馬車を借りる
朝食を食べ終えると宿屋を出る。
叡智の騎士ローエンが上手くことを運んでいれば馬車を借りることに成功しているはず、と説明される。
「侯爵家の馬車を借りることができればもっと楽だったんですが」
「なんで借りなかったの?」
「こたびの旅は世間には極秘なのです。我々は父上の密命を帯び、ここまでやってきました」
セリカは、ああ、そうですわ、と、続ける。
「あなたが王の落胤であることは説明しましたね」
「うん、された。落胤っていうのは隠し子のことだよね」
「その通りです。王は今、病に伏せています。明日をも知れない命。しかし、王には子がおらず、王弟殿下たちが次期国王の座を争っています」
「よく分からないけど、それでいいんじゃないの? 弟さんたちが継げば」
「王弟殿下たちが聖人君子ならばそれでいいのですが、さにあらず。殿下たちはこの国を私物化しようとする俗人ばかり。もしも王位を継げばとんでもないことになるでしょう」
「ふうん、よくわからないや」と結論づける。
「そこでフィル様の登場です」
「ボク?」
自分で鼻の頭をさす。
「ええ、王に正当な跡継ぎがいれば殿下たちも好き勝手はできない。なので大昔、国王と侍女の間にできた子供を探し、我らは東奔西走して参りました。それでやっと見つけたのがあなた様にございます」
「ボクが王様になるの?」
「正確には女王ですが。ですが、そのためにはまず王立学院で学んで頂きます。礼節はもちろんですが、その前に『常識』を」
「……常識ねえ」
自分の髪を弄びながら鼻にくっつけ、「おひげ~」と遊んでいると、セリカの眉間に皺が寄る。
「まずがそういうところを直していただけなければ。淑女はそういうことはいたしません」
「セリカは厳しい」
「それとフィル様。フィル様は王統を受け継ぎしものですが、それはしばらくご内密に」
「どうして?」
「先ほども話しましたが、王弟殿下が王座を狙っているからです。もしも、王の娘の存在が露見すれば暗殺者がやってくるでしょう」
「暗殺者って?」
「フィル様を亡きものにしようとする殺し屋です」
「殺し屋! かっこいい!」
まるでおとぎ話みたい! と、はしゃぐとセリカは怒る。
「笑い事ではありません。くれぐれも王の娘であることは内緒に」
真剣なので分かった、といいたいところだけど、それはちょっと手遅れかもしれない。
と正直に話すとセリカの顔は曇る。どういうことでしょうか? と尋ねてくる。
「さっき、宿屋の女将さんと話したとき、ボク、おーさまのむすめ、って言っちゃった」
てへへ、と謝る。
セリカは顔を真っ青にし、宿屋に戻ると、フィルを女将さんのもとまで連れて行くと慌てて弁明した。
「この子、ちょっと知恵が遅れているんです。自分を絵本の中のお姫様と思い込んでいるみたいで」
その弁明を聞いた女将さんは、
「はっはっは、そんなことは分かっているよ。こんなとこにお姫様がいるわけないだろ。それにこの国の王には子供はいない。そんなの常識さ」
と笑った。
「で、ですよねえ」
と、愛想笑いを浮かべるセリカ。そのまま糊塗し、馬屋まで向かうと、フィルを厳重に注意する。
「はーい!」
と素直に従うと、フィルはきょろきょろ辺りを見回す。
「ここが馬屋か。すごい。馬ばかり。くさい」
気を取り直したセリカは説明をする。
「馬屋とはそんなものです。ただ、馬はとても優しい目をしているでしょう」
「うん、綺麗な目。他人を傷つけない目だ」
そう言いながら馬を撫でると、馬は小さくいなないた。
その姿を見ていた馬屋の店主は「珍しい。そいつは知らないやつに心を開かないんだが」とやってきた。
セリカはきっとこの子の優しさに気がついたのでしょう。動物は敏感ですから、と言った。
次いで馬屋の店主に尋ねる。
「あ、ご主人。我が家来であるローエンという男が尋ねきませんでしたか?」
「ああ、きたよ。今、ちょうど、交渉が成立して馬と馬車の準備をしている」
「さすがは騎士ローエン」
とセリカが褒めるとローエンもやってきた。
「お嬢様、それに姫、馬車の用意ができました」
その言葉を聞いたジト目を浮かべるセリカ。
最初はどうしてかな、と思ったが、ローエンが「姫」という言葉を使ったのが気にくわないらしい。すぐに気がついたローエンは頭をかきながら訂正する。
「これは失礼した。お嬢様方、馬車の用意ができました。お乗りください」
セリカはすましながら、
「以後、気をつけてくださいね。我々がこんなではフィル様に示しがつきません」
と言った。
ローエンはうやうやしく頭を下げる。
フィルにはまだ自分の身分を隠す理由がよく分からなかったが、ともかく、これで馬車というやつは確保したらしい。あとはこれに乗って王都とかいうところにいけばフィルはそこで勉強ができる。
フィルは幼き頃より爺ちゃんに勉強をならってきた。つい先日までずっとだ。
山で駆け回るのも好きだったが、室内でする勉強も好きだった。
王都ではどんなことが学べるのだろう。
今から楽しみで仕方なかった。