宙返りを見られました
王立学院で始まる学生生活初日。
フィルはセレスティア侯爵家の馬車で通学する。王都にはセレスティア侯爵家の別荘があり、セリカはそこから通学していた。
フィルは侯爵家との関わり合いを極力隠すため、宿から合流となった。
豪華な馬車に揺られながら学院に行く。
この学院はセレスティア王国中から貴族や商人、才能ある平民を集めている。王都出身者は多いが、それでもほとんどの生徒は地方出身だ。
まさか地方から通うわけにも行かず、生徒の多くは学院に併設された寮に住まうことになるらしい。
フィルも寮住まいになるとのこと。
「なるべく早くわたくしも寮には入れるように取りはからいますが、しばらくはお一人で生活してください」
セリカは言う。
「しかし、ご安心を。学院の寮は豪華ですし、住みよいはずです。朝食、夕食は寮で用意されますし、昼食は学院で食べられます。洗濯も専用の洗濯婦がいますし、縫い子もいます。寮長は厳しいらしいですが、それ以外は快適かと」
よく分からないけど、まあ、ご飯が食べられるのならば問題ない。
そう返すとセリカはフィル様らしいですね、と微笑んだ。
「寮に挨拶に行くのは放課後。午前、午後は王立学院の校舎に行って、そこで学んで頂きます」
「分かった! 今日が授業初日だね!」
「はい」
思わずわくわくしてしまう。
フィルは勉強が大好き。山にいた頃はほぼ毎日、爺ちゃんに勉強を習っていた。
この国の文字の読み書き、
算数や数学、
料理の作り方やポーションの作り方も習った。
大賢者と謳われる爺ちゃんが教えてくれていた勉強、面白くないわけがなく、魔法の勉強よりも好きだったくらいだ。
ただ、爺ちゃんはフィルを魔法使いにしたかったらしく、普通の勉強よりも魔法の勉強に重きが置かれた。
セリカが教えてくれるようなテーブルマナーやこの国の仕組み、経済などについても勉強したかった。
それに同年代の子供たちが集まるというのも惹かれる。
この王立学院の生徒の修学具合はバラバラで、年齢も様々だった。
フィルが入ることになる礼節科の一年生は、12歳から15歳くらいの生徒で占められているらしく、フィルとほぼ変わらない年頃らしい。
同じような歳の子供がどんな子たちなのか、気になってしかたない。
そんなことを口にするとセリカが、「気になるといえば」と言う。
「書類には適当に記載してしまいましたが、フィル様っておいくつなんですか?」
「おいくつって?」
「年齢のことでございます」
「年齢か。ええと、いっぱい」
と答えておく。
「……いっぱいって」
セリカは不服のようだ。正直に答えてください、と言われる。
正直に答えてくださいと言われても困る。
山の中では年齢など考えることもなかった。毎年、誕生日と思わしき日に爺ちゃんが祝いしてくれるが、忘れることも多々あったし、誕生日に自分の年齢を尋ねても毎回変わる。
第一、爺ちゃんは自分の年齢さえ覚えてなかった。
孫娘の年齢にも無頓着で、去年の誕生日は、
「だいたい、13歳くらいの誕生日、おめでとう」
と言われただけだった。
なのでセリカにもその年齢を伝える。
彼女の感想は、
「想像したよりも年上でした」
だった。
なんでも言動が幼い上、見た目も子供っぽいので、12歳くらいだと思っていたらしい。
「13歳ならばわたくしのひとつ下ですね。ちなみに先日も言いましたが、わたくしも今、学院へ転科手続を出しています。初等科からやり直す予定ですので、同じクラスで学べると思いますわ」
それは有り難いが、セリカとフィルは一歳しか変わらないのか。
つまりセリカは一年しか長く生きていないということになるが、それにしては大人びているし、胸の大きさも違いすぎる。
フィルも一年後には彼女もお淑やかさと胸の大きさを手に入れることができるのだろうか。
そんなことを考えながらそれぞれ、別々の教室へ向かった。
科が違うので学ぶ教室も別の場所にあるのだ。
セリカは最後までフィルが「普通」にやれるか心配していたが、それは心配のしすぎである。
フィルはセリカを安心させるため、別れ際にこんな行動をした。
「ほっ! やっ! ハっ!!」
宙返りである。
いつものセリカなら「はしたないですよ」と怒るところであるが、フィルには秘策がある。今回の宙返りは股でスカートの裾を挟んでいたので、下着が丸見えにならないのだ。
淑女らしい宙返りであったが、どや顔をすると、セリカは少し呆れていた。
口の中でこんな言葉を漏らす。
「……下着の問題ではなく、宙返りそのものが淑女らしくないのですが」
と表情を曇らしていたが、フィルの笑顔になにか思ったのかもしれない。まあいいか、と最後にこう言った。
「それではなんとか普通の女の子を目指してくださいね。最終的には淑女の中の淑女になってもらいますが、まずは普通の女の子です」
その言葉にフィルは、
「うん!」
と元気よくうなずくと、そのまま自分の教室へ向かった。
その後ろ姿をセリカは見送る。
「まあ、まったく緊張をしないのは彼女の長所であり短所ですわね。学院生活ではそれがいいほうに働けばいいのですが」
いや、きっと働くだろう。とセリカは信じる。
フィルのように屈託のない笑顔を浮かべる少女などなかなかいない。
その笑顔は見ているほうまで楽しくなってくるような自然な笑みだった。
きっと礼節科の子たちもその笑顔に魅了されるはず。感化されるはず。
セリカはそれを信じながら、自信の教室へ向かう。
途中、廊下に誰もいないことに気がつき、自分も宙返りをしてみる。
宙返りをすれば自分もフィルのような笑顔をすることができるかもしれない、とふいに思ったからだ。
セリカに筋力はなく、魔法による宙返りだったが、宙返りをすると血の巡りがよくなったような気がした。
ただし、誤算がひとつ、その姿をたまたま通りかかった下級生に見られてしまった。
彼女はセリカのことを尊敬してくれている下級生のひとりだ。
白昼夢を見ているような顔をする下級生。
仕方ない、ここはなんとか誤魔化す。
「こうやって誰もいないところで宙返りをすると、普段とは違った景色が見えますの。貴族たるものより多くの景色を見、修練を重ねねば」
なるほど、と思ってくれたわけではないようだが、今の行為を吹聴する気もないようだ。
彼女は「似合っていました」という不思議な言葉を残すと、顔を真っ赤にしながら立ち去った。
似合うってなにが? と思ったが、空中で下着丸出しだったことを思い出す。
どうやら自分にはフィルを叱る資格はないのかもしれない。
セリカはフィルに下着を見せずに宙返りをする方法を聞き出そうか、真剣に悩んだ。




