チーズの産地は牛さんです
放課後、授業が終わると、セリカは真っ先にフィルの教室に訪れる。
今日はフィルのドレスを仕立てるために街に出掛けるのだ。
学院の外出許可はすでに出ているらしい。
セリカが手配してくれたらしいが、彼女は手際がいい。
しかし、なぜ、そんなにも急ぐのだろうか。パーティまであと二日もあるのに。と言うとセリカは興奮気味に主張する。
「フィル様のドレスを選ぶなんてなかなかできませんから。子供のころ、着せ替え人形で遊んでいたとき以来の高揚を覚えます」
鼻息が荒くて怖い……。
「フィル様の銀髪にはどのようなドレスが似合うか、毎日のように考察しています。銀に映えるのは黒ですが、白もありです。ひまわり色の派手なのもいいですし、深紅のドレスも」
と長々と話し出す。
服など防寒のためと、裸だと爺ちゃんが怒るから、仕方なく身にまとっていたフィルには分からない思考だ。
自分の服でさえこんなに無頓着なのに、どうして他人の服にそんなに執着できるのだろう、不思議に思ったが、口にはしなかった。
セリカには普段から世話になっている。
服を選ばせるだけでこんなにも喜んでくれるのならば、それに付き合うのがフィルの勤めだろう。
爺ちゃんも言っていた「一宿一飯の恩義は忘れては駄目だ」と。
一宿どこではなく、何度もご飯を食べさせて貰っているのだ。その恩は忘れたくなかった。
それに街に出ればきっとまた屋台とかいう場所で美味しい食べ物を奢ってくれるに違いない。
この学院の食べ物も美味しいが、屋台とかいう店で食べる料理もとても美味しいのだ。
青空の下、フォークもナイフも使わずに食べる料理は、フィルが山で食べていた食事を思い出す。
いわば爺ちゃんの味がするのだ。
フィルはセリカに案内され、王都の中心街に向かう。
学院からは馬車で行く。
学生が馬車で買い物なんて贅沢ではないか。お留守番を食らったシエラはそう主張した。
セリカもそう考えなくもないが、これもフィルのためである。
侯爵家での舞踏会当日、フィルは学院から馬車でやってくる。
そのとき、馬車に乗るのが初めてだったら、彼女はさぞ困惑するだろう。
そう説明するとシエラは納得したが、フィルは首をひねった。
「馬車ってあのお馬さんがひっぱてるやつだよね?」
「そうですよ」
「あれなら王都にくるときに乗ったけど」
「そうでしたね。ですが、あれは旅用の馬車。今度乗るものはもっと豪華ですよ」
「へえ」
と想像の翼を広げるフィル。数分後に学院の馬車乗り場にやってきた馬車はたしかに豪華だった。
二頭立てで小さな家のようなものを引いている。
装飾も綺麗でその中に入ることができるとはとても信じられなかった。
馬車の馭者が扉を開け、恭しく敬礼すると中も見える。
馬車は中も立派で、真っ赤な絨毯が惹かれ、ビロードの椅子もある。
まるで小さな貴族の館がそこにあった。……貴族の館には行ったことがないけど。
そんなふうに観察しているとセリカはフィルに搭乗するように進める。
フィルは恐る恐る近寄る。
爺ちゃんの言葉思い出す。
「こりゃ! フィル! ソファーの上に乗るときは靴を脱がないか!」
おお、そうだった。
こういうときは靴を脱ぐのが正解なのだろう。
学院から支給されたローファーを脱ぐが、それを見てセリカはくすくすと笑う。
「フィル様、靴は脱がなくてよろしいんですよ」
「まじか!」
それは想定外だった。フィルは指示通りにするが、それでも立派な室内に入ると、場違いな雰囲気に圧倒され、ちょこんと椅子に座る。
こんなにも大きくて面積もたっぷりなのに、椅子の端にちょこんとお尻を乗せるだけだった。
セリカはもっと楽にしていいと言うが、楽にはできない。
山の中ではこんなに立派な椅子はなかった。学院でも少なくとも生徒が座れる椅子にこんなものはなかった。
もしも汚してしまったら弁償しなければいけないかもしれない。
フィルのお小遣いは毎日銀貨5枚。5シル程度。
もしもこの椅子を弁償しなければいけないとしたら、いくら支払えばいいのだろうか。
想像もできなかった。
ひゃ、100シルくらいかな?
