新たな始まりと侯爵令嬢の考察
王都より遙か南にある山で大賢者である祖父と一緒に暮らしていた少女フィル。
山にいたときの彼女はまさしく野生児であり、常識どころか自分の性別さえ知らなかった。
そんな少女を王立学院に入学させ、常識を教え込もうとしたのは、侯爵令嬢であるセリカ・フォン・セレスティア。
セリカは『未来の女王』となるフィルを教育すべく、王都で彼女を指導していた。
その成果は出ているだろうか? 冷静に考察してみる。
出会ったころのフィルは祖父以外の人間を見たことがなく、出会った人間すべての股間や胸を触っていた。
今はどうなっているかというと、雌雄の判別がぼんやり付くようになったようだ。
髪が長いのが女、短いのが男。
ごつごつしているのが男、ふわふわ柔らかそうなのが女。
などといった特徴から雌雄を見分けているようだ。
まだパンパンしたくて堪らないようだが、誰かれ構わずする癖は抜けている。
そう考えれば成長したと言えなくもない。
続いて彼女の教養。
出会ったころの彼女は、ナイフとフォークを見たことがない少女だった。
なんでも手づかみで食べる。
かろうじてスプーンは見たことがあるようだったが、アイスを食べるとき以外に使ったことはないようだ。
またナイフとフォークで食事を取る方法を教えたときも、力加減ができず、お皿どころか、机まで切り裂いてしまう馬鹿力を発揮していた。
緊張すると力加減ができなくなるのは今も同じであるが、出会った当初よりはましになりつつある。
机を切り裂くようなことはなくなり、食器も5枚に1枚しか割らなくなった。
当初は床までナイフをめり込ませていたから、大分進化したと言える。
あとは礼節であるが、これはまだまだか。
彼女にとって目上も目下もない。
よぼよぼのおじいさんも生まれたばかりの赤ん坊も皆同じ。
皆、ため口で話しかけるし、粗野な男の子のような口調を使うこともある。
それはそれで構わないのだが、彼女には身分の区別もない。
大貴族の子女も、平民の子も皆一緒。
皆、同一に扱い、同じように接する。
この学院では身分の区別はない、と建前上はなっているからまだいいが、もしも卒業し、宮廷で暮らすようになれば、苦労することになるだろう。
なるべく早く彼女に礼節も教え込むべきだろうか。
しかし、彼女の長所はそこにあるので難しい。
誰にでも同じように接するフィル。平民にも大貴族にも親しげに、楽しそうに接する。
その屈託のない笑顔、警戒心ゼロの表情は、人を惹き付けてやまない魅力の源泉でもあった。
もしも彼女が人によって態度を変えるような女の子だったら、現在のようにクラスに受け入れられただろうか?
クラスメイトに愛されただろうか?
答えはノーだと思う。
彼女は、転校初日からいじめを仕掛けてくるような人物さえ惹き付ける。
悪魔を使って復讐しようとする人物さえ、虜にする。
それはその生まれ持った善良な性質がそうさせているに違いなかった。
彼女に常識を教えたり、礼節をたたき込むのは、その長所をそぐのではないか?
そう悩んでいた時期もあったが、それでもセリカは彼女に常識と礼節を教えなければならない。
なぜならばフィルという少女は、将来、この国を背負って立つ人材となるのだ。
それには常識と礼節、それに教養が不可欠だと思っていた。
それで彼女の魅力が減衰してしまってもセリカは彼女にそれらを教え込むのを止めるつもりはなかった。
フィルとの待ち合わせ場所、中庭にある聖女像の前、セリカはそんな考察をしていた。
あるいはそれは神の前でするのは不埒な考察なのかもしれない。セリカの行為は天使に俗事を学ばせるに等しい。
急に気恥ずかしくなったセリカは、像の前で祈りを捧げる。
遠くから自分のことを呼ぶ声に気が付く。
「おお~い! セリカぁ~!」
ぶんぶんと手を振り、スカートを揺らしながらやってくるのは、件の元野生児フィル。
彼女ははち切れんばかりの笑顔でこちらに向かってきた。
思わずその笑顔に見とれてしまうのは、彼女の笑顔になんの打算も計算もないからだろう。
見ているだけでこちらがほっこりしてしまう笑顔だった。
大分、常識と礼節を教え込んだつもりであるが、彼女の笑顔によどみは一切なかった。
それを見てセリカは思う。
先ほどの考えはすべて杞憂だったのではないか、と。
このように天真爛漫な娘を俗人にすることなど、どのような優秀な教師でも不可能なのではないか。
そう思ったのだ。
それを証明するかのようにフィルはその場で回転する。
「よっ」
と口にすると、空中に飛び、足を抱え、くるくると10回転くらいした。
なんでもセリカが神妙な顔をしていたから、笑顔にしようとしたらしい。
少なくとも怒ってくれるかな、と思ったと言う。
セリカは目の前で女の子らしくないことをすると注意するからだ。
自分はそんなに小言が多いだろうか? 過去を顧みるが、言われてみればそんなような気もする。
それに気が付いたセリカは、フィルに注意はするが、褒めもする。
「この前より回転数が増えていました」
それを聞いたフィルは、頭をかきながら、「えへへ」と喜んだ。
その笑みはなによりも貴重で可愛らしくあったが、フィルはとんでもないことを言う。
「下着が見えなかったのでは偉いでしょ」
「偉いですね」
「ボク気が付いたの。下着を履かなければジャンプしても見えないって」
「…………」
それを聞いたセリカは彼女をトイレに連れて行くと確認、やはり彼女はドロワーズを身につけていなかった。
その場で彼女に装着させると溜め息を漏らす。
フィルという少女は、良い意味でも悪い意味でも目を離すことができない。
その行動は微笑ましく、素直で見ていて楽しいが、やはり常識というものが欠如しているので、次の瞬間、なにをするか分からないのだ。
まるで生まれたての子猫を十匹くらい世話をするようなものであるが、セリカは子猫はもちろん、フィルも大好きだった。
そう言った意味では苦労の中にも楽しみが見いだせる。
フィルとの学生生活は楽しくて仕方なかった。




