ヤキュウ(後編)
王立学院の敷地は呆れるほど広く、ヤキュウ程度ならばどこでもできる。
本当ならばベースやマウンドなるものを設置しないといけないのだが、練習ならば不要である、砂でホームベースの形を作るにとどめた。
セリカはこほんと説明する。
「野球というのは球と呼ばれる白球を投げ、それをバットと呼ばれる棒に当てるゲームです」
「はいはい、しつもーん!」
と手を上げたのはメイドのシャロンだった。
「はい、シャロンさん」
セリカは彼女の質問を許す。
「前、広場で見たときは後ろのほうにもたくさん人が居ましたが」
「いい質問ですね、シャロンさん。ヤキュウは球を投げるピッチャー、球を受け取るキャッチャー、それを打つバッター、バッターの打った球を受ける守備に分かれます」
「おお、でも、三人しかいないの」
「そうですね。なので今日はピッチャーとバッターとキャッチャーだけでいいです」
とセリカが言うと、フィルは「ぴゅん!」と球を投げる。
剛速球がセリカとシャロンの横を通り抜け、ふたりのスカートをめくる。
あまりのことにふたりはスカートを押さえることすら忘れる。
ドローワーズが見えたフィルは、指を差し、
「いけないのー。お上品じゃないの。淑女じゃないの」
と笑うが、セリカは笑うことができなかった。
「な、なんですか。今の球は」
「ん? ヤキュウのボールだけど」
「そうではありません。あんな球を投げたら、キャッチャーは死んでしまいます」
「大げさだよ」
「大げさなものですか」
とセリカは後方の壁を指さす。そこには穴の開いた壁があり、亀裂が一面に走っていた。
「こんなのを受け取れるキャッチャーはこの学院には存在しません。もっと手加減を」
「ええー、これでも手加減をしたんだよ?」
とフィルが言うとシャロンが青ざめる。彼女はこそこそと逃げようとするが、セリカは襟首を捕まえる。
「逃がしませんよ、シャロンさん」
ふふふ、死なば諸共です。
と笑顔になるセリカ。シャロンはその笑顔にも怯える。
しかし、セリカもさるもの。フィルを説得し、力を百分の一にセーブさせる。
それでも球速一六〇キロくらいの剛速球を投げ込むが、フィルはコントロールも一流なので、真ん中にミットを構えているだけで良かった。
ミットの中に綿をたくさん入れ、衝撃吸収の魔法を掛けていればなんとかなった。
問題なのはむしろシャロンのほうで、
「おーらい、おーらい!」
と声出しは勇ましいが、まともに捕球できない。
セリカが投げたボールはお手玉するし、フィルの投げたボールは怖がって捕球しない。
一塁を任せても駄目、外野を任せても駄目、どこが内野ならどこでも守れるいぶし銀なのだ。
セリカはため息をつくが、しょうがない、と諦めモードである。
しかし、そんな状態にも終止符を打つのが天才フィル。
彼女は内野ならなんとかなるよ、と宣言する。
どういうことだろう、とセリカは尋ねるが、彼女は論より証拠とばかりに行動する。
「今からセリカにボールを投げるから、受け取ったらそれを三遊間に投げて」
「分かりました。打たれたと仮定するのですね」
「そういうこと」
セリカはフィルの提案に従う。
シャロンも同意したようでレフトの守備位置に入る。ゴロを拾って投げるようだ。
「内野はなしで、外野のみでどうにかするのかな」
というのがシャロンとセリカの想像だったが、フィルの行動は想像を超えた。
フィルはボールを投げると、セリカが捕球、それをヒットが打たれたと仮定し、三遊間に投げる。そのままそれをレフトのシャロンが拾う――かに思われたが、そうではなく、その球をフィルが拾う。
ピッチャーの位置から高速移動していたのだ。しかもフィルはそれをそのままファーストに投げ、ファースト役もこなす。
自分で投げた球を自分で捕球したのだ。
「…………」
セリカとシャロンはあいた口が広がらない状態になるが、フィルはニコニコしたまま言った。
「これで三人でもヤキュウはできるの!」
と。
さて、こうして組織されたフィル・ジャイアンズであるが、それに対抗して作られたテレジア・タイガースに圧勝した。
いや、圧勝というよりも不戦勝か。
テレジアは大見得を切ったはいいが、結局、仲間をひとりも集めることができなかったのだ。
フィルは残念そうに落胆していたが、セリカは思った。
試合が開かれなくて良かった、と。もしも開かれていればグランドが血に染まっていただろうな、と。