もしもそうだったら、フィルはいったい、何日、買い食いを我慢すればいいのだろうか。
計算できないし、計算する気もおきない。
フィルは怯えながら馬車に乗り、馬車に揺られながら王都の中心街に向かった。
田舎娘であるフィルは立派な馬車に怯えていたが、それも最初だけ。
5分ほど乗るとその乗り心地の良さに気分がよくなってくる。
「初めて乗った馬車はもっとガタガタした」
「あれは旅用のレンタル品ですからね。荷馬車を改装したものですし」
「よく分からないけど、こっちのほうがいい」
「ありがとうございます。これを作ったドワーフの職人も喜ぶでしょう」
この馬車はドワーフの職人製らしい。なんでもサスペンションと呼ばれる機能を内蔵しており、極限まで乗り心地を追求しているとのこと。
さすがは侯爵令嬢だ。侯爵がどの程度偉いのかは分からないが、こんなにもいいものに乗れると言うことはお金持ちに違いなかった。
フィルはそんなことを思いながら室内を見渡すが、室内にはBARスペースもあった。
いくつもの酒が置かれており、飲み放題らしい。
もっともお酒が苦手なフィルの食指が動くことはないが。
それでもつまみの類いを見つけると、じゅるりと涎が垂れる。
「……セリカこれ食べていい?」
「駄目です。……といいたいところですが、すでに食べているではないですか」
「まじで!」
たしかにフィルの口はもぐもぐ動いていた。
「中心街に着いたらなにか軽食でもと思ったのですが」
「大丈夫、それも食べるから」
「フィル様の場合はおなかがいっぱいになってしまいますよ、という忠告も無駄でしょう。存分にお食べください」
「ありがとう。だからセリカは大好き」
その言葉を聞くと、車内にあったつまみの類いはすべて食べてしまった。
チーズが各種、それとなにかの肉のカルパスがあったが、どれも旨い! と、あっという間に平らげる。
フィルはおなかを摩りながらげっぷをするが、さすがにそれは怒られた。
淑女にふさわしくなかったらしい。
ならば美味しいとき、淑女はどうすればいいのだろうか。
尋ねる。
「そうですね。そういうときは口元を隠して、おいしゅうございました。というべきでしょうか」
真似してみる。
「おお、なんかセリカっぽい」
でも、と続ける。
「それだけじゃ間が持たない。それにこの美味しさを表現できない」
「なるほど、そういうものですか」
ならば、と彼女は思案する。
「相手にこのチーズの産地を尋ねるといいかもしれませんね。あ、でも、わたくしは知らないのであしからず」
「じゃあ、そういうときはボクが産地を説明してもいい?」
「もちろんですわ。軽妙な会話は食事を何倍にも美味しくします」
分かった! とフィルは笑顔になる。
「おいしゅうございました。あのね! このチーズの産地は牛さんなんだよ。牛のおっぱいを凝縮してチーズにするの知ってた?」
その説明を聞いたセリカは思わず笑みを漏らしてしまう。
まるで幼児のような説明だが、フィルらしいと言えばフィルらしかった。
セリカは彼女に合わせる。
「まあ、牛さんからチーズが作られるのですね、知りませんでした」
「ぷぷぷー、セリカはお上品なこと以外は無知なの。あのね、牛さんだけじゃなくて、山羊さんからもチーズは作れるの。どっちもすごく美味しいんだよ」
「なるほど、山羊のチーズも一度食べてみたいですね」
ふたりはそんな会話をしながら王都の中心地に向かった。




