外伝 かけがえのない友達
フィルとセリカは馬に乗ってのんびりと散策していた。ぽっくりぽっくりと揺られながら二人は自然を楽しんでいた。学院の敷地内にある林に二人と二頭がいた。セリカは貴族の嗜みとして乗馬経験があったが、フィルにはなかった。フィルの住む山には熊やカーバンクルはいたが馬はいなかった。
「……乗馬が初めてというのは嘘じゃありません?」
姿勢正しく楽しそうにしているフィルをセリカは訝し気に見た。セリカが初めて馬に乗った時は大変だった。セリカは当時の自分を思い出すと顔から火が出そうになる。
「セリカ、顔真っ赤だよ! どうしたの!?」
「なんでもありません! 今日は暖かいですから、そのせいですね」
セリカの誤魔化しにフィルは納得すると馬を進めた。フィルの乗っている馬――とセリカの乗っている馬――はとても仲が良いと厩舎の厩務員が言っていた。その言葉通りだった。威嚇したり怯えたりすることなく横並びになって歩みを合わせてくれていた。
「あら! 馬から派手に転がり落ちたことのあるセレスティアじゃなくって?」
長閑とは無縁そうな大きな甲高い声がセリカを呼び止めた。セリカは声の方に振り向いた。そこには嘲笑の笑みを浮かべる少女が馬に乗っていた。
「リアさん……」
その少女はセリカと同じ魔法科クラスであり、幼いころから競い合っていたリア・イザベル・カスティルだ。その少し離れたところには「腰巾着」と言われる少女たちがいた。
「今年の乗馬大会は私が優勝しますわ! 常に一位でいられると思いあがらないでくださいまし」
リアは自慢げな笑みをセリカに見せた。腰巾着たちも自信満々な顔をセリカに見せている。
「リアさん、今年の乗馬大会の健闘を祈っています。私は魔法科から礼節科への転科試験が次の日にありますのでの私は参加できません」
セリカは挑発に乗ることなく冷静に言うと柔らかい微笑みをリアたちに向けた。
「参加しない、ということは不戦勝ですわね! セレスティア家は我がカスティル家に負けたも同然ですわ!」
リアは頬の近くに手を添えて「オーホッホッホ!」という独特な笑い方をした。リアに倣って腰巾着たちも独特な笑い方を始める。その笑い方にフィルは何故かわからないがむかついた。
「セリカ、乗馬大会って?」
「年に一度行われる王立学院の伝統的な催し物です。学院の生徒の中から男女関係なく十名だけ参加できます。決められたコースを駆け抜けさせて順位を競うものです。原則として学院で育てられた馬を使うこと。禁止行為は馬に魔法を使うこと、フライングスタートですわね。」
「ボクは参加できる?」
「参加したいんですか? いいですよ。セレスティア家の枠が空いていますから」
フィルはセリカに参加の許可をもらうとリアに向かって、べーっと舌を出した。
「べーっだ! 今年の優勝もセリカの家だから!」
出した舌を向けられたリアはわなわなと震え、フィルを睨んだ。
「そんな下品な山猿を出場させるなんてセレスティア家は品が落ちましたわね。今年の乗馬大会は私の勝ちで決まりのようですわ!」
そう言うとリアは馬を操り方向転換させると走りだした。リアはバランスを崩すことなく駆け抜けていく。今の馬術を見ただけでもリアに実力があることが分かる。腰巾着たちもリアには及ばないが良い腕のようで難なく走り出していく。
大会までフィルはセリカに乗馬大会の極意を教えてもらい、ひたすら特訓した。大会で乗る馬とも親睦を深めた。フィルはリアの鼻を明かしたいという思いから、特訓に付き合ってくれたセリカのために一緒に特訓した馬のために乗馬大会で優勝したいに変わっていた。
フィルはスタート地点で馬に乗りスタートの合図を待っていた。馬が走り出さないようにゲートが設置されており、教師の「よーい、ドン!」の合図で開く仕組みになっている。一番から一〇番のゲートに分けられ、フィルは五番だった。この順番は当日の朝に教師がクジ引きで決めるので不正は起きていないはずだ。フィルはぎゅっと手綱を握り、目をつむる。セリカは観客席からフィルを見守っていた。その瞳には不安は一切なかった。
「よーい、ドン!」
