ポペットの長靴
ケットシーの王国とコボルトの集団の間に和議が成立すると、フィルの役割は自然となくなる。
元々、その圧倒的な武力を買われて召喚されたわけだから、当たり前であるが、フィルの人柄を気に入った国王たちは、彼女を留めようとする。
銅像を造るので型ができるまで滞在ください。
国中をパレードにするのでこのまましばらく。
フィルの肖像画の紙幣を作るのでモデルになってください。
様々な提案をされたが、このままだと王子マイケルのお嫁さん問題が浮上しそうだったので、セリカは国王に退去を告げる。
「……そうか。残念だ」
と落ち込む国王だが、肖像画にする予定の絵はすでに出来上がっているようだ。
猫耳姿のフィルが可愛らしく描かれている。
ケットシーの世界には写実主義がないらしく、あまり似ていないが、まあ、雰囲気は出ている、とフィルはOKサインを出すと、王様たちに別れを告げる。
王はポペットに、ふたりを丁重に送るように指示をする。
「了解です」
とセリカたちを王都郊外に連れて行く。
「王都から直接帰れないの?」
フィルが尋ねると、ポペットは言う。
「帰れないことはないのですが、一応、同じ場所から転移したほうがいいと思いまして」
「たしかに座標軸がずれて変な場所に転移しても困りますしね」
人様の家の食卓、結婚式の式場――とかならばまだいいが、戦場に転移しては堪らなかった。フィルたちはトラブル体質なのだ。
というわけで最初に転移した場所までやってくると、そこから帰る。
「帰るのにはどうすればいいのですか?」
と尋ねると、ポペットはふたつの方法があります、と言う。
どうせひとつは変な行為をさせられるのだろうから、簡単なほうを教えてもらう。
簡単なほうはきたときと同じで、ペンシル型の魔道具を持って、
「元の世界に帰りたい!」
と叫ぶのだそうだ。
あまりにもあっさりしているが、くるときも似たようなものだったので驚かない。
このままその台詞を叫べば帰れるであろうが、その前にやることがあった。
それはフィルたちをこの世界に連れてきたケットシー、ここまで導いてくれた長靴をはいた猫に別れを告げるだった。
フィルは両手を握り絞め、元気よくぶんぶんと振るう。
セリカはそっと手を握り絞め、肉球の感触を確かめる。
この猫には酷い目にしか遭わされていないような気がするが、いざ、別れるとなると寂しい気持ちになるのが不思議だった。
フィルはちょっと目を潤ませながら、
「また逢える?」
と尋ねた。
ポペットは正直に首を横に振る。
「ケットシーはなんの用事もなく、妖精界の外に出てはならないのです」
「そうなんだ……」
残念がる銀髪の少女。しかし、生きていれば再会することもあるだろう、とふたりはそれ以上、別れを惜しまなかった。
「フィル様、これを僕だと思って大切にしてください」
ポペットは長靴を片方脱いで渡す。
なんでもケットシーにとって長靴を渡すというのは、自分の魂を渡すのも同義らしい。
生涯の友に一度だけ送るのだそうだ。
フィルを生涯の友と認知してくれたのだろう。毛玉が一杯付いているが、フィルは嬉しそうに受け取ると、手を振った。
ぎゅっと長靴を抱きしめると、お返しに大切にしているビー玉を渡す。
ポペットは嬉しそうに受け取ってくれた。
「じゃあね、ポペット、向こうで猫を飼うときはポペットって付ける」
ポペットは目を細めると、さようなら、と言った。
それと同時にセリカとフィルは、例の合い言葉を口にした。
ふたりの少女が元の世界に戻りたいと言うと、ふたりの身体は黄金色に包まれる。
因果律を司る魔力がふたりを包み、ファンシーな妖精の世界から現実へと引き戻される。
「…………」
「…………」
気が付くとそこは真っ暗な天井だった。
周囲には木々が生い茂っている。
奇妙に肌寒く、湿っている。
セリカはそこがどこか即座に知覚した。
「……ここは植物園の温室」
見れば周囲には粉雪草がたくさん生えていた。
セレズニアの王都に戻ってきたようだが、最初、現実感がなかったのでケットシーの国のことがすべて夢のように思われた。
セリカたちは温室で寝てしまい、幻想を見ていたのでは? と思ってしまったが、そうではないと気が付く。
横ですやすやと眠るフィルが小さな長靴を抱きしめていたからである。
彼女は世界一大切な宝物を抱きしめるかのようにポペットの長靴を抱きしめていた。
それを見てセリカは急に嬉しい気持ちに包まれる。
あの陽気な猫たちの国が実在すること、冒険の日々が現実であったと確信できたからだ。
セリカたちの小さな大冒険が真実であったと再確認できたからだ。
セリカはフィルが自然に目覚めるのを待つと、妖精の国で大活躍した救世主にねぎらいの言葉を掛けた。
「フィル様、お疲れ様でございます」
フィルはにこりと微笑むと、
「ありがとうなの」
と返答した。