の舞踏会でフィルという少女の未来がどう開けるか。
それが今から楽しみでもあり、怖くもあった。
セリカはあらゆる事態を想像しながら、ベッドに入る。
いろいろ想像したが、もはやなるようにしかならない。
セリカは十数分後に眠るが、夢の中のフィルは貴族たちを勢いよくぶん投げていた。