スタートの合図と同時にゲートが音を立てて開いた。フィルは瞳を開けると馬の腹部を脚で蹴った。馬を走らせる方法として蹴ることをセリカに教えてもらった時は随分と驚いたが、馬が大丈夫だよとフィルに言ってくれたのでフィルは馬を信じて蹴ることにしたのだ。スタートダッシュは成功したようでフィルが一番に飛び出た。その後ろにリアがついていた。フィルとリアの二人と二頭以外は離れていた。その距離は実力の差だろう。フィルとリアはあっという間に見えなくなっていく。教師たちの魔力を使って大きなモニターに大会の中継を映すと観客たちは釘付けになった。セリカは胸の前で手を組みフィルを応援した。
整備された土を駆け、坂道を駆け上がり、林に入る。フィルと馬はこのまま走れば私たちは優勝できると確信していた。後ろにいるリアも実力があるのは確かだが、それでもフィルたちは早かった。フィルの顔は自信で満ちあふれていた。フィルは前だけを見ていた。後ろにいるリアが邪悪な笑みを浮かべていることに全く気が付くことがなかった。
林の中でUターンをする。後は坂道を下り、会場まで戻るだけだった。馬のスピードが徐々に落ちていることに気が付いたフィルは馬に話しかけた。
「どうしたの?」
『わからない。体が重いよ』
「ボクが重いってこと?」
『違う。フィルは軽すぎて逆に不安だよ』
「練習の時は大丈夫だったよね? もっと走りたいって言ってたけど」
『うん。だから、わからない。なんだか息も苦しい……』
フィルは馬の苦しそうな声を聞いてスピードを落とした。フィルは少し休んでから全力で走ろうと馬と話し合った。後ろからリアがやってきてフィルたちを抜かしていった。抜かす間際にリアは邪な笑みでフィルに言った。
「私の勝ちですわ。最下位おめでとうございます!」
フィルはリアの表情と言葉で、リアが何かしら仕掛けたのだろうと確信した。ゆっくり走っていた馬は早歩きになり、今では歩きとどんどんスピードが落ちていった。その間にも遥か後ろで走っていた生徒たち全員に抜かされてしまった。何人かは並走して心配してくれたが、彼らもこの日のために練習をしてきたはずだ。フィルは大丈夫だからと彼らに笑顔で言った。とうとう馬の歩が牛歩の遅さになってしまった。
「一度止まろう」
『……やだ。走る』
「苦しそうだよ!」
『止まったら進めなくなるかも……』
「止まるの!」
『フィルごめんね。セリカにも謝らなきゃ……』
「謝らなくていい! まだ優勝は諦めてないから!!」
フィルは馬を止まらせると馬から降りた。馬は驚いていたが立つ気力もなくなってしまったかのようにその場にしゃがみ込んだ。
『動けない……』
「動かなくていい。ボクが運ぶから」
『……運ぶって?』
不思議そうにフィルを見上げる馬と笑顔のフィル。フィルは馬の右側から「よいしょ!」と言って馬を両手で持ち上げた。馬は横向きで高々と持ち上げられてしまったのだ。
『ええええええええええええええええええええ!?』
「ええええええええええええええええええええ!?」
馬は驚きいななき、会場ではフィルの怪力と奇行に驚きの声をあげた。
「走るよ!」
『え、え、え、え? 走るの?』
「うん!」
フィルは馬を両手で持ち上げたまま走り出した。その速さは尋常ではなかった。林の中を駆けていた三番、八番、九番の馬たちを抜かす。
「さっき心配してくれてありがとう!」
もちろんお礼をしっかりと言う。言われた生徒は拍子抜けしていたが、フィルが見えなくなった頃に笑いだしていた。
「フィルさん頑張ってください!!」
後ろからそんな声援を聞いたフィルのスピードはさらに加速していく。下り坂を駆け降りる二番、四番、七番の馬をあっという間に追い越すと目の先には五番と六番の馬たちがいた。会場の手前で二位争いをしているようだった。
「ちょっと失礼!」
五番と六番の間をすり抜けて走る。乗っていた生徒も馬もポカーンと口を開けてフィルの後ろ姿を見ていた。
「今のなに?」
「わかんねぇ」
リアの目の前にはゴールラインが見えていた。ニィっと口角を上げて勝利の笑みを浮かべる。観客席にいるセリカを見ればモニターを見ていた。
「どんなに足掻いても私の勝ちは確定ですのよ!」
