見張り
翌日、同じ中庭で集まると情報交換。
まずはビアンカから。
「粉雪草。セレズニア王国のごく一部の森で咲く植物。雪の到来を告げる花で、初雪が降る頃に咲く。その花には薬効があり、強壮薬として知られる。生で食べられるが、胃腸が弱いとお腹を壊す」
だそうです。と研究成果を披露する。王立学院付近で分布する場所は不明だと言う。
詳しい説明ありがたいが、セリカは慌てる。
「生で食べたらお腹を壊すとは本当ですか?」
「辞典に書いてありました」
「フィ、フィル様、大丈夫ですか? 今朝方も食べていたような」
実は今朝も下駄箱に粉雪草があり、それをフィルは美味しそうに食べていた。
フィルは笑顔で返答する。
「大丈夫、大丈夫」
フィルは腰に手を当て、「えっへん」となる。
「僕の胃腸はそんなにやわじゃないの」
「……ならばいいですが、一応、明日から生食はやめてください」
「うい」
フィルは生返事をする。これは食べるな、とセリカは直感したが、まあ、ここ数日、なんもないということは大丈夫なのだろう、と諦めた。
セリカは改めてフィルの頑健さに驚くと、自分の調査報告をまとめる。
「クラスメイトの子などに花を贈っているものがいないか聞いてみましたが、誰も知りませんでした。もちろん、花を贈るなどとてもプライベートなことなので贈ったものがいても答えてくれるとは限りませんが」
「そもそも、姿を見せずに置いていくのですから、隠したくなるはずですよね」
「そうね、たぶん、送り主から名乗り出ることはなさそう」
「ですよね……」
ビアンカとセリカは困っているとフィルも調査報告をする。
「実はボク、朝早くから下駄箱を張っていたの」
「え? 朝からですか?」
「うん、昨日はうんと早くに寝て、太陽さんが起きる前に起きたの。そして物陰からじいっと覗いていたの」
「それで送り主の姿は見えました?」
「それが……」
とフィルは言いよどむ。
「……見えなかったの。でも、気が付けば下駄箱に花は入っていたの」
「まさか、送り主は透明人間?」
ビアンカは素っ頓狂なことを言うが、その可能性はゼロではない。少なくとも普通の人間ではないことはたしかだ。
「てゆうか、フィルさんが目を離さず見張っているのに、花を入れるなんて可能でしょうか?」
ビアンカは尋ねてくるが、彼女はまだフィルの性質を知らないようだ、セリカは解説する。
「フィル様ほど見張りに向いていない人材はいません。フィル様、朝から張り付いていたといいますが、本当にずっと見ていたのですか?」
「も、もちろん!」
とフィルは言うが、目が泳いでいた。これは嘘をついている目である。
セリカは少し厳しめの視線を送る。
するとフィルは素直に頭を下げ、「ごめんなさい」をする。彼女のこのような素直なところはとても魅力的であった。
フィルは申し訳なさそうに言う。
「実は三度ほどおトイレに行ったの。それと早起きしすぎて眠いからうとうともしちゃった。あと、シャロンが差し入れを持ってきてくれたから、サンドウィッチを食べながら見張っていたの」
「それでは見張りの意味はないかも……」
ビアンカの言うとおりだったので、フィルは反省する。しかし、セリカはそれ以上とがめない。
「これ以上、フィル様を責めても仕方ありません。そもそも見張りをひとりでするのがいけないのです。よろしければですが、明日、皆で早起きをして三人で見張りをしませんか?」
ビアンカは笑顔で首肯する。
「そうですね。三人でやればずっと見張れます」
「関係のないビアンカに早起きさせるのは気が引けるけど」
「気にしないでください、お姉様。朝から見張りなんて遠足みたいでわくわくします」
「そう言ってくれると嬉しいわ」
「おお、遠足! ならシャロンに豪華なバスケットを作ってもらうの」
フィルがうきうきに言うと、ビアンカとセリカもテンションを上げる。
遠足とは言い得て妙である。通い慣れた学院の下駄箱とはいえ、早朝に訪れれば、風景も変わるだろう。それに大好きな者同士が一緒に行動すれば、それすなわち、小さな旅行であった。
