メイドさんは見た!
寮に帰る。
するとメイドのシャロンから、談話室でセリカが待っていると聞く。
セリカは授業が終わると真っ先にフィルの教室に向かったそうだが、そこにフィルがおらず困惑したらしい。級友たちにフィルの居場所を尋ねたら、カミラ夫人に呼び出しを喰らったとしり、いてもたってもいられず、寮で帰りを待ちわびていたとのこと。
心配させてしまったが、カミラ夫人を納得させたことを説明すると、彼女は安堵した。
「しかし、それにしても難儀なことになりました」
とはセリカの言葉だった。
「今の時代に生徒の一人称を強制的に変えるなんて。なんて前時代的な」
「でもボクってしゃべるのボクくらいだしなあ」
「ならばそれは立派な個性ではないですか。個性を殺すような教育は感心しません。……といってもすでに変えると約束してしまったのなら仕方ありませんが」
「うん、しちゃったしね。それに一人称を変えるのなんて簡単。問題なのはなににするか、だね」
「そうですね」
「一緒に考えてくれる?」
「もちろん」
とセリカは微笑むと、スケッチブックを取り出し、この世界に存在する一人称を書き始めた。
「――基本的に女の子が使う一人称だけ列挙しますね」
と前置きするとそれらをすらすら書き連ねる。
私、わたくし、わたし、あたし、わらわ、
「この四つが主でしょうか」
「意外と少ないね」
「ちなみに男の子は、僕、俺、自分、私、拙者、など結構種類が多いですが、まあ、基本、僕と俺です」
「ふむふむ」
「わらわは貴人専用ですから、女の子はわたしが基本となります」
「セリカはわたくしだね」
「そうですね。でもそれもわたしの亜種。フィル様は4つの中からお選びください」
「じゃあ、わたしで」
「早い! まったく悩みませんでしたね」
「特に思い入れないしね」
あっさり言い切るとフィルはさっそく試す。
「わたし、一人称をボクからわたしにしたよ。わたしはわたしだ」
「上手いではないですか。なんの違和感もありません」
「えへへ」
と頭を掻くとフィルは異変に気がつく。なにか違和感を感じたのだ。違和感というかブツブツ感だが。
それが蕁麻疹であると気がついたのはセリカに指摘されたときだった。
「フィル様、肌に蕁麻疹が。それに顔色も真っ青に」
まさか、と思ったが、手鏡を突きつけられるとその通りだった。
蕁麻疹ができるなど、昔、腐った菓子を食べたとき以来である。
なにが起こったのだろう、と考察していると、その秘密をセリカが教えてくれた。
「もしかして『わたし』と口にするとアレルギー反応がでるのでは」
「まさか、たかが言葉だよ」
「では試してみてください」
「うん、『わたし』『わたし』『わたし』」
するとセリカの顔は青ざめる。手鏡を見るとブツブツがみっつ増えていた。
まじか!!
ていうか、言葉を発しただけで蕁麻疹って、そんなの有り得るのか。と試しに「ボク」とつぶやくと、蕁麻疹が減った。
まじでした。
フィルは「わたし」と口にすると蕁麻疹ができる体質らしい。
わたしが駄目なのだろうか、それともボク以外がいけないのだろうか。むずむずと好奇心が鎌首をもたげるので試す。
「わたくし!」
背筋がごわごわした。背中にも蕁麻疹が。
「私!」
うなじがざわめく。案の定そこにも。
「あたし!」
毒を喰らうのならば皿までも。やはりおなかに蕁麻疹ができた。
セリカは止める。
「フィル様、おやめください! このままでは死んでしまいます」
そ、そうか。死んじゃうのはヤバイよね。フィルは自浄作用を求めて「ボク」という言葉を連発した。それが奏功したのだろうか、蕁麻疹は治まる。
「……しかし、それにしても」
と発したのはセリカとフィルであった。ほぼ同時である。
「これは困ったことになりましたね。学科長に一人称を変えるという約束をしてしまったのに」
「うん、しちゃった」
「カミラ夫人は優しくも厳しいお方、今さら取り消すことはできません」
「だ、だよね。どうしよう」
と悩んでいると、そこに現れたのはメイド服の女性だった。
シャロンである。
彼女は、
「話はすべて聞かせてもらいました! とおっ!」
と物陰から現れる。
「盗み聞きされていたのですか?」
セリカが尋ねる。
「盗み聞きとは人聞き悪い。家政婦とは物陰に隠れ、主の話を耳に入れるもの」
「そんな家政婦聞いたことがないけど……」
「まあ、気にしないでください。たしかに盗み聞きしましたが、わたしはとっておきの解決策を持っています」
「ほんと?」
ぱっと表情を明るくするフィル。
「ええ、もちろんですとも。実はですね、このわたし、数年前まで吃音症を患っていまして」
「吃音症?」
「言葉がどもってしまうのです」
「なるほど」
「我が一族は全員がメイドさんなのですが、吃音症では主にお仕えすることができません。なので母親が一念発起し、さる商人から秘薬を買ったのです」
「秘薬、ですか?」
セリカが尋ねる。
「はいな。その秘薬とは古代エルフの蜂蜜と呼ばれるものです」
「古代エルフの蜂蜜」
「古代エルフの蜂蜜とはもっとも古きエルフの血族のみが採取できるという蜂の巣から取り出した蜂蜜に世界樹の朝露を加えたものです。それを飲んだものは世にも美しき歌声を手に入れられます」
とシャロンは急に歌い出す。
「ららら~♪」
素敵な歌声であったがとても音痴だ。
秘薬で声が良くなっても音痴までは直らないらしい。
「副効用として吃音症が治るというのもありまして、たぶんですが、声や言葉に関することなら万能だと思います」
「なるほど、それは素晴らしい秘薬ですね。さっそく、手に入れましょう」
セリカは部屋を出て行こうとするが、それをシャロンが止める。
「お待ちください、セリカさま。もしかして侯爵家の力を借りに?」
「ええ、そのつもりだけど」
「それはお勧めしかねます」
「どうしてですか?」
「この秘薬は市場に流通していません。先日、残り少なかった古代エルフのひとりがなくなり、市場で売買することを禁止したのです」
「それはタイミングが最悪ですね」
「法律ですから、侯爵家のものが公に入手するのはよくありません」
「ならばどうすればいいでしょうか?」
セリカが尋ねるとシャロンはにこりと微笑んだ。
「市場に流通していないのならば、直接、古代エルフさんにもらいにいけばいいんですよ」
彼女はメイド服の袖をまくしあげる。
どうやら一緒に冒険をし、古代エルフの蜂蜜を入手する気らしい。
有り難い言葉ではあるが、頼もしくはない。シャロンの腕はセリカよりも細いくらいだった。その細腕で冒険できるのだろうか。
そう思ってしまうが、フィルたちは断る理由がなかった。
古代エルフの居場所も知らなければ、古代エルフの蜂蜜がどのようなものかもしらないのだ。ここは経験者に着いてきてもらうのが一番であった。