高らかに言ってリアはゴールラインを目指す。会場のざわめきが最高潮になった。
「優勝はボクたちがもらうよ!」
リアの横を馬を持ち上げたフィルが駆け抜けた。馬を横向きから縦向きに持ち帰るとフィルはゴールラインを通過した。そのコンマ数秒後にリアがゴールした。
「すごい!!」
「馬を持ち上げるのも凄いし、最下位から一位になるのも凄い!!」
「さっすがフィルさん!」
フィルは観客やクラスメイトから賞賛の声が浴びせられたが、フィルは急いで厩務員の所に馬を持って行った。もし馬に何かあったら優勝どころではない。フィルは不安で一杯であった。厩務員や教師が馬を見てくれている時にセリカが駆け寄って来た。
「お馬さんに何かありましたの?」
「うん、急に体が重くなって動けなくなったんだって……」
「もしかしたら状態異常の魔法をかけられていたのでは?」
「ボク、そんなことしてないよ! それに魔法をかけるのは禁止だって言ったじゃん!」
「フィルさんがやったなんて思っていません。……恐らくですが、リアさんがかけたと」
「そんな……」
セリカの話を聞いてフィルはショックを受けた。そこに厩務員と教師が「疲労の魔法がかけられていた」と説明してくれた。フィルはなぜか悲しいと思った。リアと話がしたいと思ったフィルは会場内を探し始めたが、走者全員がゴールしたとのことで表彰式が始まった。今年の優勝はフィルでいいのか? いやリアだろう。などといった会話が観客たちの中で繰り広げられていた。フィルはキョロキョロと辺りを見渡したが表彰式にはリアの姿がなかった。
「今年度の乗馬大会では禁止行為を行った生徒がいます。リア・イザベル・カスティルです。彼女は失格とみなします」
教師の説明に会場がざわざわと騒ぎ始めた。去年の二位も禁止行為をしていたのではないかと噂し始めた。フィルは禁止行為したリアに対して腹立たしさと悲しさを抱えていた。実はリアが努力しているところをセリカから聞いていたのでリアに対する尊敬を持っていた。何よりも実力で勝負したかったのだ。そしてテレジアのように友達になりたかったのだ。フィルが考えていた間に二位と三位の発表が終わり、優勝者発表になっていた。
「今年度の優勝者は……フィルです!」
歓声が響き、フィルの優勝を祝う言葉が会場中を埋め尽くした。フィルは表彰台で表彰されるが、表情は曇ったままであった。そこにシエラがカメラを持ってやってきた。他にもマイクを持った女子生徒と手帳を開いてメモをとろうとする男子生徒がいた。
「なにか一言ください!」
「リア、また乗馬で勝負しよう。ボク、リアが努力してることも乗馬を頑張ってることも全部セリカから聞いてた。去年はセリカと接戦で、油断する暇もないくらい大変だったってセリカが言ってたんだ。だから、家とかそういうの無しで……ボクはリアと勝負がしたい!」
フィルの言葉で会場内にあった「リアは不正行為で乗馬をしている」「去年の二位も禁止行為のおかげ」という噂が静かになった。フィルの真っすぐな瞳と真っすぐな思いに噂をしていた人たちは考え直した。リアが幼いころから乗馬をしていたのは周知の事実であったことを皆が思い出したのだ。
「申し訳ありません!」
リアが走ってフィルのいる表彰台の前で膝をつく。普段の令嬢とは思えないほど涙を流し、泣いていた。
「私も……フィルさんと勝負がしたいです」
フィルはしゃがむとリアの手を取った。
「ボクとリアの本気の勝負だよ! 楽しみだね!」
フィルは天使の微笑みでリアを包んだ。シエラはその姿を写真に収めた。次の新聞の記事はこれだな、と満足げに頷いた。
「悪役令嬢を改心させた天使!! これで決まりだね」
新聞部員たちは大喜びで記事作りに励んだ。
フィルとリアの勝負は後日、セレスティア家の所有する広い領地でやることに決まった。ここでの勝負の行方はまだわからない。フィルもリアもセリカも当日が楽しみで、校舎ですれ違う度に乗馬の話をするほどだ。
「ボク負けないからね!」
「それは私のセリフでしてよ!」
「どちらが勝つのか楽しみです」
フィルとセリカにとってリアはかけがえのない友達になっていた。きっとリアも同じように思ってるに違いないとフィルは確信している。