女の子は旅行が好きなものなのである。
少女たちはそう分析すると、翌朝に備え、今日は早めに寝ることを約束した。
翌朝、時間通りに目覚める――よりも先にフィルには困ったことが。
それは目が冴えて眠れないのである。
昨日はあっさりと眠ってあっさりと起きられたのに、どうしてだろう、と考えていると、夜中、廊下で出会ったメイドのシャロンにこんな言葉を聞く。
「遠足症候群」
遠足症候群とは遠足の前日、明日が楽しみすぎて眠れない症状のことらしい。
主に幼年学校の生徒が発症するらしいが、学院生になっても、大人になっても発症するする人はするらしい。
ましてやフィルは山育ち。この手のイベントをあまり消化してこなかった。眠れなくなっても当然だという。
フィルが困っているとシャロンは解決方法をいくつか教えてくれる。
まずは温かいミルクを飲む。
身体を温めると、そのあと急激に冷え、それが眠気を誘うらしい。試してみるが、特に効果はなかった。
次に試すのは「カーバンクル」を数える。木々を渡るカーバンクルを想像し、その数を一匹一匹数えるのだ。
「カーバンクルが一匹、二匹、……一三匹……」
眠くなる気配ゼロである。他の動物ではどうだろうか試す。
「羊が一匹、二匹……一八匹」
駄目だ。マトン、ラムなどでも試すが、全然効果がない。
そうなってくると自分はもしかしたら今後一生眠れないのでは、という恐怖が襲ってくる。
どうしようどうしよう、と思っていると、コンコン、という音が。ノックだ。こんな時間に誰だろう? と思っていると、シャロンがやってきた。
彼女はトレイを持っていて、その上には湯気の出ているカップが置かれている。
紅茶かな? と思ったが、違うようだ。
シャロンは説明する。
「これは南の島より伝わる悪魔の飲み物です。飲んだものを覚醒させ、睡眠欲を消し飛ばします」
「それってまずいんじゃ? そもそもボクは眠りたいんだよ」
「ええ、分かっていますとも。ですが、フィル様はもうすでにいくつか方策を試されて失敗しています」
「たしかに」
「そこで逆転の発想。眠ろうとするからいけないのです。逆に朝まで起きていればいいのではないですか?」
「その手があったか!」
フィルは青天の霹靂を見たかのような顔をする。
だが、すぐに祖父の言葉を思い出す。
「あ、でも、爺ちゃんが言ってた。良い子はちゃんと毎日眠るんだって、徹夜は悪い子のすること」
「素晴らしいお爺さまですね。ならば一晩中眠る努力をされますか?」
「……うーん、無理かも」
「中途半端な時間に寝て、朝寝坊したら大変です」
「一理あるの」
「なので今日の徹夜は徹夜ではなく、眠りの先送りと言うことで」
「シャロンは頭がいいの」
と言うと彼女は喜び、トレイの上のカップを渡してくる。
「これは?」
「これはコーヒーですわ」
「お、知ってる。セリカがたまに飲むやつだ。黒いやつだよね」
「セリカ様はブラック派なんですね。フィル様にお持ちしたのは初心者向けのカフェオレですわ」
「かふぇおれ?」
「コーヒーに牛乳を混ぜたものです」
「おお、牛のおっぱい」
「そうです。飲まれますか? コーヒーには覚醒作用があり、飲むと眠れなくなります」
「うん、飲む」
あっさりとうなずくと、フィルは両手でカップを掴み、ごきゅごきゅと飲む。
途中、唇を離すと、
「苦い」
と感想を漏らす。
「甘めに作ったのですが、コーヒー初体験のフィル様にはやはり苦かったようですね」
「うん、でも、ほのかに大人の味」
「そうです。コーヒーは大人の飲み物ですから」
と言うとさっそく、フィルに効果が現れ始めた。彼女のまなこがぎんぎんに光り出す。元気があふれ、その場で小ジャンプをし始める。
「おお、眠気がなくなっていく」
「やはり効果てきめんのようですね」
シャロンは喜ぶと、懐からトランプを取り出す。
「さて、フィル様、目が覚めてもやることが少のうございましょう。不肖、このシャロンめがお相手つかまつります」
彼女はそいうとトランプをシャッフルし、カードを配り始めた。