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香水の匂い

 嬉しそうに木々の間を走るフィル。

 ワイバーンを倒したフィルは、ワイバーンを回収するため、山を走っていた。


 思ったよりも遠くまで吹っ飛ばしてしまったため、回収は大変だったが、新鮮なワイバーンの肝と肉が手に入るのは嬉しい限りだ。


 フィルの爺ちゃん、ザンドルフは魔術師の中の魔術師、賢者の中の賢者と謳われる大賢者であったが、病に伏せること数ヶ月、元々痩せていた身体は今は枯れ木のようであった。


 フィルは爺ちゃんを毎日看病していたが、一昨日、ついに一日中目覚めなかった。昨日、意識を取り戻したが、爺ちゃんは馬鹿なことをいうばかりであった。


「自分はもう死ぬ、覚悟しておくように」と何度も繰り返すのだ。


「大丈夫、爺ちゃんは死なない。死んだら不死の王になるんでしょ。いつも言ってたじゃん」


「ふ、そうだな。ワシは不死の王になるんだった。しかし、それでもしばしお前の前から消えねばならない」


「消えるってどのくらい? 月が満ちかけするくらい?」


「それを一ヶ月という。まあ、我らのような山暮らしに暦の意味はないが……。それよりも相変わらずお前は常識がないのお。育て方を間違えたか……」


 爺ちゃんは自嘲気味に笑っていたが、それは事実である。


 爺ちゃんはフィルに魔術の真理に到達して欲しいと、幼き頃から魔法ばかり教えていた。自分でさえ見ることのできなかった魔術の深淵を覗いてほしかったのだそうだ。


 その後、爺ちゃんから曜日という概念を学んだが、それでもフィルにはまだ実感がなかった。爺ちゃんに死期が迫っていると聞いても、爺ちゃんが死ぬとは思えなかった。自分を残し、ひとり先に天国という場所に行くとは思えなかった。


 爺ちゃんであるザンドルフは孫のフィルと一緒に山奥で暮らす。

 永遠にずっと。

 昼はふたりで魔法を学び、夜は薪で焚いた石釜の風呂に浸かりながら星を見る。

 そんな生活が一生、続くはずであった。

 フィルは確信しながら、山を登るが、とあることに気がつく。

 いや、とある匂いを感じる。


「……くんくん、なにか変な匂いがするぞ」


 爺ちゃんからその嗅覚は狼並み、と太鼓判を押されているフィル。

 異物の匂いはすぐに嗅ぎ取る。


 この山には爺ちゃんとフィルしか住んでおらず、このような匂いを嗅いだことは一回もない。


「……いや、昔嗅いだことがあるか」


 昔、爺ちゃんが嬉しそうに山を下りて出掛けていた時期があった。


 夜出掛け、朝になると花を煮詰めたような匂いをプンプンさせて戻ってきたことが何度もあった。


 ほっぺたには唇のマークが付いていたこともある。


 なにをしているのか尋ねたことがあるが、爺ちゃんは「お前にはまだ早い」となにも教えてくれなかった。ただ、ある日、「お前も年頃じゃから、これをやろう」と変な小瓶をくれたことがある。


 夜に爺ちゃんが付けてくる匂いと同じ匂いがする小瓶だった。

 濃縮した花の匂い。


 良い匂いであるが、鼻の良いフィルにはきつすぎたので付けたことは一度もない。今も家に帰れば宝物庫のどこかに眠っているはずだ。


 その花の香りが鼻腔をくすぐるが、この匂いどこからやってくるのだろうか。 

 くんくん、と確かめるが、その臭いは山道から漂ってきた。

 フィルと爺ちゃんが作った山道だ。


 フィルは猿よりも早く移動できるのであまり使わないが、それでも希に旅人とかいう人間が迷い込むことがあるらしい。残念ながらフィルはまだその姿を見たことがないが。


 もしかしたら、旅人というやつが迷い込んだのかもしれない。

 好奇心がうずく。

 フィルは爺ちゃん以外の人間を見たことがない。


 爺ちゃんからは人間の中には危険なやつも多いから、他の人間を知るのは大人になってからでいいと言っていた。


 麓には村もあるが、フィルはいまだにそこに行ったこともなかった。


 いつか人間の住む村という場所か町という場所に行って、人間を観察してみたかったが、今、山道へ向かえばそれが実現できるかもしれない。


 そう思ったフィルはそちらに向かう。

 爺ちゃんにワイバーンの肝を届けることを忘れたわけではない。


 今もワイバーンの肝は腰袋の中でぴくぴく動いている。小一時間ほど寄り道をしても問題ないだろう。


 それに山道にいるのが本当に旅人ならば、フィルにはそれを確かめる義務があった。


 爺ちゃんが病に倒れるまではこの山の守護者は爺ちゃんであったが、その役目は今、孫である自分が受け継いでいる、とフィルは自負していた。


 もしもその旅人が悪意を持った連中ならば、フィルが成敗をしなければならない。

 友人である大熊の右手を狙っているハンターかもしれない。


 カーバンクルの宝石を狙う密猟者かも。

 あるいは爺ちゃんの財宝を狙う泥棒かも。


 最悪、爺ちゃんの命を狙う連中かもしれない。爺ちゃんは最強であるが、今は病で伏せている。狙うならば今がチャンスだ。


 もしも、爺ちゃんが死ねばフィルは、小指の先を岩にぶつけたときのように泣いてしまうだろう。


 それだけは想像できた。

 なので山道にいる旅人を確認しにいくことにした。

 もしも悪いやつらならば、少しだけ痛い目に遭ってもらう。

 具体的には死なない程度にぶん殴る。

 泣いてしまうくらいビンタする。

 フィルはこう見えても正義の味方なのだ。その力を行使するのにためらいは覚えない。

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